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【オリジナル小説】令和な日々 女子高生編

令和3年7月7日(水)「陽稲から教えられたこと」日野可恋


 試験期間中でも日常の業務はこなさなくてはならない。
 テスト前の勉強はひぃなのノートを借りて読むくらいなので時間的には問題はない。
 だが、中には神経を張り詰めなくてはならない定期連絡もあった。

『残念でした。何と声を掛ければ良いのか分からず……』

『ええって。気にせんといてって言うても難しいやろけど、こればっかりは気持ちを切り換えるしかないからなあ』

 私に謝罪の言葉を使わせるよりも速く、電話の相手は明るい声でまくし立てる。
 サバサバした声の中に複雑な感情が交じっていると感じるのはうがち過ぎだろうか。

『これからも競技に支障のない範囲でよろしくお願いします』

『もちろんや。むしろこっちこそ代表選手に選ばれてドーンとF-SASの宣伝しようと思とったのにできんくなってごめんやわ。もういらんとか言わんといてな』

 こんな時でも自虐ネタを入れるのは関西人特有のノリではあるが、彼女の心遣いを感じる。
 篠原アイリス。
 女子バレーボールの日本代表候補。
 女子学生アスリート支援のNPO法人である”F-SAS”の共同代表である。
 そして、先月末に発表された東京オリンピックのメンバー選考に涙を飲んだひとりでもあった。

 彼女は高校卒業後にバレーボールのトップリーグのチームに所属しつつ大学生として勉学にも勤しんでいる。
 その上、広告塔的な役割がメインとはいえF-SASの顔も務めてもらっている。
 日本のスポーツ界では競技のみに専念することが美徳とされる傾向にある。
 そのためファンのみならず身近なところからも批判の声はあるようだった。
 それを弾き飛ばすくらいに元気で明るく振る舞う姿に私はいつも感銘を受けていた。

 落選後にSNSで簡単なやり取りはしたが、こうして電話で会話をするのは初めてだった。
 彼女はまだ若く3年後もチャンスはあるだろう。
 ただ他人がそれを口にしたところで慰めになるかどうかは分からない。
 ビジネスライクな会話には慣れたが、今回のように人間力が試されるものだと私の経験不足が露呈する。
 こういう時はひぃなの方がずっと上手くやれると思う。
 結果的に、篠原さんに助けられる形で電話を終えることとなった。

「可恋、大丈夫?」

 リビングに行くと、ひぃながすかさず声を掛けてきた。
 彼女はほんのわずかな感情の揺らぎでも気づいてくれる。

「篠原さんと話したよ。こっちが元気づけられてしまって反省中」

「それでいいんだよ、可恋」

 ひぃなの力強い肯定の言葉に私はホッとする。
 上手く話そうと思うのは自己満足に過ぎない。
 いまは率直に思いを伝えることが最善であり、篠原さんにはもう少し落ち着いてから感謝の意を表すことにしよう。

「わたしからも連絡しておくね」と話すひぃなに「よろしく」とお願いする。

 しばらく明日のテストに備えて勉強し、一段落ついたところでお湯を沸かすためにキッチンに向かう。
 今日は昼間は陽差しがあって気温がぐんぐん上がっている。
 試験中なので昼過ぎに帰宅したが、ハイヤーから降りた瞬間の外気には閉口した。
 寒さに比べれば暑さは平気だ。
 だが、その言葉を撤回したくなるほど不快な蒸し暑さだった。
 マンション内の快適さに感謝をしつつ、私は食料品の買い物に行くかどうか頭を悩ませる。

「はい、お茶」と淹れ立ての紅茶をひぃなに出す。

「ありがとう、可恋」

 どんな煩わしさも吹き飛ばす笑顔を向けられ、私は心が軽くなった。
 彼女も勉強に一区切りついたようだ。
 前回は高校生になって初めての定期テストで苦戦したので、今回はかなり入念に準備をしているようだ。
 何ごとにも前向きに捉える彼女の姿勢は私にとっても大いに刺激になる。

「雨がまた降る前に買い物に行こうか」

「じゃあ着替えて来るね!」といまにも立ち上がらんばかりの勢いでひぃなが答えた。

 私はベランダのある窓の方を眺めつつ、「もう少ししてからにしよう。まだ暑そうだし」と声に出す。
 ひぃなもそちらに視線を向け、「そうだね。じゃあ、着替えて来るね。日焼け止めも塗らなくちゃいけないし」と腰を上げた。

 彼女と暮らし始めて1年以上が経つ。
 その中でもっとも思い知らされたことは「美しさを保つには相応のコストが必要になる」ということだった。
 ことあるごとに着替えようとするのは単なる彼女の趣味だが、一方で肌の手入れや髪のケアなど至極の可愛らしさをキープするために行う努力は想像を超えている。
 高い品質のものを使えば簡単に済むという訳にもいかず、とにかく手間暇を掛けることが求められる。
 彼女自身は手慣れたものだ。
 それでも、ひとりではできない部分もあるのでそこは私が手伝うようになった。
 毎日繰り返される儀式のような時間。
 それは決して無駄なものではない。
 部屋を美しく保ったりキッチン道具をピカピカに磨き上げたりするのと同様に、生活に必須の行為である。
 しかも、その効果はどれほど素晴らしい美術品を飾るよりも遥かに大きい。
 美の価値を知ったと言えば大げさかもしれないが、美しくありたいと願う真っ直ぐな気持ちは本人だけでなく周りにもプラスの影響を与えるのかもしれない。

 惜しげもなく白い脚をさらしていたショートパンツ姿から清潔感のあるロングのワンピースに着替えてひぃなが戻って来た。
 彼女は肌が弱く紫外線が大敵なので、露出の多い服を外では着ることができない。
 そのせいか肌を晒すような服はマンション内限定だ。
 いまだに小学生に間違われることがあるので、そういった服を着てもセクシーさはまったく感じない。

 すっかり冷めてしまった紅茶を口に運ぶひぃなに、私は「そういえば、F-SASのホームページに美容関係のコーナーを作ろうと思うんだけど」と話し掛ける。
 彼女は目をキラキラさせながらこちらを見た。

「トップアスリートは化粧禁止って時代でもないしね」

「メイクも大切だけど、スキンケアは絶対に知っておくべきよ。あとになって取り返しがつかないことだってあるんだから!」とひぃなが力説する。

 私も過去に何度も彼女の指導を受けた。
 健康には人一倍気をつけていても肌のことまでは考慮していなかった。
 しかし、彼女はいまの行動が10年後20年後に結果となって肌に表れると理詰めで私を説得した。

「ひぃながいつも言うように、服装やメイクはメンタルに影響を与えるからね。それに人前に立つ機会が増えれば身だしなみの整え方も覚えておく方がいいし」

 そういうことに興味がない選手に押しつけるつもりはないが、興味がある選手にはサポートをしたい。
 トップアスリートでいられる時間は限られていて、人生はそれよりもずっと長く続くのだ。
 幅を持つことが人間性を豊かにし、それが強さに繋がるという考え方もある。
 少なくともそうした強さは簡単に折れることはないはずだ。

「アルバイト代は出すから、ひぃなに監修してもらうよ」

「アルバイト代はいいから、可恋で練習をさせて」

 あまりに見事な切り返しだったので、つい「それくらいなら」と答えてしまった。
 だが、ひぃなは「早速」と言ってメイク道具を取り出し、狂喜乱舞した目で私の前に立つ。

 ……ちょっとその目が怖いんだけど。


††††† 登場人物紹介 †††††

日野可恋・・・臨玲高校1年生。NPO法人F-SAS共同代表。実質的な運営は彼女が主導で行っている。大人びた外見で、特に目つきが怖いとよく言われる。

日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。女神や天使と喩えられる美少女。ロシア系の血筋が色濃く反映していて、日本人とは思えない肌の白さを有している。性格は温厚で博愛主義者だが、ファッション関連のことになると目の色が変わってしまう。

篠原アイリス・・・大学2年生。女子バレーボールのトップリーグに所属するアスリート。日本代表選手だが東京オリンピックのメンバーには選ばれなかった。

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