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スキルとキャラクター

あなたの周りに力量の低いと思われる若者がいたとしましょう。「彼」或いは「彼女」に対して、あなたは「ダメだなあ……」と感じています。彼らは何が、どこがダメなのでしょう。例えば、やたらと子どもたちを怒鳴ったり脅したりしている。若いのにもう少しいろいろ工夫してみればいいのに……。例えば、やたらと子どもたちに迎合し、わがままを許しているように見える。その場しのぎの連続が時間が経つにつれてその若者の首をしめている。例えば、現象面だけを、形だけを整えようとしているものだから、子どもたちに指導が落ちていない。その場が収まれば満足しているようにあなたには見える。結果、同じような失敗を何度も何度も繰り返しているのを見て、あなたとしては歯がゆい。こんなことがよくあります。あなたから見ると、この若者には教師として「成長したい」という成長願望があるのだろうかと疑問にさえ思えてしまう。いつの間にか、周りからの期待値も下がり、本人もそれを感じて悪い循環に陥ってしまう。そんなこともよくあります。

こうした現象には二つの側面からの原因があると僕は感じています。

一つは若者側の問題です。どんな若者にも成長願望はあります。周りには非常にスムーズに教育活動を行っている、いわゆる「仕事ができる」と言われる中堅・ベテランが何人もいる。子どもたちを育てることはやり甲斐のある仕事であると誰もが語る。そんな日常を送りながら、彼らもまた周りの見様見真似で、教育活動を行っているのです。自分も子どもたちを育てられるようになりたい。自分も滞りなく仕事に当たれるようになりたい。そう思わない若者はおそらく皆無です。

しかし、教師としての成長には先にも述べたように、「OS」の成長がなにより必要です。なのに彼らの多くは「仕事ができるようになる」ということを「仕事をうまくまわせるようになること」「仕事を効率的にできるようになること」、要するに「仕事をうまくこなせるようになること」と捉えています。成長願望はあるのですが、それが「現象的な成長願望」となっている場合が多いのです。「コスパ世代」とでも言うのでしょうか、或いは「消費者感覚世代」とでも言うのでしょうか、それが教師としての成長を阻害している側面があります。

「コスパ」を優先したり「消費者感覚」で物事に当たることの最大の特徴は、「自分自身が守られている」ということです。「自分自身は変化する必要がないと考えている」と言った方が伝わるでしょうか。もう少し詳しく言うなら、「自分が変わるのではなく、なにかうまく、効率的に仕事をまわせるスキルがあって、それを使いこなしさえすれば仕事がこなせるようになる」といった感覚です。こうした若者になにより必要なのは、「教師として成長する」ということが、決して「技術を身につけ、それを使いこなせるようになること」だけを意味するのではないということを実感的に捉えてもらうことです。

例えば、効果が高いと言われる教育技術Aというものがあっても、その技術Aを教師Bが用いた場合と教師Cが用いた場合とでは、その効果が異なるということを実感的に捉えてもらうのです。教師Bと教師Cとでは教師としての、或いは人間としての〈キャラクター〉が異なります。同じ教育技術Aを使ったとしてもその機能性が違うのは当然のことです。教師Dが技術Aを使った場合にはプラスに機能するどころかマイナスにさえ機能してしまうということだってあるかもしれないのです。「どこかに子どもたちをうまくまわせるスキルがある」「自分もそれを身につけて効率的に仕事を進められるようになりたい」と考えている若者には、この感覚がありません。彼ら彼女らが「どうすればいいんでしょうか」と方法を訊いてくるのはそういうことです。

〈キャラクター〉の成長というと、それは「人間的な成長」を意味するように思われ、いわゆる「徳のある人間」になることと思われがちです。そんなことは一朝一夕では不可能だよ、という話にもなりがちです。しかし僕が言っているのはそういうことではありません。例えば、ちょっと例が古くて恐縮ですが、菅原文太先生や高倉健先生が子どもを脅すのとアンガールズ先生が子どもを脅すのとでは、同じ「そんなことをしたら没収するよ」という言葉だったとしても機能がまったく異なります。前者は脅しが利きすぎて子どもたちが怖がってしまうかも知れませんし、後者は皮肉や嫌みに聞こえてかえって教師が反感を買うかもしれません。教育技術というものは教師の〈キャラクター〉と一体化していて、教師から分離して効果を発揮するものではないのです。

すると、二つ目の問題である、教える側の先輩教師の問題点も見えてきます。若手教師から相談されると、先輩教師の側は自分がうまく使いこなしているスキルを教えます。そして若手がそれをやってみてうまくいかないと、技術のせいではなくその若者が使いこなせていないからと捉えます。若者がそのスキルの機能や使うべき場面、使う方法(段階的に使っていくとか機能を高めるための段取りとか)をよく理解していないから機能しないのだと感じてしまいます。しかしその技術はほんとうに、その若手教師の〈キャラクター〉に合致したものだったのでしょうか。その観点が抜け落ちているのです。先輩教師の側が実はその技術がなぜ成功しているのか、自身の〈キャラクター〉とどのように合致していたのかという分析を欠いたまま教えているとよくこういうことが起こります。それは実は、先輩教師の側にもスキルが〈キャラクター〉から独立して存在しているような、そんな幻想があることを示してもいるのです。

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