【オリジナル小説】令和な日々 女子高生編
令和3年10月6日(水)「出逢い」日々木陽稲
下校中いつものようにハイヤーの後部座席に腰掛け、スマートフォンを見つめていた。
突然、隣りに座る可恋がわたしの身体を引き寄せた。
何ごとかと顔を上げようとした瞬間、急ブレーキの音とともにハイヤーが急停止した。
可恋が庇ってくれたので、衝撃はほとんどない。
何かに接触した感じもしなかった。
しかし、停止した車の前に立ち竦む少女の姿を見て背筋が冷えた。
可恋は道路脇に車を駐めてもらうようお願いし、慌ただしく車を降りた。
わたしも可恋のあとを追い掛ける。
命の大切さを誰よりも知る可恋からは怒りのオーラを感じたからだ。
「大丈夫? ケガはない?」
可恋の問い掛けに制服姿の少女は何の反応も示さない。
わたしは臨玲高校の新しい制服作りのために関東一円の私立学校の制服を研究したので、それが東京の有名私立中学のものだと気づいた。
できるだけ優しい口調でその中学の名前を出してそこの生徒か尋ねてみた。
彼女は少し現実に引き戻されたように、力なく頷いた。
「東京の学校だよね? 中学生? この辺りから通っているの?」
答えやすい質問を繰り返すことで徐々に彼女は普通に返答できるようになった。
そこで、様子を見計らいながら「ケガはなかった?」とか「何かあったの?」と核心に近づいていく。
「15歳になってしまったの……」
フレームのない眼鏡の奥にある聡明そうな目が絶望に打ちひしがれている。
マスクで顔の半分が隠れていても可愛くて、とても人生を儚む必要なんてありそうに見えないのに……。
「それで?」と可恋が口を挟んだ。
その声は尖っていて、気が弱い少女なら怯んでしまいかねない。
だが、目の前の中学生は特に何とも思わないのか、淡々と言葉を続けた。
「15歳までに奨励会に入ると誓っていたのに……。もうそれが叶わなくなったから。死ねば、もう一度やり直せるかなって……」
「ショウレイカイ?」とわたしが聞き慣れない言葉を問い返すと、彼女の代わりに可恋が「将棋のプロ棋士の養成機関」と素早く答えた。
「奨励会を目指しているということは女流棋士にはなれるんじゃないの?」
可恋の質問に少女は「あんなの、本物じゃない」と叫ぶように答えた。
これまで感情を見せなかった彼女が急に激しい態度を示したことに少し驚いた。
一見、とてもおとなしそうに見えたのにこんな激情を秘めていたなんて。
わたしは他人の感情を読み取ることには自信がある。
しかし、まだ会ったばかりのこの少女についてはもっと情報収集が必要なようだ。
「将棋の才能がないから、もう生きていく価値がないの!」
思い詰めた表情の少女に対して、可恋はじっと目を細めている。
まるで相手を見定めるように。
「えーっと、わたしにも分かるように教えてくれないかな?」
わたしは少女の感情を和ませるように明るい声を出した。
無邪気そうな笑顔を向けると、仕方ないなという顔つきで子どもに教えるように話し出した。
「その人が言ったように、基本的にプロの棋士になるためには奨励会に入って、そこで成績を残すしかないの。年齢制限もあるから、奨励会に入れてもプロになれるのはほんの一握りなのよ」
そこまで一気に説明すると、彼女は大きく息を吐く。
そして、女流棋士についても教えてくれた。
女流棋士は女性だけがなれるものであり、プロ棋士はおろかアマチュアのトップにも及ばないそうだ。
あとで可恋が女流棋士の中にはプロ棋士と対等に戦える人もいると教えてくれたが、少なくとも彼女にとっては取るに足らないものという認識なのだろう。
「いままでに奨励会を抜けてプロになった女性はいない。その第一号になれると信じていたのに……」
「簡単に諦めるんだね」
可恋の言葉に少女は顔を上げて睨みつけた。
少女は15歳になったと言うが、その年齢にしては小柄な印象だ。
一方、可恋は高校1年生にしては大柄で、雰囲気も大人と変わらないものを醸し出している。
「あなたに何が分かるのよ! 才能のある人は中学生のうちに棋士になるの。遅くとも10代のうちに棋士になれなければ大成できないわ!」
「そうやって結果ばかりを追い求める人は大成できないだろうね。それは将棋に限らない。才能とは、その競技に打ち込み、結果ではなく内容の向上に喜びを見出す人のことを言うんじゃないかと思うようになったよ」
睨み続ける女子中学生にわたしは可恋のことを紹介する。
オリンピックの銀メダリストから一目を置かれるほどの空手の選手であり、女子学生アスリートを支援するNPO法人の代表であり、トレーニング理論の研究者であるということを。
ほかにも高校の理事を務めたり、プライベート企業を経営していたりと多彩だが、凄すぎて現実味が乏しくなるのでそこまでは言及しなかった。
少女は信じられないという顔つきでわたしの話を聞いていた。
紹介が終わると、可恋は「将棋はマインドスポーツのひとつとして興味を持っている。AIの活用にも関心があるしね」と値踏みするような視線を彼女に向けた。
「いろんなトップアスリートと交流を持っているけど、簡単に諦める人は才能以前の問題だよ」
また死んでやると言い出しはしないかとハラハラしたが、少女は怒りに我を忘れているようだ。
これほど熱くなる性格なのはスポーツ選手向きのような気がするものの、挑発に乗りやすいのは勝負師としてはどうなんだろうか。
「どうしようもなかったのよ!」
「本当に?」
「生理になるとこんな風にイライラしたり情緒不安定になったりして将棋どころじゃなくなってしまうのよ!」
周りに人がいないとはいえ街中で声を上げるにしては不穏当な内容だ。
ギョッとするわたしをよそに、可恋は冷静に「重いのなら婦人科で診てもらいなさい」と口にした。
「……それは」
「死ぬより難しいことなの? 体調が悪ければ医師に診てもらう。当たり前のことよ」
「でも、生理は……」
「重い場合は病気が潜んでいる可能性もある。だいたい他人と比べられるものではないでしょ? 素人判断するのではなくプロの意見を求めるのは自然なことじゃない。信頼できるところを紹介するわ」
可恋は病気とのつき合いが長いだけにごく自然にそう考えるのだろう。
普通の中学生にとって婦人科はかなり行きにくい場所だと思う。
しかし、可恋からすればコンディションを整えるためにベストの行動をとるのを躊躇う気持ちが理解できないらしい。
「AIは利用しているの?」と可恋が話を変えた。
今度も少女は「それは……」と口を濁す。
可恋は「よくそれで才能がないなんて言い切れたものね。プロの棋士はAIを利用することに抵抗があっても強くなるために採り入れていると聞くのに、弱いあなたがそれでどうするのよ」と畳み掛ける。
「楽に結果を出したいと思っているから才能なんて言葉に逃げるのよ。死んだつもりで、いままでのやり方をすべて変えるくらいの気持ちで取り組みなさい。結果ではなく強さだけを追い求めてね」
少女は言葉を失ったかのように黙り込んだ。
それでも眼鏡越しに見える目はギラギラと生気を放っていた。
「将棋って文化系だと思っていたけど、なんだか体育会系みたいだね」とわたしがポツリと感想を述べると、少女は「殺し合いのバトルだから」と応じた。
運の要素の絡まない戦いだけにすべてが当人の実力であり、一回一回の対局が殺すか殺されるかを争う勝負なのだそうだ。
ようやく落ち着いた彼女は先ほどまでとは違い可恋に対しては礼儀正しく接するようになった。
可恋のことを認めたということなのだろう。
こういうところも体育会系っぽい。
一方、わたしには……。
彼女は「心配をかけてごめんね」とあやすようにわたしの頭を撫でた。
わたしと可恋は同じ臨玲の制服姿だが、この制服はバリエーションがあり、可恋はスラックスだし大人っぽい装いになっている。
だから、わたしと可恋を同学年だと認識できなかったのは仕方がない。
だが、誕生日の関係で同じ年齢とはいえ、わたしの方が少女より学年は上だ。
咳払いをしてから「わたしは高校1年生なの」と胸を張る。
少女はキョトンとした顔でわたしを見た。
臨玲の学生証を見せてもまだ信じてくれない。
「将棋を指す小学生は割と大人びた子が多いから、そんな感じかなと思っていたよ」
まだタメ口だと怒ってみせたが、可愛らしいものを見る目つきで彼女は和んだ表情をしている。
死にたいという気持ちは払拭されたようなので、いまはこれでいいか。
こうしてわたしたちは足利柊子ちゃんと巡り会ったのだった。
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。生徒会副会長。日本人離れをした容姿の持ち主だが、いまだに小学生に見られることが悩みの種。駆け出しのファッションデザイナーでもある。
日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。過去に医師から二十歳まで生きられないと告げられた経験があり、命を軽視する態度には厳しく当たる。このあと柊子には筋トレのメニューを組んであげた。曰く、筋力と集中力には正の相関があるかもしれないとのこと。
足利柊子《とうこ》・・・都内の有名私立中学に通っている15歳。将棋は研修会に所属。そこで一定の成績を上げるか、奨励会の試験に合格すると奨励会員になれる。
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