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【オリジナル小説】令和な日々 女子高生編
令和3年7月26日(月)「夏の予定」日野可恋
『遊びに来るのを首を長くして待っているうちに、こんなに長くなってしもうたわ』
ノートパソコンの画面に、ろくろ首のように首を長くした祖母の画像が映し出されている。
加工だと分かっていてもちょっと悪趣味な感じだ。
リアルタイムの映像に切り替わると祖母は得意げな表情になっていた。
私がツッコミを入れる前に、ひぃなが『ごめんなさい。コロナが落ち着いたら必ず行きますから。可恋が生まれ育ったところを見てみたいです』と祖母の言葉を真に受けて謝罪した。
『陽稲ちゃんが謝ることやないよ』と祖母は決まり悪そうに話す。
『大阪に行けないことくらい分かるでしょ。だいたいいつも……』と私が追い討ちを掛けようとすると、『そのくらいにしといてや。可恋がいっこも連絡をくれへんからこんな手の込んだネタを仕込んだんや。どや、うまくできとったやろ?』と祖母は私の言葉を遮った。
私が一瞬言葉に詰まると、『お婆ちゃんの独り暮らしやのに娘も孫も冷たいわ。連絡をさっぱり寄越さへん。育て方が悪かったんかなあ。陽稲ちゃんだけやで、心配してくれるのは。この前もお手紙書いてくれてほんま嬉しかったんやで』と一方的にまくし立てた。
祖母の口の達者振りは私や大学教授の母以上である。
そもそも一緒に関東に来ないかと誘ったのに住み慣れた大阪が良いと本人が残ったのだ。
私はそこを指摘したい気持ちを押しとどめ、不毛な議論ではなく早く会話を終えるために『何かあったの?』と問い掛けた。
『ワクチン、ようやく打てたんや。もう1回打ったら陽稲ちゃんの顔を見に行くから楽しみに待っといてや』
つい、『遅くない?』と尋ねてしまう。
祖母は『かかりつけの先生のとこ予約したんやけど、最初は8月やって言われたんやで』と大声で語り出す。
そこからどこそこの病院ならいつ打てただとか、知り合いの誰それはいつ打ってもらっただとか聞いてもいないことをペラペラと喋り始めた。
こうなると止めるのが難しい。
ひぃながタイミング良く相づちを打つものだからさらに調子に乗る。
知り合いの近況なら私も聞く気になったが、近所の野良猫の話や最近ハマっている趣味のことなどはどうでもよかった。
毎回こうなるから連絡を取りたくないって気づいて欲しいと言いたいところだが、それを口にするとますます話が長くなってしまう。
『2回目を打ったあと2週間くらい経たないと十分な抗体ができないから』
『それくらい勉強してるわ。そうやって相手をアホやと見下すのが可恋の悪いところやな。陽稲ちゃんの爪の垢でも煎じて飲んだ方がええんとちゃうか』
私が隙を突いて発言しても即座に反論が返ってくる。
喋っていないと死ぬ呪いでも受けているのかと思うような人だが、頭の回転だけは速い。
孫相手にも歯に衣着せぬ物言いで容赦がないので油断をすると致命傷を負ってしまう。
『祖母が元気そうで安心した。当分、声を聞かなくても平気なくらいに』
『陽稲ちゃん、可愛げのない孫で心からお詫びするわ。これからも愛想尽かさんと面倒見たってや』
ひぃなは『頑張ります!』と溌剌とした声で答えている。
仏頂面になった私を無視して祖母はひぃなと挨拶を交わしてビデオチャットを終えた。
私は座っていたソファの背にもたれ掛かる。
精神力がごっそりと持って行かれたような気分だ。
「可恋って身内相手だと聞き流すことができないんだね」とひぃながぐったりした私を見て言った。
私もまだまだ子どもだということだろう。
祖母相手だとムキになってしまう。
仕事で忙しかった母よりも一緒に過ごした時間が長い相手だけに、ほかの人と同じ接し方をするというのは難しかった。
「”じぃじ”はワクチン2回終わったからお盆の前にこっちに来るみたい」
北関東に暮らすひぃなのお祖父様とは私も連絡を取り合っている。
溺愛する孫に会いたくて、私たちが夏休みに入ってすぐにこちらに来るつもりだったようだ。
日帰りできる距離なのでもっと頻繁に顔を見に行きたいが、東京に出て来ると会いたいと言ってくる連中が多くてかなわんとぼやいていた。
これまでは地方の名士として盆と正月に多くの客を招待していた。
経営者として一線を引いて時間が経つものの彼の家には引きも切らぬ来客があった。
新型コロナウイルスの蔓延によってその機会が失われているが、東京に出て来れば会わないといけない人が結構いるらしい。
結局この夏は息子たちの家を訪問する目的だけと限定することでそれらをやり過ごすそうだ。
「私もお礼を言わないといけないんだけど、どうおもてなしをしたらいいか……」
ひぃなは「”じぃじ”は格式とか気にしない方だと思うよ」と言うが、社会人としての礼節は必要だ。
とはいえ東京はオリンピックの金メダルラッシュの蔭に隠れているが新規感染者数が急増している。
ここ神奈川も独自の緊急事態宣言を出すほどに厳しい状況が続く。
7月12日に発出された4回目の緊急事態宣言により東京の人流は減少傾向にあるとはいえ今後の感染状況は予測がつかない。
私が未成年なので酒宴は最初から想定していないが、どういった形で謝意を伝えるか悩ましいところだ。
「可恋でも困ったりするんだ」とひぃなは言うが、「決められた通りにすればいいだけなら簡単なんだ。でも、今回は微妙な綾があって難しいんだよ」と私は言い訳をする。
春休みにもお祖父様は東京にやって来た。
ひぃなの誕生日と高校進学を祝うことが目的で、お一人での上京だった。
ただひぃなの家だけを訪問したことでいろいろあったようだ。
お祖父様は3人の息子たちに財産を遺さないと宣言している。
しかし、ひぃなに対しては多額の援助を行い、この春には彼女が入学した臨玲高校に莫大な寄付も実行した。
心中穏やかではないほかのふたつの家はひぃなの両親に対して文句を言ったようだ。
お祖父様が臨玲に持つ思い入れについては彼の息子たちも知らないことだ。
臨玲の新校舎建設にお祖父様の影響力がある会社が絡むようにしたのはそうした反発を和らげる目的もあった。
上京した時の接待もそうした文脈の中に位置づけられる。
「ひぃなのお母さんは大丈夫?」
彼女の母は昨年末に心臓の病で倒れ、今年の春に退院して現在もリハビリ中だ。
気丈な人なので仕事も一部再開しているらしいが、在宅の仕事よりもお祖父様を家に迎えることの方が負担は大きいだろう。
「今度はちゃんと挨拶をするって張り切っていたけど、無理はさせたくないよね」とひぃなは表情を曇らせた。
普通の嫁と舅という関係でも気を遣うのに、相手が一代で財をなした傑物となれば尚更だ。
孫には甘いが気難しい面もあって応対には神経を使う。
私なら未熟者だからと言い訳が立つ。
だが、実花子さんはそういう甘えを自分に許さないだろう。
「周りがサポートするしかないね」と私は言って、お祖父様の上京中はひぃなが母親の側にいられるように計画を立てる。
ひぃなも仕方がないという顔つきでそれを受け入れた。
今年の夏休みは長いし気軽に旅行ができる環境でもないので、自宅でのんびりできそうなものだが現実はままならない。
「来年の夏は仕事やしがらみから解放されて、海外で1ヶ月くらいのんびりできたらいいな」
そんな私の呟きにひぃなは「海外に行っても絶対に可恋は仕事をしまくると思う」と疑わしげな目を向ける。
心外だと思い、「睡眠や食事、運動の時間を除いて12時間あるとすると、4時間勉強、4時間仕事に充ててもまだ4時間残るよね」と説明する。
1日4時間もあれば十分のんびりと言えるだろう。
「そこは仕事の時間を削ってわたしと遊びに行ったり買い物したりお喋りしたりする時間にしてよ」
残った4時間を読書や研究に充てることをひぃなに読まれていたようだ。
1本取られたという顔で私は「善処します」と返答する。
彼女は「富江お祖母ちゃんから可恋の面倒を見るように頼まれたから、高校生なのに仕事をし過ぎな性格をどうにかしないとね」と頬に手を当てて考え始めた。
危険な雰囲気を察した私は「服を買いに行こう。お祖父様をお迎えするのに相応しい服を」と提案する。
ひぃなが祖母の影響を受けてあの押しの強さを身につけては大変だ。
混ぜるな危険の文字が頭に浮かび、私はいそいそとファッションの話題へと誘導した。
††††† 登場人物紹介 †††††
日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長を務める傍ら、臨玲理事、NPO法人代表、プライベートカンパニーの経営を行っている。
日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。可恋と同居している美少女。相手を観察し感情を読み解くことが得意。ここに祖母の押しの強さが付加されることを可恋は恐れたらしい。
日野富江・・・可恋の祖母。デリカシーに欠けるとよく言われるがバイタリティは溢れている。
日々木実花子・・・陽稲の母。横浜のデパート勤務。コロナ禍で退職し起業することも考えていたが病に倒れた。その後も退職の意思はあったが会社側からの引き留めに応じリハビリに励んでいる。
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