教師にふさわしいリーダーシップがある?
テレビ・新聞の報道もインターネット上の報道も複雑な事象や複合的な要因を一つの単純な物語に落とし込む。メディアとはそういうものだ。人々はシンプルでわかりやすい情報を求める。消費とはそういうものだ。だからメディァは顧客満足を優先して、わかりにくく複合的な情報の複雑さを切り落とし、できるだけシンプルなパッケージにして商品化する。そして、そういう商品化された情報だけを日常的に浴びている子どもたちや保護者は、無意識に学校教育にもそれを求める。説明責任とか結果責任とかいう言葉はそうして生まれた。シンプルでわかりやすい説明、シンプルでわかりやすい結果しか理解しようとしない。
しかし、学校教育は消費者に満足いただける製品をつくる機関ではない。毎日のように学校で起こっていること、行われていることは複雑で、その要因も複合的である。問題は教師の側も消費者的発想に陥ってしまっていることだ。教師の側にも無意識のうちに学校教育で起こる事象の複雑さを捨象し、複雑な要因を捨象してしまおうという心的機制が働いてしまっていることだ。「知識人はどんな場合にも、ふたつの選択肢しかない。即ち、弱者の側、満足に代弁=表象されていない側、忘れ去られ黙殺された側につくか。或いは大きな権力の側につくか」と言ったのはエドワード・ザイード(「知識人とは何か」)だが、教師もシンプルでわかりやすい結果を求め、シンプルでわかりやすい説明しようとするために、子どもの側につくか学校の側につくか、つまり弱者の側につくか強者の側につくかという選択肢で判断している傾向がある。
一人の子どもの指導事案、例えばある子が万引きをしたとか、ある子が別のある子に暴力を振るったとか、加害者が一人であるなら、教師がシンプルな判断をしたとしても事はすんなり運ぶ。
しかし、教師のこうした悪弊が顕在化するのは、多くの場合、子ども同士のトラブル、保護者同士のトラブルを巡る事案が起こったときである。例えば、いじめ事件が起こり、複数の加害者と被害者がいるという場合である。或いは最近よく見られるSNS上のトラブルなんかの場合にも被害者・加害者が入り乱れて現象する。子ども同士の、保護者同士の利害が対立する。「僕だけじゃない」「なぜ、僕だけが悪者にされるのか」「僕だってやられたことがある」「うちの子はあの子に悪い影響を受けてやってしまっただけだ」などが出てくると、交通整理がひどく難しい。シンプルに判断しわかりやすく説明するということができなくなる。こうした事案をどう解決するかが、教師の実力を測る基準にもなるし、その後の教師の評価をも決めることになる。
こうした複雑な事案、複合的な要因をシンプルに判断しようとし過ぎると、教師は子どもや保護者から信頼を失いかねない。例えば、いじめはいじめだ、加害者が悪いという一方的な判断を施そうとしたり、或いはこれまでのことはともかくとして、今回の事案だけを指導の対象とするから、以前のことは今回は取り上げないというような指導の仕方をしようとしたりすると、教師は反発を買う。ここで必要なのはじっくりと腰を据えて、今回の事案にかかわったすべての子の言い分を全部吐き出させることである。二、三日かかっても仕方ないと大きく構えることも必要だ。
子どもたちから見て、教師のリーダーシップには二種類がある。一つは教師がぐいぐい引っ張ってくれ、さまざまなトラブル事案を解決してくれるというタイプのリーダーシップ。子どもたちはこの先生に任せておけば安心だと確かに教師を信頼し、安心して学校生活を送ることができる。多くの教師はこういうのをリーダーシップだと思っている。だから、多くの教師は何かトラブルがあったとき、なんとか自分の力で解決しようとする。事例を学びながら、こういうときはこういう指導、こういう事案はこういう解決の仕方と頭のなかで分類する。
しかし、リーダーシップというものは決してマニュアル化した手法を教師が属性として手に入れられるというものではない。そのときどきに教師がどういう動きをしたか、子どもたちとどういう関係性を築こうとしたか、そうした文脈のなかで成立する概念なのである。その意味で、いまは引っ張ってはダメだ、まずは全員からよく話を聞こうというリーダーシップもある。これを「聞き耳のリーダーシップ」と言う。
日本人はリーダーが自分の話を聞いてくれたという、俗に言う「ガス抜き」が行われただけで不満の何割かが解消されてしまうことが多い。大人ならよくあることだ。きっと読者の皆さんにも経験があるはずである。実は子どもだって同じなのだ。複雑な事象、複合的な要因をもつトラブル事案には、まずは腰を据えて「聞き耳のリーダーシップ」を発揮することだ。聞いているうちに、話しているうちに、少しずつ少しずつ、教師にも子どもにも解決の方向性が見えてくる。
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