6割主義の教師論
6割主義の教師論。僕の持論である。
10割の力を発揮して教師をやると、何か不測の事態があると余力がなくて糸が切れてしまう。10割の力を発揮して教師をやっていると、隣の教師が学級崩壊を起こしたとき、隣の教師が心の病で休職したとき、隣の教師が育児や介護で年休を取ったとき、その人達が邪魔者になってしまう。常に6割主義で仕事をしていると、いつなんどき何が起こっても、自分の余力で対応できる。みんなが6割主義なら、だれかに何かがあったとき、だれもがだれもに優しくなれる……。
問題はAさんの6割とBさんの6割は違うということ。30の力量をもつ人の6割は18だが、50の力量をもつ人の6割は30だ。だから常に6割主義で仕事をするという姿勢を維持しながら、力量20の人が25に、力量30の人が40に、力量50の人が75に……という意識で力量を高めて行く必要がある。そういう研修体制の確立とともに、6割主義で現場を動かす人事やシステムの構築が必要だ。
簡単に言えば、こんな論理だ。僕がずーっと言い続けている「必要なのは優しさと技術である」を現代的に体現する論理である。頑張りすぎてはいけない。自分のためばかりでなく、他人のためにも、学校現場のためにも。終わりなき日常教育を生き抜くためには、それしかない。この国の学校教育をドラスティックに変えようという妄想は抱かないほうがいいと思っている。どこかに歪みが生まれる。この国はそういう国だ。
頑張れ。努力しろ。ああやれ。こうやれ。そういう教育論はもういい。そういう「イケイケドンドン」の戦時の流れを汲んだ発想をやめよう。ゆったり、みんなで小さな幸せを享受しよう。みんなで「御陰様で…」と言い合おう。それが一番幸せだ。