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教師は見た目が九割?

御多分に漏れず、教師も「見た目」が九割を規定する。容姿が悪いよりは良い方がいいに決まっている。声も悪いより良い方がいいに決まっている。表情も所作も口調も、悪いより良い方がいいに決まっている。

ただ、その良い悪いの基準が一般的な良い悪いの基準と違っているだけである。教師として良いとされる容姿や声や表情や所作や口調は、イケメンともモテとも女子力とも基準を異にしている。「な~んだ、そうか」と安心するのはまだ早い。イケメンでなくてもモテなくても女子力が低くても世の中で生きていけるが、教師としてやっていくうえで、「教師としての見た目」が低いのでは教師生活は絶望的である。あなたは教師という職業をやっていくうえで、その容姿と声をもち、あなたから滲み出る表情と所作と口調の総合として子どもたちの前に現出するのである。

僕に一度でも直に会ったことのある方ならわかると思うが、僕はかなり迫力のある風貌をしている。顔立ちがというよりはガタイの大きさ、目つきの鋭さ、そして常に斜に構えながらも、反っくり返って足を大きく組んで座る態度といったものが、そうした印象を与えるのである。もちろん計算してそうしているわけではない。これが、四十数年の僕の人生において僕が意識することなく、どうしようもなく身に付けてしまった僕らしい振る舞いであるらしい。「らしい」と言うのは僕が自分で気づいたというよりも、他人に指摘されることによって気づかされたからである。

さて、僕は、僕のこの「迫力のある風貌」、また「生意気そうに見える振る舞い」によって、教師としてずいぶんと得をしてきた。子どもたちに面と向かって暴言を吐かれたことがない。殴りかかられたこともない。教壇に立つだけで子どもたちがなんとなく緊張する。怒鳴っただけで必要以上にシーンとなる。若い頃からそんな雰囲気をつくってきた(らしい)。ふつうの教師がベテランになっても躓くことの多いハードルを、僕はなんなく飛び越えてしまえる。だから、ほんとうのことを言えば、僕が使っている技術が僕以外の教師でも使えるのかどうかは甚だあやしい。

しかし、僕の僕たる所以は僕自身にその自覚があるということだ。僕の提案には「原理・原則」とか「システム」とか、どちらかというと乾いたイメージの提案が多いわけだが、ほんとうは、僕自身はかなりウェットに他人に接するタイプの人間である。でも、僕にしかできない提案には意味がないという強い信念のもと、自分の実践からだれでもできる部分だけを取り出して、その心構えの在り方を「原理・原則」として、その学級経営や授業運営のフレームのつくり方を「システム」として提案しているという経緯がある。それでもその提案に触れた方々に「堀先生だからできるのだろう」と言われることがあるが、そういうときには「これができないというのなら、あんたは勉強不足だ」と率直に伝えることにしている。ここで言う「勉強不足」は、「知識がない」という意味ではない。提案者が自分のキャラクターと切り離されたものだけを選択して提案しているなど、その人には想像さえできないのだろうということを指摘しているのであり、あなたの世界観はあまりにも狭く、僕の想定範囲を想像することができないのと同じように、子どもたちの想定範囲をも想像することのできない、教師としては致命的欠陥をもつ人間だよ、という意味である。

僕は職場で若い人を指導するときに、何を措いても「僕の真似をするな」と伝えることにしている。きみにはきみらしい教師としての在り方があるのだと、何度も何度も言うことにしている。そのうえで、まず第一に訊くのが自己認識である。つまり、「自分で自分自身をどういう人間だと思っているか」ということだ。彼ら彼女らは精神的なことを言うのが常だ。「気が小さい」とか「熱意はもっている」とか「この仕事に向いているかどうかがわからない」とか、そんなことである。でも、僕は間髪を入れずに言う。「おまえはいい子ちゃんに見える」とか「きみは美人だ」とか「ガタイがデカい」とか「年より老けて見える」とか「きみはオタクっぽく見える」とか「きみは声が裏返ることがある」とか「きみの笑顔は引きつっている」とか、つまり、「見た目」の印象をである。腹を立ててはいけない、子どもたちもそういう印象を抱く、きみの教師としてのスタートは子どもたちにそうした印象を抱かれるところから始まるのだと。その見た目や雰囲気に合ったスキルしか身につける意味がないと。若者たちは当初、その意味を理解できない。しかし、教師生活が始まって三ヶ月も経った頃、子どもたちとの関係づくりに難点を感じ始めた頃、僕の言っている意味に気づき始める。このハードルを越えられるか否かが教師にとって決定的だと僕は思う。

教師の「見た目」の良し悪しとは、「教師としての見た目の総合力」に一貫性をどれだけ担保できているかにかかっている。そう言って良いと思う。

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