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【オリジナル小説】令和な日々 女子高生編

令和3年8月2日(月)「希望のひかり」加納紅美


 スマートフォンからアップテンポなリズムの音楽が流れている。
 あたしは演劇部の部室の薄暗がりの中でジッとそれを見つめていた。

 ここは部室棟ではなく講堂の裏手にある倉庫の一角のような場所だ。
 正式な部室は部室棟にあるが、普段そこは使用されていない。
 階段を上がらないといけないし、練習場所である部室棟裏にも接しているので本来倉庫であるここが事実上の部室として利用されていた。
 ただし、冷房器具は扇風機だけなので、夏場は暑い。
 1年のあたしはここでの冬を経験していないが寒さも厳しいらしい。
 部長は冷暖房のあるぬくぬくした環境にいては良い芝居はできないと言うが、実際に汗をダラダラかいているとエアコンが欲しくなってしまう。

 それはさておき。
 首に掛けたタオルで汗を拭いながら、あたしはスマートフォンの映像に注目する。
 いま何組かのダンス系ユーチューバーのコラボ生配信が行われている。
 今日はこれが楽しみで、演劇部の練習を抜け出してあたしはひとりここでスマートフォンに釘付けになっていた。
 見つかったら注意くらいはされるだろうが、部長がいない時の演劇部は比較的ルーズなのでキツく叱られることはないだろう。

 ついに、お目当てだったダンサーが登場した。
 名前はHikariさん。
 この春から活動を始めたばかりだが、すでにかなり知られた存在だ。
 特に先日公開されたものは歌唱しながらの激しいダンスで、フェイク動画なのではないかという声も出た。
 その彼女がほかのユーチューバーと共演する生配信とあっては見逃せない。

 アイドルのような可愛い顔をしていながら、プロのようなキレキレのダンスを踊る。
 長い手足をダイナミックに使い、ダンスだけでも目を奪われてしまう。
 まずは顔見せといった感じで華麗にダンスを決めると、画面に向かってニコッと微笑んだ。
 同性でも胸がときめくくらいキュートな笑顔だ。

 彼女は普段からほとんど喋らない。
 ほかのコラボメンバーからお疲れ様と声を掛けられても笑みで返すだけだ。
 折角の機会なのだから彼女の生の声を聞かせてよと思って見ていたが、すぐに別のユニットのダンスになってしまった。

「堂々とサボってるね」

 その声に思わず振り向く。
 ニヤニヤ笑いながらあたしの背後に部長が立っていた。
 男役をこなすことが多いだけあって、パッと見はとても男性っぽい。
 あたしは慌てて立ち上がり言い訳しようとしたが、部長は「いいよ。もうすぐみんなも来るから」と言ってウインクを飛ばした。

 部長はてっきり休みだと思っていた。
 活動日数回に一度しか参加しないし、今日はまだ見ていなかったからだ。
 あたしはスマートフォンをどうしようか迷ったが、部長が配信に興味を持って色々聞いてきたので消すに消せなくなった。
 質問に答える形で説明しているうちに、いよいよコラボメンバー全員による歌とダンスが始まった。

 Hikariさんがセンターに立ち、音楽とともにほかのダンサーたちが彼女の周囲で踊り出す。
 ひとりだけヘッドセットを付けたHikariさんは右手を胸に当て想いを込めるように切々と歌い始めた。

 水槽をイメージした舞台。
 ダンサーたちはその中で泳ぐ熱帯魚のような衣装を身に纏っている。
 出だしのサビは、自由で広々とした世界から狭い水槽に閉じ込められた哀しみに満ちたものだった。
 これがコロナ禍に自由を奪われた若者たちを代弁する歌だと伝わってくる。

 最初のサビが終わるとHikariさんもダンスに加わる。
 あたしは部長のことを忘れ、ただ画面にのみ集中していた。
 目まぐるしい動きに息を呑み、前傾姿勢になって自分のスマートフォンに顔を近づける。
 そこにHikariさんの高らかな歌声が鳴り響く。
 突然圧縮していたものが解き放たれたような感覚が襲ってきた。

 それは歓喜に満ちた歌だった。
 閉ざされた世界であっても生きているという喜びを歌に乗せ、ダンスに乗せていた。
 こんな小さなスマートフォンの画面からでも彼女たちの感情がほとばしっているように見えた
 歌声の迫力、音楽の高揚感、ダンスの躍動。
 圧巻のパフォーマンスにあたしは圧倒され、気づけば大声を上げて泣いていた。

「よしよし」と優しくあたしの頭を撫でてくれたのはミハル先輩だ。

 映像に夢中になっているうちにほとんどの部員が戻って来ていたようだ。
 あたしは鼻をすすりながら、「あたしも、こんな風に、想いを伝えられるようになれるでしょうかぁ……」と叫ぶ。
 涙でグズグズになった顔を上げると、先輩たちは気まずそうに視線を逸らしている。
 ただひとり、部長だけがあたしを真っ直ぐ見つめていた。

「悪い知らせだ。8月の公演は緊急事態宣言のせいで中止になった」

 部長のその言葉に、ほとんどの部員は予測していたのか反発の声は上がらない。
 それでも溜息や舌打ちが聞こえてきた。

「観客の前での舞台を踏ませてやれなくて申し訳なく思う」と部長はよく通る声で言葉を続ける。

 こんな状況だから仕方がないと頭では分かっていても、現実を受け入れるのは難しい。
 先ほどの歌のように、いま自分ができることを頑張るしかない。
 でも、演劇をやりたくて臨玲に入学したのに……。
 その想いが胸を焦がすようにあたしを苦しめた。

 あたしは中学時代に友だちと演劇を見に行ってハマった。
 プロの芝居は素晴らしい。
 しかし、数多く見て回るうちに中高生でも凄い劇をするのを知った。
 そして自分でもやってみたいと思うようになった。
 残念ながら中学には演劇部がなく、創部しようと頑張ってはみたがうまくいかなかった。
 演劇に対する情熱はそれで冷めることはなく、ますます燃え上がった。
 演劇部のある高校に行きたいと思い、あたしが選んだのは校外での活動に力を入れていた臨玲だった。
 演劇部の大会のようなところではなく、一般の人の前で演じたい。
 未経験者のあたしがどれだけできるかは分からない。
 ただ全力をぶつけて、どんな反応があるのかを見てみたかった。

 コロナ禍で辛い思いをしているのはあたしだけではない。
 それは事実だ。
 演劇界はプロでも苦境に陥っている。
 部長が苦労してようやく一般のお客さんの前で演じる機会を作ってくれた。
 それに向けて本格的に準備を始めた矢先にこうなってしまった。

「せめて公演をユーチューブで公開するのは?」と部員のひとりが尋ねたが、部長は「勝手に動画を上げれば全員退学だって言われている。高階や初瀬のことがあるから」と力なく首を振った。

 詳しくは知らないが退学した高階さんにまつわる不祥事が表に出ることを学校側は恐れているらしい。
 またプロの女優である初瀬さんの肖像権やプライバシーとの関係で生徒からの情報流出にも神経を尖らせているそうだ。

「生徒会長をぶん殴ってでも許可を取るつもりだけどね。だけど、芝居は客がいてこそだから」

 部長は苦渋の色を顔に浮かべた。
 だが、すぐに力強さを取り戻して部員たちの前で語り出す。

「さっきの歌にはみんな勇気づけられたと思う。今度は我々がこの想いを多くの人に届けよう。そのための舞台は必ず用意するから」

 部長は右手の拳を握り締め、誓うようにそれを顔の前に掲げた。
 即興のお芝居を観ているかのような感覚に囚われる。
 でも、いまあたしは観客ではない。
 同じ舞台に立つ仲間なのだ。

「部長!」とあたしは立ち上がる。

「あたし、精一杯頑張ります!」


††††† 登場人物紹介 †††††

加納紅美《くみ》・・・臨玲高校1年生。演劇部。

Hikari・・・ダンス系ユーチューバー。著名なユーチューバーである式部のプロデュースを受けて広く名前を知られるようになった。

新田《にった》空子《くうこ》・・・臨玲高校3年生。演劇部部長。鎌倉のみならず近隣の劇団・演劇サークル・劇場・市民ホール等管理団体などにこまめに顔を出し、協力関係を築いている。

斎藤海晴《みはる》・・・臨玲高校2年生。演劇部。この高校では珍しく自分の家のことを一切話そうとしない。

細川景樹《かげき》・・・臨玲高校2年生。演劇部。座付き作家兼大道具。もちろん前者が本業。

 * * *

「さすが部長やね」と呆れ顔のミハルに「紅美ちゃんを味方につけて、あっという間に部員のやる気を引きだしたもの。普通なら公演中止で落ち込んでいる頃なのに、みんな張り切って練習に打ち込んでいるのだから、たいした人だよね」と肩をすくめて応じる。

 部室でサボっているのはあたしたちふたりだけだ。
 いや、あたしには舞台から動画に切り換えるのに伴う脚本の変更という口実がある。

「ミハルもサボらずに練習したら?」

「まだどういう形の舞台になるか分からんやん。決まってからやね、稽古するのは」

 そう言って笑ったミハルだったが、すぐに表情を曇らせ「しっかし、世の中には才能のある人間が多すぎやな」とぼやいた。
 どうやら気になっていたのは部室に入ってきた時に見た動画のことのようだ。

「ミュージカルの真似事みたいなことするから分かるけど、ほんまにちょっと動くと声が出えへんようなるもんや。あんだけ踊りながら完璧に歌いこなすなんてバケもんやで」

「高校生くらいだったよね?」

「どんな鍛え方したら……ちゅーか、ありゃ才能やろな。凡人では手が届かんレベルちゃうか」

 座付き作家兼大道具のあたしは演技のことはよく分からない。
 ミハルの言う踊りながら歌うことの凄さも。
 ただ我が部の看板女優が言うのだからそうなのだろうと思うだけだ。

「バケもんは初瀬紫苑だけで十分や!」と吠えるミハルに「凡人は凡人なりに頑張るしかないんじゃない」とつまらないことを言ってしまう。

 ミハルはこちらをジロリと睨むと「劇団は総合力や。役者の力量が足りへんのならシナリオでカバーするしかあらへん。頼んだで。さっきの歌を越えるヤツをお願いするわ」と無茶を言い出した。
 あたしは「ごめん、失言だった」と素直に謝る。
 下手なことを言うとしばらくネチネチ言われそうだったからだ。

「PV稼ぐなら色気で対抗するしかないよね。主演女優に脱いでもらおうか」と主演女優に向かって言うと、平然とした顔で彼女は「良いよ。そやけど全員道連れで退学やな」と言い返した。

 聞こえるのは蝉の声と吹奏楽の音、そして演劇部員の発声練習だけだ。
 公演を動画配信に切り換えても果たして誰が見てくれるのか。
 あたしやミハルはそういう方向にすぐ目が向いてしまう。
 部長からはそういうヤツは必要と言われているが、こういう時に演劇だけに集中できないという欠点がある。

「そういやあのHikariって子、臨玲コンテストの時も出とったよね?」

「ああ、そういえば副会長の横で踊っていたような……」

「生徒会の知り合いやったら出てもらうとか? もちろん初瀬さん貸してもらえるんならそれが最高やけど」

「それだ!」とあたしはミハルを指差す。

 利用できるものは何でも利用しないと。
 せっかくみんなが気合を入れて取り組んでいるのに、惨憺たる視聴者数だと目も当てられない。
 少しは自信を持つことができる数字が欲しい。
 そのためなら生徒会に土下座する……のは嫌だけど、精一杯お願いするくらいならしても良いのではないか。

「部長は?」とあたしが周囲を見回すと、ミハルは「あの人はフラッとおらへんようになるから」と苦笑した。

 あたしはスマホを取り出し『景樹です。お願いがあります』とメッセージを送る。
 他人の力を借りることに部長がどんな反応を示すかは分からない。
 これがダメだったら、あたしの名前をもじって「臨玲の女子高生によるカゲキなお芝居」みたいな詐欺まがいのキャッチコピーで誘うしかない。
 これなら停学くらいで許してもらえるだろう……か?

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