【オリジナル小説】令和な日々 女子高生編

令和3年7月6日(火)「妹」川津雫


「私も雫と同じ臨玲高校に行こうと思うの」

 妹の栞《しおり》はママが作ってくれたハンバーグを箸で切りながら突然そんなことを言い出した。
 あたしは一足早く切ったハンバーグを口元に運んでいた。
 しかし、彼女の言葉を耳にして口を大きく開けたまま凍りつき、ハンバーグの切れ端はテーブルの上にこぼれ落ちてしまった。

「雫、行儀が悪いよ」と妹なのにあたしを名前で呼ぶ栞が姉のように窘める。

 姉を姉と思っていない。
 いつもそうだ。
 あたしより発育が良く、並んでいると誰もが彼女を姉だと間違える。
 頭も良いし、友だちも多い。
 1歳違いの栞はいつの頃からかあたしの保護者を気取るようになった。

「栞は先生方から期待されているのだから、いまのままでいいんじゃない?」

 一緒に食卓を囲んでいるママが妹の意見に異議を唱えた。
 パパは仕事で帰りが遅く、夕食の時間に家にいることは滅多にない。
 両親は栞に甘いとはいえ、進学先の変更をそう簡単には許さないだろう。

「東女って退屈そうだもの」

 栞はハンバーグを美味しいと言って、よく噛んで飲み込んでから志望校の変更の理由を口にした。
 彼女は鎌倉にある女子高の付属中学に通っている。
 あたしも同じ中学の出身だ。
 進学校として知られていて、どうしてあたしが合格したのか本当に不思議だった。
 妹からは何かの間違いで合格したに違いないと言われたほどだ。
 実際、授業にはまったくついていけなかった。
 結局内部進学は諦め、あたしは同じ鎌倉にある臨玲という女子高に進学した。

 そんなあたしに比べ、栞は東女の中等部で優等生として一目置かれている。
 影の薄いあたしは周囲から「栞の姉」とだけ認識されていた。
 顔立ち以外はまるで正反対で、良いところを全部妹に奪われた残念な姉と思われていたのだ。

「そんな理由でパパがオッケーしてくれるはずがないよ」

 うちはパパの方が教育熱心だ。
 あたしが中学受験をしたのもパパに強く勧められたからだった。
 東女に合格した時はパパは大喜びで、あたしもとても嬉しかった。
 しかし、パパの期待に満ちた眼差しがあたしに向けられたのはその時が最後だったかもしれない。

「でも、臨玲って初瀬紫苑を入学させたり校舎を建て替えたりして昔の輝きを取り戻そうとしているんでしょ?」

「……それはそうだけど」

「いまは東女や高女に比べて評価が低いけど、伝統校だし、数年後にはどうなっているか分からないじゃない。それに、そういう学校の方が何が起きるか分からなくてドキドキするしね」

 栞の身体から眩しいオーラのような輝きが湧き出ているように感じる。
 彼女はチャレンジ精神に富み、常に何かに挑んでいる。
 ひっそりと日々を過ごしたいあたしとは対照的だ。

「パパに相談してみないと」と話すママに、「絶対に説得してみせるよ」と栞は自信に満ちた表情で語った。

 彼女なら成し遂げてしまうだろう。
 そう思うと、料理の味が分からなくなってしまった。
 ただ機械的に喉の奥に流し込み、あたしは逃げるように自分の部屋へ向かう。

 あたしはベッドの上に腰を下ろすと、はーっと長い溜息を吐く。
 臨玲高校に入学して3ヶ月ほどが経つ。
 栞の姉という見方はされないが、影が薄いことには変わりがない。
 幸い、教室内でちょっとした会話を交わす相手はできた。
 でも、それだけだ。
 仲が良い友人とまでは言えない。
 家と学校を行き来するだけの毎日であり、楽しみと言えるようなものは何もなかった。

「日々木さんが声を掛けてくれた時だけは……。だけど、最近は……」

 高校で面と向かってあたしの話を聞いてくれたのは日々木さんただひとりだ。
 高校生とは思えない幼い外見だが、その笑顔には包容力がある。
 あたしは人前ではアガってしまってうまく話せない。
 それでも彼女は急かすことなくあたしの話に耳を傾けてくれる。
 こんな優しい人がこの世にいたなんてと感動してしまうほどだ。
 とはいえ、彼女はクラスメイトに対して平等に接しようとしている。
 昼休みや放課後は生徒会メンバーと一緒にいるので、残ったわずかな時間をクラス全員で分け合うことになってしまう。
 あたしが彼女に時間を取ってもらえるのは週に1回程度だ。
 それすら最近はほかのクラスメイトのことにかかり切りで、割いてもらえなくなっている。

 それ以上を望むのはあたしには無理だろう。
 何の取り柄もないあたしが、彼女に興味を持ってもらえるはずがない。
 いまだって彼女の慈悲に縋っているだけなのだから、これ以上を求めてはいけないと分かっている。

 そんなことを考えていると、コンコンとドアがノックされた。
 あたしが返事をしないので、続けざまにコンコンと音が鳴る。
 ママならすぐに名前を呼ぶから、扉の向こうにいるのは栞だ。
 居留守を使ったところで意味はないが、声を出す気になれなかった。

「雫、いるんでしょ」

 痺れを切らしたように栞が呼び掛ける。
 彼女は一度やろうと決めたら、とことんやり続ける性格だ。
 こんな些細なことでも変わらない。
 あたしが返事をするまでノックをし続けるだろう。

「なに?」

 いつものように根負けして尋ねてしまう。
 彼女は「話があるの」と言った。
 勉強中だと答えることも考えたが、あたしは渋々腰を上げてドアを解錠する。
 栞が中に入れないように半分ほど開けたドアから顔を出して話を聞くことにした。

「雫は私が臨玲に行くの、嫌なの?」

 無表情の栞は怒っているようにも見えるが、決して問い詰めるような口調ではなかった。
 怒っている時の彼女は声がもっと刺々しくなる。
 だから、あたしは萎縮せずに「別に」と答えることができた。

「本当に? さっき嫌そうにしていたじゃない」

「嫌って言えば嫌だけど、どうでもいいって言えばどうでもいい」

 確かに最初に聞いた時は嫌だと感じた。
 中学時代の再現になると思ったからだ。
 だが、そうなったところでいまとたいして変わらないと気がついた。
 だったら、反対して言い争うだけ無駄なことだ。

 しばらく黙り込んだ栞は、「そう」と口を開く。
 表情は変わらないが、声音はいつもより低い。

「……お姉ちゃんさ。そんなのでいいの? もっとやりたいこととかさ、何か」と彼女は言い掛け、「……ごめん」と続きを自分で遮った。

 そのまま背を向けて妹は自分の部屋に向かう。
 普段のような力強さは感じられず、彼女はまだ中学生だという当たり前のことが突如として頭に浮かんだ。
 掛ける言葉を持たないあたしは姿が見えなくなるまでその背中を見つめていた。


††††† 登場人物紹介 †††††

川津雫・・・臨玲高校1年生。中学は同じ鎌倉にある東女の中等部に通っていた。

川津栞・・・中学3年生。雫の妹。東女の中等部に在学中。優等生であり周囲の信頼も厚い。

日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。生徒会副会長。雫のクラスメイト。

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