【オリジナル小説】令和な日々 女子高生編

令和3年7月23日(金)「開会式の夜」日々木陽稲


 テレビの大画面にカラフルな衣装に身を包んだ選手や関係者たちの姿が映し出されている。
 東京オリンピック2020の開会式。
 その入場行進だ。

 マスクをしていても選手たちの晴れやかな顔からはこの場に立てる喜びが伝わってくる。
 新型コロナウイルスという世界規模の感染症によって大会は1年延期され、開催も危ぶまれた。
 毎日検査を受け、陽性となれば試合に挑むことができなくなるかもしれない。
 そんな不安があっても選手たちは世界中に届けられるこの舞台で誇らしげに顔を上げている。

 わたしはスポーツのことは詳しくない。
 入場に使われている曲がゲーム音楽ということで一部に盛り上がりを見せているらしいが、そちら方面もよく分からない。
 しかし、それぞれの国や地域における自分たちの文化を世界に知らしめるために選んだ衣装には目が釘付けになった。

「騎馬民族の衣装だよ」

 非常に手の込んだ刺繍が彩り鮮やかだ。
 もっとじっくりと――1時間くらい前後左右上下から眺め回していたい気持ちだが、残念ながら画面は次の国へと切り替わって行く。

「中央アジアの国だね。元ソ連なのでロシアの影響もあるんじゃないかな」

「後ろの人のブラウスはフランスっぽさを感じるなぁ。ロシアってフランス文化の影響を強く受けたんだよね」

 隣りに座る可恋はアスリートでありながら入場行進よりも手元のスマートフォンを眺めている時間が長い。
 セレモニーにはあまり興味がないようだ。
 ソファにもたれかかり、もう眠たそうな顔をしている。

「神瀬《こうのせ》舞さんが入場してくるところまでちゃんと見ないと」とわたしが言っても、「録画しているのだから明日見るよ」と最後まで見る気はないらしい。

「これって盛大なファッションショーみたい」

 オリンピックの開会式をこんなに真剣に見るのは初めてだ。
 前回リオデジャネイロの時はまだわたしは小学生だった。
 スポーツに興味がなかったので、開会式の様子もダイジェストでチラッと見た程度だと思う。
 こんなに個性が強いものだと知ったら過去の大会のものも見てみたいものだ。

「それにしても長いよね」と可恋は欠伸をしている。

 普段ならそろそろベッドに入る時間だ。
 リアルタイムに見なければダメということはないが、わたしは画面の前から離れがたい魅力を感じていた。
 いまこのショーを世界中の人々が一斉に目にしている。
 コロナ禍で失われていた一体感のようなものがここにあるような気がした。

「3年後のパリでは純ちゃんと可恋が入場行進をしている姿をスタジアムで見てみたいな」

「純ちゃんは可能性があるけど、空手は今回限りだから私は無理だね。それに海外のスタジアムで、私や純ちゃんがいない状態でひぃなを外に出すなんてできないよ」

「護衛ならキャシーに任せるとか」

「彼女には無理だよ。いくら強くても護衛対象をほっぽり出して襲撃者を追い掛けて行っちゃいそうだし」

 可恋の言葉通りの光景がパッと浮かんでしまう。
 キャシーには悪いが、護衛対象よりも戦闘を優先するイメージは拭えない。
 可恋曰く、複数の護衛のひとりなら良いが単独では怖くて任せられないそうだ。

「護衛は強ければ良いというものじゃないから。戦わなきゃならない状況を作らないことが最善だしね」

 日本国内なら襲撃を受けても警察を呼んで彼らが来るまで時間稼ぎをするのがベストらしい。
 可恋が戦闘力のないわたしのお姉ちゃんを護衛役として信頼しているのも、それをキチンと理解しているからだと教えてくれた。

「ひぃなは護衛されていることに慣れているから良いけど、護衛役と護衛対象の信頼関係も非常に大切だね。襲撃者に対峙しながら護衛対象のことも警戒するなんて大変だから」

 これは常々可恋から言われていることだ。
 護衛してもらう側は決して勝手な行動をしないこと。
 非常時には護衛役の判断を信用してその言葉に従うこと。
 それが守られなければ、護衛対象も護衛役も危険に陥ってしまう可能性が高い。

 私は子どもの頃から常に誰かに守ってもらっていた。
 自分が非力だという自覚があったので以前から可恋が言う鉄則はなんとなく理解していた。
 そんな危険な目に遭うことはほとんどなかったけれど……。

「私、ひぃな、紫苑の3人でいる時に襲われたら、紫苑を差し出して逃げる時間を稼げるから彼女の存在はありがたいよね」

「いやいやいや。それは人としてどうなの?」

「可能性の話ってだけだよ」と笑った可恋は「こんなことばかり考えているから人相が悪くなるのかもね」と肩をすくめた。

 わたしは感極まった声で「……ありがとう、可恋」と口にする。
 彼女は常にわたしのことを考えてくれている。
 どれほど感謝をしても足りないくらいだ。
 護衛のことだけではなく多くのものを彼女から与えらてもらっている。

「ひぃなと出会わなかったら、今頃私は高校に行かず空手と財テクに明け暮れていたと思う。それに比べれば遥かに充実した日々を送っているよ。ひぃなと共に居ることが私の幸せだから」

「わたしだって可恋と出会わなければ、どうなっていたか分からないよ。ひとりで臨玲に入学して無事に過ごせたかどうかも分からないし、ただのファッションデザイナーを夢見るだけの女の子だったと思うし」

 高階さんという脅威を取り除いてくれたのは可恋だ。
 可恋がいなければ純ちゃんが臨玲に入学することも不可能だった。
 ファッションデザイナーという目標が現実味を帯びてきたのも可恋のお蔭だ。

「ひぃなには夢を実現させる力があるから大丈夫だったんじゃない」と可恋が微笑む。

 周りから女神や天使と呼ばれることはあるが、もちろんそんな大層な力は持っていない。
 あれば良いなとは思うけれど。

「ずっとずっと可恋と一緒にいられるという夢が叶ったら、その力を信じるよ」

 可恋は目を細めわたしを見つめる。
 右手を伸ばしわたしの髪をかき上げ、頬に手を当てた。

 その時、テーブルの上に置いてあった可恋のスマートフォンに着信があった。
 チラッとそちらを見ると神瀬《こうのせ》結さんからの電話だと表示されていた。
 入場行進は後半に入り、日本の出番が近づいている。

 可恋はグイッと身体を寄せてきた。
 顔が近い。
 その黒い瞳は電話のことなどまったく目に入っていないようだった。

「……可恋」

 電話だよと言い掛けたわたしの唇を彼女の唇が塞ぐ。
 わたしは目を閉じ、最愛のパートナーに身体を委ねる。
 部屋の中にはゲーム音楽とアナウンサーの声だけが流れていた。


††††† 登場人物紹介 †††††

日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。ロシア系の血が色濃く外見に反映した美少女。可恋と同棲中。

日野可恋・・・臨玲高校1年生。空手・形の選手。実力はかなりのものだが大会にはほとんど出ていない。

安藤純・・・臨玲高校1年生。陽稲の幼なじみ。競泳選手で次世代のホープと評価されている。

キャシー・フランクリン・・・16歳。インターナショナルスクールに通う空手家。現在はアメリカに帰国中。

日々木華菜・・・高校3年生。地元の公立高校に通う陽稲の姉。重度のシスコン。

初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。陽稲たちのクラスメイト。超有名女優だがハリウッド進出を目指し可恋を手に入れようとしている。

神瀬《こうのせ》舞・・・空手・形の選手。東京オリンピック日本代表。金メダルの有力候補。

神瀬《こうのせ》結・・・中学3年生。舞の妹。空手・形の選手。可恋に憧れの気持ちを抱いている。

 * * *

「可恋、起きて!」

 キスをしながらのし掛かってきた可恋は呆気ないほど簡単に睡魔に魅入られた。
 あの切なげなキスも眠気で頭がぼうっとしていたからかもしれない。
 なんだかがったりしたわたしもそのままソファで可恋に覆い被されたままウトウトしてしまった。
 そして、可恋の重さとあることで、わたしは目を覚ました。
 テレビでは開会式が終わってドラマが流れている。

 可恋に抱き締められていて嬉しいものの、体格差があるのでわたしは身動きが取れない。
 というか、いまのわたしは抱き枕のような状態だ。

 目の前には可恋の寝顔。
 肌と肌が触れ合いじんわりと熱い。
 彼女の睫毛を見ているだけで幸せな気分になる。
 問題はわたしを起こすほどの尿意が襲ってきていることだった。

「可恋!」と呼び掛けながら下から軽く揺さぶる。

 無理をすれば抜け出せるかもしれない。
 だが、下手をしたらソファから転げ落ちそうだ。
 そんなに高くはないので怪我はしないと思うが、頭を打ったら大変だ。

「起きて! ベッドに行こう、可恋」と先ほどより強く起こす。

 しかし、「んー」とさらに強く私の身体にしがみついてきた。
 がっちり押さえ込まれた状況だ。
 彼女はアスリートだけあって見た目以上に力がある。

 もうのんびりはしていられない。
 この非常時にわたしは最後の手段を試みる。
 かろうじて自由になる両手で可恋の脇腹を刺激する。

 最初は反応がなかった。
 繰り返すうちに「あんっ」と鼻にかかった甘い声が彼女の口から漏れた。
 普段の彼女からは想像できない声にわたしは顔が真っ赤になる。
 躊躇う気持ちともっと彼女の反応を見たい気持ちの間で心が揺れ動く。
 とはいえ切迫した状況だ。
 天秤の張りが傾き、わたしは容赦なく可恋の脇腹を揉んだ。

 可恋は身体をくねらせ、わたしに自分の身体をこすりつける。
 柔らかいというよりも筋肉のゴツゴツした感触が服ごしに伝わってくる。

「可恋!」と耐えがたい悲鳴がわたしの口から漏れた。

 可恋の動きがピタッと止まった。
 超至近距離で彼女が目を開く。
 すぐさま自分の体重を支えて、「大丈夫? ひぃな」と何食わぬ顔で尋ねた。
 わたしは「トイレ!」と我慢できずに叫ぶ。
 それだけで状況を察した彼女はサッとソファから降りるとわたしをお姫様抱っこで持ち上げた。

 飛ぶような速度でわたしをトイレまで運ぶ。
 嬉しさと恥ずかしさが入り混じり感情がうまくコントロールできない。
 可恋はわたしをトイレに投げ込むと、「着替えを持って来るね」と言って目の前から消えた。

 声を大にして言いたい。
 漏らしてはいないと。
 ほんのちょっぴりだけだ。
 漏らしたうちには入らない。

 こうしてお互いにとって恥ずかしい一夜は更けていくのだった。

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