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ネットで記事を書くことの意味

結構長年細々とながら、いくつかの雑誌に寄稿してきました。幸いにも4本は、もうかれこれ10年以上書いていることになります。うち3つは3ヵ月に1本くらいのペースで、精々年間4本程度。もう一つは月一ペースです。どれもその時々の状況に応じて、読者が属している業界への影響を意識しながら雑感を書いています。2011年はもちろん東日本大震災の話が中心だったし、この2年はコロナ禍に伴う業務(私の場合は大学での授業や顧客セミナー)のオンラインへの移行にかかわるもの、といったイメージです。雑感を書き連ねる、そんなことでお金をもらえるのは、それなりに嬉しいものです。

しかし、こうした伝統的紙媒体への投稿で、読者からいくつも「気に入った」というサインが送られてくる、あるいは感想コメントが送られてくるといったことは極めて稀なことです。4本のうちの1本については、読者ハガキによるランキング(多く読まれて順のランキング)が送られてきますが、それとて母数はそんなに多くありません。それだけ紙媒体では、書き手と読み手の距離が遠いのだと思います。

こんなことを書いているのは、ブログだとかこのNoteだとか、あるいはFacebook, TwitterなどのSNSとの違いを大いに感じるからです。

書いた記事にすぐに(時には書き上げてアップロードした瞬間に)「スキ」がついたりコメントが送られてきたりする。こんなことのできるオンライン時代とは、なんとすばらしいと感じます。

また、Noteでは、ダッシュボードでどんな記事が多く読まれているか、どれに「スキ」を多くもらえたか、コメントをもらって記事はどれかがわかるしくみになっているので、自分の書いたどの記事への評価が分かることも、投稿への励みになります。

人生60数年、日記をつける習慣がついぞ定着したことなく過ごしてきました。高校時代の友人のひとりが「日記をアリバイとして書いている」ということを言って納得した覚えがあります。では、それに同意して日記を始めたかというと、Noです。年末が近づいて書店に行くと手帳や日記帳がたくさん並べられているけれども、スケジュールと目標管理のために手帳は買うけれども、「どうせ無駄になるから」と日記帳には手が出ません。(最近では、手帳もオンラインに移行したので、これも買わなくなりました)

しかし、自分の生きた足跡を残したいという気持ちはある。それを連載だったり論文だったりという形で遺しておけば、誰かが読んでくれるし、後々家族もたまには自分を振り返ってくれる縁になるかなという気はします。この意味で、「スキ」や「コメント」ですぐに読み手の反応がもらえるネットへの記事投稿は、私に新たな日課を与えてくれた感じです。

Facebookでは、時折数年前に書いた、自分でも忘れていた記事が、ポッとスクリーンに現れることがあります。あ〜そういえばあの時あんなことしてたな、あんなこと考えてたなと自分を振り返る良い機会でもあります。

書き手と読み手という関係から、実際に仕事をもらったり、友人になったりすることもある、一度きりしか会ったことのない人をずっと記憶の中にとどめていることも、「スキ」とか「コメント」の効果なんだろうなと思います。

オンラインでの投稿のしくみ、これが私に書き続ける理由を与えてくれている、そのことに感謝したいと思います。そして、ここの来ていただいた皆さん、つながりをいただいて本当にありがとうございます。


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