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いつも上機嫌な大人として立つ
教師にとって最も必要な資質……。それは「いつも笑っていること」です。これを基準に自分の教師生活を振り返ってみることが必要です。そうするとすべきことが見えてきて、すべきでないことも見えてきます。やらなければならないことが見えてきて、やりたいことの優先順位も見えてくるようになります。
あなたは学校にいる時間が楽しいですか?
即座に「楽しくない」と答えた人も問題ですが、即座に「楽しい」と答えた人も問題です。即座に答えられるということは、実はあまり物事をちゃんと考えていないことを意味するからです。少なくとも学校での自分の在り方を多角的に捉えているとは言えない、それだけは確かでしょう。
学校に勤めていると、楽しいこともあれば楽しくないこともあります。自分は楽しいと感じているし、学級の多くの生徒たちも楽しいと感じているのですが、学級の中に数人だけそう感じていない生徒がいる、そういうこともあり得ます。即座に「楽しい」と答えた読者は、そういう視点をもっていない可能性が高い、と私は思います。
一方、即座に「楽しくない」と答えた方は、一度、胸に手を当てて、自分が教職に向いているか否かということを真剣に考えてみた方が良いかもしれません。私は教師の資質の第一として「いつも笑顔でいること」を挙げましたが、こう言うとよく「そんなことはできるわけがない」と反論されることがあります。
しかし、そういう人は何かを間違えています。仕事の選択を間違えたのかもしれないし、仕事の手法を間違えているのかもしれません。或いは生徒や保護者、同僚との距離感覚を間違えているのかもしれないし、仕事の優先順位を間違えているのかもしれません。いずれにしても、このままではいけないということだけは言えそうです。
実は、生徒たちを教育するうえで、「そばにいつも上機嫌で過ごしている大人たちがいること」にまさる教育効果の高いことはありません。教師は常に生徒たちのモデルとして機能します。もしもあなたが生徒たちと和気藹々と過ごしたいと感じているならば、或いはいつも和やかに過ごす生徒たちに育てたいと思っているならば、生徒がどうこうと考えるよりも、まずは自分自身が常に上機嫌でいられているか、つまり「いつも笑顔でいること」ができているかと考えるべきなのです。
いつも機嫌よく過ごすためにはよく寝なければならないし、余裕をもって仕事を進めなければならないし、生徒たちのトラブルやハプニングさえ楽しめるような心の余裕をもっていなければなりません。それができないうちは実は教師としての実力もまだまだなのです。
ためしに、休み時間に廊下に立ってみましょう。あなたの周りに生徒たちは寄ってきますか? もし寄ってこないとしたら、生徒たちから見てあなたには〈不機嫌オーラ〉が出ているのかもしれません。
いや、生徒なんてそんなもんだ、なんて思ってはいけません。かつてと異なり、現在、「教師というものはだれでも嫌いだ」などという生徒はほとんどいないのです。多くの生徒たちが子どもっぽさを残したくったくのない生徒たちなのです。事実、あなたの学年や学校に、廊下を歩いているだけで生徒たちに取り囲まれる、そういう教師がいないでしょうか。そしてその教師は、いつも上機嫌で生徒たちの前に立ってはいないでしょうか。楽しくないことがあっても、多少体の調子が悪かったとしても、生徒たちの前では上機嫌に振る舞ってはいないでしょうか。教師にとって最も求められる、大切な姿勢はこの振る舞い方なのです。
いつも笑顔でいること。これができないということは、おそらく人生を楽しめていない場合が多いのではないか、私はそんな気がしています。仕事とプライベートを分けて考える人にそういう人が多いようにも感じます。しかし、少なくとも教師がこの二つを分けて考えるなんてナンセンスなのです。両者はどう考えても連続しているし相互補完しているのです。だって、教師ってそういう職種なのですから……。
まずは〈上機嫌〉に振る舞ってみる。今日は無理だなあ……という日は、その原因がどこにあるのかを自己分析してみる。寝不足が原因かもしれないし、仕事がたまっていることが原因かもしれないし、はたまた昨日の夫婦喧嘩が尾を引いているのかもしれません。そういう原因が自覚できれば、けっこう対処の仕方というのはあるものです。それを意識して生徒たちの前に立っているうちに、特に意図的に振る舞わなくても、ほんとうに上機嫌でいられるようになるものです。
私はかつて、このことをある年下の女性同僚から教わりました。もちろん彼女が「堀先生、いつも上機嫌でいることが大切なんですよ」と私にレクチャーしたわけではありません。彼女の振る舞い方が私にこのことを学ばせたのです。
私がこの女性同僚と出会った頃、彼女の家庭は大変な状況でした。大きな悲劇を抱えてた、と言っても過言ではありません。彼女は独身だったのですが、父親が脳の病気で命は取り留めたもののリハビリ中、母親は認知症を患い施設を出入りしている、そんな状況でした。
しかし、そんな状況でも彼女が学校において、片時も笑顔を絶やすことはありませんでした。それどころか、常に楽観的な性格を装い、周りの教師たちや生徒たちを励ます始末……。
実は数年経って、私の父も脳溢血で倒れ、リハビリ生活を余儀なくされることになるのですが、私は自分がその立場に立って、改めて彼女のすごさ、すごさというよりも「凄味」を知った思いがしました。
彼女は決して能力的にものすごく高いとか、仕事がすごくできるとか、そういうわけではありませんでしたが、当時学年主任だった私は彼女に対して大きな信頼を寄せ、学年の大切なことはほとんどすべてを彼女に相談しながら進めました。何より彼女の明るさが私の学年にもたらす好影響は計り知れないものがありました。いつも笑顔でいることは、生徒たちにとってのみならず、職員集団にも良い影響を与えるのです。
私は学年主任をするときに、仮に、いつも苦虫を噛んだような表情の非常に能力の高い教員と、能力的には並みだけれどもいつも笑顔でいる教師がいたとしたら、間違いなく自分の学年には後者が欲しいと思っています。それほど、この「いつも笑顔でいること」は、私にとって、教師の資質として大切な大切な条件であると位置づけられています。