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仕事の英語と日常英語のギャップ

銀行時代の話です。2年半ほどの支店勤務の後、国際関連部に異動となりました。ある日、部長から、「今度外国からお客さまが来られるけど、その時、うちのエコノミストの話を聴きたいとのことだ。君、英語できるそうだから、通訳やってくれるかね」と言われました。その時に気がついたのですが、留学もしたので日常の用を足す英語はほとんどなんでも対応できるけれども、日本経済の今後の見込みを英語で伝えるなどということは、とてもできないと...そもそもそうした話の中で出てくる語彙についての知識もない、そうした話題に関する背景知識もあやふやだ。それで、部長に、「大変申し訳ないのですが、できそうもありません」と断りを入れさせていただきました。

部長は驚く様子もなく、「じゃあ、俺が通訳するから見ておきな」と、面談の席への同席を許してくれました。

そして当日、その部長がエコノミスト(経済調査部という部の部長さんで、有名な方でした)の話をすらすらとゲストに英語で伝えていく様をみて、「あ〜これがプロなんだ。とても太刀打ちできない」と、非常なショックを受けました。仕事の英語と日常英語のギャップを思い知らされた出来事でした。

それから一年ほど後、私は、別の部署で、アメリカの銀行と私が勤めていた銀行が設立することになった合弁会社の立ち上げの仕事に携わることになりました。私の役割は、相手の銀行が作ってくる英語での説明文書をひたすら翻訳するところから始まりました。来る日も来る日も同じような語彙群との格闘です。金融は金融なのですが、それまで知らなかった資産運用(money management)の世界でした。

しばらくすると、相手方の担当者と当方の担当者との面談で、通訳を勤めることが日常的になりました。1年前のショック云々とはもう言っていられなくなりました。誰も助けてくれる人がいないので、自分がやるしかないのです。話題も資産運用の話、大蔵省(現在の財務省)に届け出る書類や手続きの話、新会社のコンピューターシステムの開発に関わる話、株式や債券といった資本市場の話など、千差万別です。時には、先方のお偉いさんを京都で接待するので、会場となる京都の料亭からメニューを取り寄せて、それを翻訳するなどという仕事もありました。月並みな例えですが、カナヅチがいきなりプールに投げ込まれた感じです。しかし、毎日やっているうちに、カナヅチも泳げるようになってきました。そして、だんだん度胸が座ってくるのです。ツラの皮が何倍も厚くなったと思います。

とはいえ慣れてくると、業務に関わる英語は、語彙も決まってものになってくるので、英語の文を作る基本的な知識があれば(それは、それまでの学校や留学での学びで身につけていた)その上の、その分野の専門語彙を乗せていくだけなのです。お医者さんに言って英語で症状を訴えるとか、床屋に言って英語でカットについての注文をつけるよりは、よほど簡単です。

こうした次第に翻訳や通訳をするようになりました。後に、翻訳や通訳をプロとして行うようになるのですが、この時期の経験がなければそれはなかったと思います。そんな機会を与えてくれた銀行に今は感謝しています。「今は」です。その時は、かなり恨みました。

最初に書いたように、私の転機は、国際部時代に部長の通訳を聴いていて受けたショックです。強烈なショックが、「これではいけない」という意識と、それまでの訓練法、学習法に対する警鐘になったと思います。

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