空道を通して得られたこと
しばらくおざなりになっていたNoteをこっそりと更新。JICAとの契約が終わって、早2年。「光陰矢の如し」とは言ったもので、考えてみるとこの2年、本業や私生活での環境が変わっていき、そのたびに、自分にとって大切な価値観・大切な人達は一体誰なのかを、改めて考えさせられた。
まず、個人的に大きなトピックとしては、日本・東京に帰ってきて空道を再開できたという喜び。あの空道世界王者にご指導いただけるなんて!
空道を始めたのは、18歳の冬。あの頃、自分は何も変わらない日々に変化を求めていて。たまたま足を運んだ街の図書館で、空道の教本を目にしたのが、このスポーツとの出会いだった。(「空道」というスポーツを知らない方も沢山、というか知らない方が殆どかと思いますので、興味を持った方はぜひ、Googleで検索してみてください)
そこからの日々と言ったら!自分は黒帯(初段)を取るまでに至らなかったけど、その自分ですら、このスポーツに携わる想い出が多すぎて…。ここでは語り尽くせない。
ー閑話休題。話を東京で空道を再開したときの事に、戻そう。空道を本格的に再開しようと思ったのは、カンボジアから戻ってきて、協力隊としての活動が道半ばで派遣中止になってしまい、東京で(本来の所属先の会社で)、何もやる気の起きない、不満だらけの腐った日々から抜け出そうと思ったから。
恐怖心は、あった。というのは、自分は腰椎椎間板ヘルニア(L5/S1)の怪我・手術後も、慢性的な足先の痺れと後遺症に、悩まされていたから。これは完全に余談なので、ここでは詳細は書かないけど、自分はこの腰の怪我で、都合、JICAの青年海外協力隊を計4回受けることになる。
だから、ワクワク感よりも恐怖心のほうが強かった。
また、ヘルニアが再発したらどうしようとか。
また、歩けなくなって緊急搬送されたらどうしようとか。
でも、かつてお世話になった方々からの紹介や、自分と年齢が殆ど変わらない空道世界王者に会って、入門して、体感してみたい!一回切りの人生なのだから、という気持ちに心の舵が切られた。何かが終われば、何かが始まる。
空道世界王者の試合は、実は空道(大道塾)に入門したての頃から、拝見していた。2009年11月、第3回空道世界大会。自分とほぼ同世代の大学生が空道というスポーツで、日の丸を背負っている。そして、その数年後には、一流企業の肩書を捨て、総本部の職員になり、その一年後に世界王者になる。
これは、昭和の時代の話じゃない。2010年代、(今は令和に変わってしまったけど)平成の世の中にこの決断ができる人間がいるのか、とその背中に何回もインスパイアされた。面識なんて一度もないのにね。
時は流れて、2021年の冬、こんな形で空道世界王者にお会いできるとは。人生って不思議だ。今、ここに至るまでには、未来を知らない年月の積み重ねがある。
そして、白帯を締めて空道をリスタート!
再確認した。空道をやっているときの自分が好きで、
大人になったこの年だからこそ、稽古をするたびに新しい発見や気づきがあることに。なによりも、空道を通して出会える人達の事が大好きなことに。
実は、10月から職場が変わって、今は都内からは離れた場所にいる。だけど人生の節目で、自分を助けてくれたのは空道を通して得られた、ご縁だったり、想い出だったり、悔しさや悲しさ、大切な人との約束だったりで。
だからこそ、言いたい。
ありがとう。これからもよろしく空道。