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同級生の最終講義

今日の15時から高校の同級生だった東京大学の古米(ふるまい)教授の最終講義にオンラインで出席しました。実は高校の時にはクラスも一緒になったことはなく、ほとんどお互い知らない仲だったのですが、東京で毎年行っている同期の集まりで顔を合わせるようになって、お話しするようになりました。彼は、ずっと研究者の道を歩み、今では「水循環の専門家」になっています。(「水循環の専門家」じゃとても言い尽くせないと思いますが、何分私も素人なのでご容赦を)参考になりそうなサイトがあったので、リンクを貼っておきますね。(いくつかシリーズ動画があるようです)

高校を出てから40数年(ほぼ50年)、同級生がどんな仕事をやってきたのかを知る機会はほぼ皆無だったので、自分の研究キャリアを振返る彼の今日の最終講義は、そういったものでは最初の経験だったかも知れません。(かつて同窓会で、30分ほど彼のレクチャーを受けたことはありましたが)

内容的なことは、ほぼ解説不能なので、感想をいくつか記してみようと思います。

研究者というのはいい仕事だ
最後の方で、彼も少し触れていましたが、ご家族の協力(我慢?)を得て、自分の研究的好奇心のままにそれを満たすことで飯を食っていけるという研究者という仕事は、本当に素晴らしいし羨ましい仕事だなと感じました。またそれを後進たちに伝えるという意味でも意義あり楽しい仕事なんだなと、古米「先生」が非常に羨ましく思えました。私のように企業の場に長くいると、与えられる仕事に自分を合わせていくという側面がかなり強く、やりたいことをやらせてもらえるわけではないということが多かったため余計そう感じたのかもしれません。

こういう研究はもっと多くの人が知るべきだ
講義の最後の方で、それぞれの都市にはそれぞれの都市ごとの水循環システム上の特徴や課題があるとのこと。もちろん研究者目線で問題の所在を明らかにし、解決法を提案することは立派な仕事だと思います。同時に、そうした研究者の人たちが知っていること、問題だと思っていることは、どんどん発信していただき、そしてわれわれも発信していかなければならないと思いました。水というわれわれの命を守る根源的に資源についてさえ、知らないことが多いことに改めて気づくと共に、そうした「隠れた」知恵を発信することに自分も関わりたいと感じました。(そういう意味では、私も、やっと研究者の端くれになったのでー古米君から40周くらいの遅れでー)自分の研究について発信しなければと感じました。

オンラインの恩恵
今回の最終講義の講演の案内メールをもらって時に、東大から近い場所に住んでいることもあり、また古米さんご家族にも挨拶させてもらいたいなという思いもあって、教室で聴講したいとお願いをしておりました。(それも一度ではなく)蓋を開けて見ると、参加者は500人、でも実際に教室に入れたのは、感染対策のため30名程度(通常の環境ならその3倍くらいは入れるような教室とのことでした)だったとのこと。ご無理をお願いしたことのお詫びを後からした次第です。

同時に思ったのは、オンラインの時代だったからこそ、今日の講義に参加できたのだなということ。10年前に古米さんが退官しており、その時にコロナが襲ってきていたとしたら、今回の講義の聴講は30名程度にとどまっていたことになります。技術の進歩のおかげで、後の470人も参加できたわけで、そのことには感謝でした。こうした環境を活かす工夫(例えば上で触れたような「隠れた」情報を世の中に広める努力など)をしっかりすべきだとも。

さいごに
この文章を書く中で、ある場面では古米さん、ある場面では古米君、ある場面では古米先生。皆さんには意図を汲んでいただければ幸いです。最後は、やっぱり同級生として。。。

古米君、おめでとう。そしておつかれさまでした。これからもよろしく。

今日もお読みいただきありがごうございました。Noteのコミュニティの中での交流を増やしたいと思いますので、もちろん「スキ」はたいへんありがたいのですが、「コメント」もたくさんいただけると嬉しいです。


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