【オリジナル小説】令和な日々 女子高生編
令和3年7月25日(日)「3校合同イベント」香椎いぶき
「3校合同イベントの実行委員の募集があったの」
瑠菜がそんな話をしたのは夏休みに入る少し前のことだ。
わたしはすぐには何のことか分からず、「3校合同イベント?」と聞き返した。
「臨玲から提案があったって聞いているよ。いぶき、知らないの?」
頭に手を当ててわたしは記憶を辿る。
そういえば聞いたことがあるような気がする。
わたしは高校に入学してからそれほどクラスメイトと交流してこなかった。
期末試験の前に何人かに勉強を教える羽目になり、その後は彼女たちと話す機会が増えたものの、自分から積極的に関わろうとはしないようにしている。
子どもの頃はもっと普通だった。
だが、そういった友人とのやり取りに労力を割くことができなくなった。
妹が生まれて、わたしの生活は一変した。
彼女には障害があった。
両親は妹の世話にかかり切りになったし、わたしもまたそれを手伝うことが当たり前になった。
勉強も介護も学校生活も、すべてを完璧にこなすことはできない。
その皺寄せはいちばん精神を消耗させそうな人間関係のところに行き、それを切り捨てることでなんとかバランスを保っていた。
……結局は逃げ出したのだけど。
こんな生活が永遠に続くのかと思うとわたしは耐えられなくなり、妹のいない場所を求めて家を出た。
高校入学とともに始めた下宿生活でわたしは穏やかな日常を取り戻したが、それは常に罪悪感のつきまとうものだった。
普通の女子高生のような学校生活をわたしが行っても良いのだろうか。
その疑念が頭から離れない限り、クラスメイトと打ち解けることはないだろう。
「生徒会が何か計画しているって聞いたことはあったかも。実行委員の話はないと思う」
「開催は来年のゴールデンウィークを予定しているってことだから、1、2年生でいまから準備をしていくんだって」
瑠菜は乗り気な態度だが、わたしは「ふーん」と興味なさそうに答える。
わたしには関係のないことだ。
しかし、瑠菜は顔を近づけ、「あたし、実行委員になったの!」と嬉しそうに語った。
わたしは上体を反らし、距離を取る。
感情の籠もっていない声で「へー、そうなんだ」と応じたが、当然のように瑠菜は「いぶきも一緒にやろうよ!」とさらに身体を寄せてきた。
「そういうのはちょっと……」と言葉を濁すが、「えー、やろうよー。この寮なんて実行委員にピッタリじゃない」と彼女は言い出した。
確かにここには”3校合同イベント”の3校の生徒が揃っている。
3校とは鎌倉市内にある有名な女子高のことで、わたしが在籍する臨玲と瑠菜のいる高女、そして進学校でもある東女だ。
下宿には各学年2名ずつの6人が暮らしていて、ちょうどこの3校にふたりずつ通っている。
確かにこのイベントの準備には適した環境だろう。
「どんなイベントなのかも分からないし……」
「本当にそうなるのかどうか信じられないけど、新型コロナウイルスに打ち勝ったお祝いのイベントなんだって。これはやるしかないでしょ!」
マスクやソーシャルディスタンス、密を避けるといった”常識”はもうずっと続くものだと感じている。
一斉休校の時は学校が再開されることすら信じられなかったし、感染症対策も形骸化している部分はあるので、いつかは”常識”も消えて行くのだろう。
ただそれがそんなに早く来るとは信じられなかった。
考え込んだわたしに瑠菜が迫る。
わたしの腕を取り、それを抱き締めながら「ね、ね、いいでしょ?」とキラキラした瞳で見つめてくる。
その感触のせいで、上手い断り方が浮かんでこない。
「臨玲では実行委員募集の話は出ていないから」と言うと、「出たら、その時は前向きに考えて!」と押し切られてしまった。
その翌日、謀ったかのように3校合同イベントの件がホームルームで取り上げられた。
生徒会の下に準備委員会を置くそうだ。
クラス委員は興味がある人は生徒会まで問い合わせてくださいと言った。
わたしはクラスメイトでもある生徒会長の方をチラッと見てどうするか悩んだ。
帰宅してから瑠菜を相手にありのままを話す。
彼女に嘘はつきたくなかった。
やりたくないと思っているものの、その理由を言葉で説明できないことも伝えた。
「どうしても嫌なら無理にとは言わないよ」
普段はどこか幼さの残る顔立ちの瑠菜が、真剣な目をしてそう言った。
その真っ直ぐな眼差しが眩しくてわたしは目を逸らしたくなる。
「ただ、いつかいぶきにも打ち込めるものが見つかるといいね。……って、あたしもあるとは言えないんだけどね」
そう言って頭をかきながら微笑む瑠菜は健気で愛しさに満ちていた。
思わず抱き締めたくなるほどに。
それを我慢してわたしは「……打ち込めるもの」と呟く。
「いぶきなら、自分のことよりも他人のために頑張りそうだね」
以前わたしは誰かのために自分をすり減らすことに絶望を感じた。
このまま自分がなくなってしまうのではないかと恐れたのだ。
自分のために生きたいと必死に願った。
そんな我がままを両親は聞き入れ、わたしはここに来た。
あの頃の精神状態からは抜け出したと思う。
当時は妹のことが最優先で、ほかのことはすべて後回しに考えるような感覚だった。
両親からは何度もそこまでしなくていいと言われたが、それが障害を持たずに生まれたわたしの使命だと感じていた。
自分で自分を追い詰めていたと、いまはよく分かる。
そして、いまも逃げ出したという罪悪感に追い回されている。
このまま無為に過ごしていればそれは消えることはないだろう。
誰かのために。
瑠菜と一緒なら。
この罪の意識は少しは薄れてくれるのだろうか。
そして、今日。
ビデオ会議システムを利用して3校合同イベント関係者の顔合わせが行われた。
わたしも自分の部屋からスマートフォンで参加する。
『初めまして。臨玲高校生徒会長の日野可恋です。本日はお時間を取っていただきありがとうございます。来年度開催予定のこのイベントの概要やロードマップをご説明します。また、その担い手たる出席者の方々の交流を目的とした集会ですので、自由闊達に親睦を深めていただきたいと思います』
そんな司会役の堅苦しい挨拶でスタートしたが、女子高生だけの集まりとあってすぐに打ち解けた雰囲気になった。
みんなが望んでいた有名女優の初瀬さんの欠席には不満の声が上がったものの、日々木さんが笑顔を振りまいて事なきを得た。
自己紹介で注目を浴びたのは瑠菜だ。
彼女は寮の存在をアピールし、やる気の高さを見せつけた。
『いいなあ、独り暮らし』『わたしもやってみたい』『家事とか大変じゃない?』『寂しくない?』といった質問が飛び交う。
『良いよ、独り暮らし。毎日、楽しいし』『寮母さんがいるから家事が苦手でも平気』『いぶきがいるから全然寂しくなんてないよ』と瑠菜は丁寧に答えていく。
出席者はコミュ力の高い子が多い。
その中でも瑠菜は際立っていた。
わたしはそんな彼女たちのやり取りを眺めているだけで良いと思っていたが……。
『ふたりって同じ寮なんだよね? どういう関係なの?』
この質問になぜか瑠菜は頬を赤く染めて『うん。一緒に暮らしているの。関係は……ご想像にお任せします』と語った。
蜂の巣をつついたような黄色い声が上がる。
わたしは一瞬にして傍観者ではいられなくなった。
『別にやましい関係じゃないから』
『この前、一緒に寝たよね』
『あれは大雨で避難指示が出ていて2階の部屋に……』としどろもどろになって説明しようとしていると、『あたしとは遊びだったのね』と瑠菜が冗談めかして遮る。
『いや、そういう訳じゃ……』とコミュ力の低いわたしはつい真に受けて答え、画面から笑い声や歓声が上がった。
隣室の瑠菜は『これで公認の仲だ』と喜んでいる。
わたしでは彼女と釣り合いが取れていないと思うが、これ以上の反論はできなかった。
こうして雑談だけで盛り上がった顔合わせが終わった。
最後に日野さんは満足した表情で『こんな楽しい空気を多くの人に届けたいですね』と話し、夏休み中にイベントのアイディアを考えておくよう依頼した。
ふと妹の顔が頭に過ぎる。
障害者だろうとそうでなかろうと同じ人間だ。
特別に心が清らかなんてことはなく、むしろ普段からストレスを抱えているため家族にあたることもよくあった。
大人はそれを受け止められるが、わたしは怒って怒鳴り合ったりもした。
考えてみれば彼女はこんな楽しい雰囲気に触れたことがないかもしれない。
コロナのこととは関係ないが、彼女にも届けられたなら。
そんなことを考えながらわたしはスマートフォンの電源を切った。
††††† 登場人物紹介 †††††
香椎いぶき・・・臨玲高校1年生。真面目で成績も優秀。しかし、将来の目標は特にない。
麻生瑠菜・・・高校1年生。中高大一貫校の高女に通う。いぶきとは同じ下宿の隣りの部屋という関係。
日野可恋・・・臨玲高校1年生。いぶきのクラスメイトで生徒会長。このイベントの発案者。
初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。同世代から圧倒的支持を受ける人気女優。彼女目当てでこのイベントの委員になった生徒も多いが、今日は仕事で欠席した。
日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。生徒会副会長。生身の人間でありながら猫の画像に対抗できる癒やし系決戦兵器。
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