想いを次世代にツナグメディア、なんてことを考えてみる。
人類はリレー方式でつながっている生命体だな、なんてふと思う。
遺伝子的なものをDNAに刻み込みながら記憶は繋がっていき、アカシックレコードのように霊的な記憶も引き継ぎながら、人類はリレーをしている。
ただ、一生懸命に生きる。
それだけで本当は良いのかもしれないけれど、人類はこれまで “自分たちにも分かるような形” で、文字や絵、建造物、写真、映像として残してきた。
今後はもしかすると、半永久的なAI生命体がそれらの役割を担うとか出てくるかもしれないけれど、それでも人は何かを次世代に残したいと願う衝動がある。
「生きた証を残したいと思う」
人は自分を「表現」したい生き物だと思う。
その手段はさまざまで、自分にとって最適なものを選び、人は「ツナグ」ということをしてきた。
こうしてnote に文章を残せば、一人ひとりと直接会わなくても、こうして読者という読み手の方とつながることができる。
最近目立つのは、企業の社長だったり、影響力を持つフリーランスであったり、次世代的・未来的な取り組みをする研究家たちだったり。
もっと幅広くとらえると、女性の社会進出や高齢化とか、そういう背景で活躍する人たちがメディアとかにも取り上げられやすいねって思う。
新しい価値観で動く人たちも今は注目を浴びているか。
そういうのを発信する媒体っていっぱいあるし、だからあえてそういうのを今更やるのも、って感じはしていた。
だけど、「自分」という個人が響く、そんなフィルターを通したメディアというのは、自分で作らなければなかなか存在しうることは難しい。
だから、やるか、と思った。
想いを次世代につなぐ人たち。
親が子供へ、教師が生徒へ、コーチが選手へ、旧世代の社長たちが新時代の社長たちへ。
たくさんの「ツナグ」活動の中でも、自分個人が「いいな」って思えるDNAであったりアカシックレコードを、メディアの中に作っていこうなんて、
そんなことをこの6月に思ったのだ。