私の2.26事件(続)
3月11日に「私の2.26事件」という記事を書きましたが、最後に「そこの光景は…(疲れたので、続きは明日)」としたまま4月も半ばを過ぎてしまいました。橘たかし@毎日更新さんからご指摘をいただくまで、約束を果たしていないことに気が付きませんでした。4月に入るなり、大学での授業に関わる雑事が多く、noteから遠ざかっていました。
「私の2.26事件」を読み返すと、「これは、誰が読まなくても自分の記録のために残しておきたい」という気持ちが再び起こってきました。続きを綴ってみます。
ステアケースに辿り着くと、そこには2列になって整然と階段を降りている人たちでいっぱいでした。(劇場で全編を観たわけではないのですが)かつてテレビで盛んに宣伝していた高層ビル火災をテーマにした映画「タワリング・インフェルノ」の記憶が蘇りました。しかし、映画の中で起こっていたようなパニック状態は、そこにはありませんでした。基本的に整然と、皆静かに階段を降りていました。
印象に残っているのは、(その日は非常に寒い日でしたが)階段を降りている女性たちは、コートを羽織り、鞄をしっかり脇に抱えるという姿でしたが、男性陣は、着の身着のまま状態だった点です。たまたま階段に来たときに隣り合わせになった2人が1組になり階段を整然と降りる情景がそこにはありました。
私がいたオフィスは85階。しばらく下りていると50階近くで、下から煙が上がってきて、視界が悪くなり始めました。ビルの最上階は104階、降りている人たちの疲れが出始めた頃だったと思います。女性たちは、暑さのためコートを脱ぎ始めます。隣の男性はコートを鞄を預かる、そんな風景があちこちで見られました。私も隣には女性がいて、コートと鞄を引き受けることとなりました。煙が濃くなってくると、女性陣は、ハンカチなどで口を覆い始めましたが、両手をコートと鞄で塞がれている男性陣は、なすすべなく、煙を大量に吸い込んでいたと思います。
50階より下に降りるか、そこに止まるか。下から上がってくる煙の恐怖のため、多くの人は留まってように思います。しかし、私と隣の女性は、降りる決断をしました。なぜかは覚えていません。
その後の記憶は間が抜けていて、気がついたらビルの一階に到着していました。周りでは、「頭上に気をつけろ!」的な叫び声が聞こえたいたように思います。爆破で壊されたガラスが、上から降ってきている状態だったからだと思います。
この時私が思っていたのは、「隣の女性を救急車に届けなくては」ということでした。1階についた安堵からか、それまでに経験した恐怖からか、その女性は半狂乱の叫びを上げていました。「コートと鞄も渡さなくては」と、私自身は、それしか思っていませんでした。
そしてやっと救急車へ。体調に異常はないと感じていたので、救急車の隊員から「救急車にお前も入れ」と言われた時、"I'm just fine. Let me go."と言い返した記憶があります。しかし、許してもらえませんでした。私の顔は、煤で真っ黒になっていたようです。
救急車に入るなり、席に座らされました。見渡すと、20人ばかり人がいました。まずは酸素吸入。大きなボンベから何本分も吸いました。
それが終わると、周りの人が声をかけてきました。大事故に巻き込まれた集団とは思えないほどの和やかな雰囲気は意外でした。
"Where are you from?"ときかれ、"I'm from Japan but I've just been transferred from Belgium."と答えたように記憶しています。そうすると、何人かが一斉に"Welcome to the States."と。これは、彼らの偉大さなのか、能天気さなのか?(続く)
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