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Abema TVでのTOEIC議論

最近Abema TVとやらで(あんまり見ないので詳しくない)TOEIC満点何回というモリテツ先生やパックンと議論を交わして、「TOEIC要らない」と発言したことが話題になっている茂木さんです。改めて彼の話の中身を聞くと、なるほどと思える部分と、『?』という部分があります。

なるほどと思える部分は、言語を学ぶということは、1点刻みのテストで1点でも多く点数を稼ぐことのためなどではなく、言葉を学ぶことは文化を学ぶことであり、言語を学ぶ(特に英語)を学ぶことの目的は、例えば自国文化をしっかりと他の文化圏の人に伝える、そういったことに向けるべきはないかということでした。

確かに、大学入試としての共通テストの英語試験を見ても、TOEICを真似たのではないかという出題傾向が見られたり、多くの大学でTOEIC対策講座が設けられていたり…そのことに、極端に多くの時間を割くこと、あるいは企業の採用、人事政策、あるいは昇進昇格にまでTOEICが関わりを持つとなると、これは行き過ぎかなとも思います。

一方で、例えば、多くの学生がその身を投じる世界であるビジネスの世界では、英語が、文化の理解とか交流などということよりも、純粋に取引のための道具として共通語化している現実があります。そうなると、英語学習を、仕事を進めていく上でのコミュニケーションの道具としてしっかり使えるようにという目的で学ぶ人が多くなることには理由があるとも言えます。その目的のために、TOEIC対策学習をすることが、直接的に貢献するかどうかについても、議論はあるのですが、今日はそのことには触れません。

言語学習の目的には、このように異文化を知る、自国文化を発信するためというものと、純粋に仕事の道具として学ぶという2つがあると言われているのです。英語を学ぶ人にとっては、まずどちらを主な目的として選ぶことが、学習効果を上げるための前提条件になると思います。

このように見ると、Abema TVでの議論は、英語学習の目的を異にする人が、TOEICという「ビジネス用」(とされている)試験の価値をどう見るかというものなので、そもそも噛み合うはずがないということのように思えます。目的の違う人が、あるものを、それぞれの目的に合う合わないという議論をしても、不毛だということなのです。

現実には、英語を道具として使うために学習しなければと思っている人が、世の多数派であるという現実があると思います。その手段としてのTOEICの適正については、吟味する余地があると思います。しかし、適正だと思っている人が多い現在(個々人のみならず、多くの企業も)、TOEICが消えてなくなることはないでしょう。

一方の極論として、「英語は所詮ビジネスなど、仕事の目的を達成するための道具としての存在意義しかない」、したがって学校教育での英語習得も、そのためにやればいいのだという議論にも疑問があります。この観点からは、茂木さんのいう「言葉を学ぶことは文化を学ぶこと」という意見にも十分意味があると考えています。

そのように思って、茂木さんのTEDのスピーチを聞くと、なるほど、格の高い品のいい表現が多く使われており、英語を好きで勉強してきた人だなと思える点が多くあります。発音にこだわる私としては、ご指導申し上げたい点は、多々ありますが、以前紹介した真鍋先生の英語のように、内容のある、そして総合的には十分伝わる英語であると思えます。決して、下手な英語ではなく、むしろ流暢と評価しても良いように思います。

そう言えば、茂木さん、NHKの番組で、「赤毛のアン」愛を盛んに語ってました。


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