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「AL」と「主体的・対話的で深い学び」

パラレルワールド。この世界と並行する、選択によってはあり得たかもしれない「可能性としての現在」。

たった数年前のこと。もしもあのとき、文科省が「アクティブ・ラーニング」というイメージ語を引っ込めなかったとしたら……。英語活動もプログラミング教育も教育機器としてのICTも「AL」という一つのものの要素として捉えられていただろう。いや、高校の論理国語や小中の道徳授業改革さえ、ALを機能させるための基礎的指導としてその「一つのもの」の中に回収できていたかもしれない。英語活動に専心する教師と道徳授業に専心する教師とが「国際理解」というキーワードで協同研究するとか、論理国語とプログラミング教育を通じて小学校教師と高校教師とがともに小中高連携の夢を見るなんてことも起こっていたかもしれない。そこにICT機器の議論がからんで、「AL」という語のどこか前向きなイメージと螺旋上昇を描き始めたかもしれない。特別支援教育も通常学級の外にあるものとして意識されるのでなく、内部へ内部へと協働のムーヴメントを起こし得たかもしれない。

しかし、いま、この世界ではばらばらである。「主体的・対話的で深い学び」という語にこれらを統合する力はない。言葉とはそういうものである。

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