私の英語事始め
父も母も広島の人間でしたが、父は旧専売公社(今のJT)の社員だったため、父の転勤で転居を何回かしました。小学校2年生の時には、それまで住んでいた広島県竹原市から山口県萩市に移りました。
英語とは関係ありませんが、この時に経験した「カルチャーショック」は、後に大学生時代にアメリカに留学した時よりも、大袈裟でなく激しかったと記憶しています。とにかく広島の言葉と山口の言葉がまるで違うのです。他の地域の人から見ると、「本当にそんなにちがうのか?」と思われるかもしれませんが、「違うんです!」
それはさておき、英語です。どうも母親が何を思ったか、子供に英語を習わせるべきだと思ったらしく、まず最初に近所の高校生のお兄さんのところで、アルファベットからの手ほどきを受け始めました。アルファベットを書き、発音する。そういう初歩的な活動がとても新鮮なものに触れた記憶があります。そのお兄さんからのレッスンは、萩市内での転居がおそらくきっかけとなり、終わってしまいました。
次に母親が見つけてきたのは、市内にあるミッション系の学校で英語を教えている先生が、自宅で開いていた英語塾でした。僕が送り込まれたクラスは、中学校一年生の補修クラス。つまり、中学校の英語の授業についていけないと思われる1年先輩たちが補修のために通っている塾だったようです。ほとんどの子は、あまり英語に興味がないようで、一人だけとても成績優秀なおねえさんがいました。興味津々の私は、そんな中で、学年は一年下でしたが、成績はそのおねえさんと競う良い成績でした。良い成績だと、またやる気がわくという好循環があったと思います。
ところで、初めての英語の音に触れた時のことを記録しておきましょう。
初めて聴いた視聴覚教材は、(もう知らない人が多いと思いますが)そのシートと呼ばれる音を録音した薄っぺらな円盤でした。そこから聞こえてきた英語(中学校1年生の教科書のものだったと思います)が、私にとっての初めてのネイティブ英語です。ソノシートを聞いた後、皆が先生の後をついて読むという流れだったと思いますが、その先生の発音が、ソノシートから聞こえる英語と同じものだったように記憶しています。最初に素晴らしい先生についたのだと、今になって思います。
後に、広島の中学校に入り、他の科目では太刀打ちできないクラスメートが多い中、英語だけは彼らの多くを凌駕して良い成績を取り続けることができたのは、この塾での経験が自信になっていたからだと思います。
割と最近になって、母親に、「どうしてわしを英語塾に行かせたん?」とききましたら、「ほうじゃったかね」。すっかり忘れてしまっていました。でも、母親にも感謝しています。
オンライン等でビジネスパーソン向けのコンテンツを提供しています。詳しくは、こちらへ。