実験
失敗して落ち込んでいる若者を見ることがある。そんなとき、僕はいつもこう声をかける。
「失敗する人と失敗しない人の違いってわかるか?」
若者は失敗しない人を優秀だからだと思っている。しかし、そうではない。僕はこう説明することにしている。これまで数十人の若者たちにかけた言葉だ。
「失敗する人は、この方法は成功すると思って臨む。だからうまくいかないと落ち込むことになる。でも、失敗しない人は、この方法は実験だと思って臨む。実験には成功も失敗もない。ただ結果があるだけだ。うまくいくという結果、うまくいかないという結果、どちらが出ても一喜一憂したりしない。その結果を踏まえて次を考えるだけだ。失敗しない人ってのは、実は成功する人のことではないんだ。失敗を失敗だと感じない人のことなんだ」
思い通りにいかないこと、ちょっとしたミス、だれにだってそんなことはあるに決まっている。でも、失敗やミスに際して、その後萎縮するような仕事振りを示したら、その人はそこで終わる。どんなに若くても、どんなに可能性をもっていても、そこで終わってしまう。自分では終わっていないつもりなのに、既にその本質は「もう終わった人」になる。もうその人からは何も新しいものが出て来ない。ミスに萎縮し、挑戦を回避して、慎重を旨に生き始めたとき、職業人としての終わりが始まる。仕事なんて〈フィールドワーク〉なのだ。いや、もしかしたら、人生さえもが〈フィールドワーク〉なのかもしれない。すべては仮説であり、すべては調査であり、すべては実験であり、それを一つ一つ踏み固めながら検証していくことを「人生」と言うのだ。僕はそんなふうに考えている。失敗は分析するものであって、目の前に立ちかった壁ではない。手枷でも足枷でもない。でも、失敗を越えられない壁と感じ、その後の人生に見えない手枷足枷として機能させてしまう若者が決して少なくない。