僕の人生をドラクエ風に紹介してみた!Ⅱ
こんにちは、博人_Yです!
コロナ禍の中、現在キャリアの複線化を模索する為、
5年ぶりにライターのお仕事を再開しました。
本日、noteに初投稿し、これが2記事目です。
読者の方が、僕の記事を読んで頂き、
何かひとつでも、気付きや学びが得られ、明日からの日常にプラス
になれば幸いです。
もしよろしければ、前回の記事も合わせてお読みください。
「僕の人生をドラクエ風に紹介してみた!」
→https://note.com/hiroto_y39/n/n850179a8b3cc
Level14:親友との出会い
地元(山口県下関市立)の中学校に入り、中2の時、
その後30数年続くことになる親友と出会いました。
当時を思い出すと、まだ中2の男子でしたので、
サッカー、塾の行き帰り、ゲームなど、他愛もない会話を
していたような気がします。
はまったゲームは、やはり「ドラクエⅡ・Ⅲ」ですね!
おととし、スーパー銭湯で、親友30周年記念を祝いました。
もうふたりとも、40代半ばのいいおっさんですので。。。笑
お湯に浸かる、おいしいものを食べる、他愛もない会話(昔話や近況etc)。
昔の自分のことを良く知る間柄は、他の人では代用が効かず。。。
コロナが収束したら、親友33周年記念を祝いたい!(ただの口実?)
Level:19 ~27 大学生時代
僕は一浪して、京都の某私立大学に入りました。
予備校生の時、東大の某学部学科一本に絞り、十浪していた先輩がいて、
内心、「ああなったら、人生終わる!」と思っていたので、第二志望では
あるものの、ほっとした気持ちでした。
しかし入学後、これといって学びたい分野もなく、将来なりたい職業もなか
ったので、入学後わずか数ヶ月で、部活以外はほぼ、大学に行かない生活に
なりました。
予備校生の時から、洋服が好きだったので、約3年半、関西の若者スポット
である、心斎橋(アメリカ村)の雑居ビルに入り浸る日々を送りました。
父親は、国家公務員(スーツにネクタイの仕事)で、尊敬していたものの、
どこか反発心もあり、洋服が好き、かつ髪型も含め、そのセンスがお客様
へのアピールになるという観点から、大学を辞め、理美容専門学校に通う!
若気の至りで、そう決断しました!
両親にも電話で話しましたが、当然聞き入れられる訳はなく、半年間勘当さ
れました。
その間、朝晩と新聞配達をして、生活費を得ていました。
人生で初めて、自分のチカラで働いたお金で生活をし、
改めてその大変さを実感するとともに、両親のありがたみを
感じた期間でした。
その後実家に戻り、畳の上で、父親とお互い正座をして、
僕から謝罪と復学の意思を伝え、了承され、勘当は解けました。
それから3年間猛勉強し、7回生でようやく、就職活動ができる単位数に
なりました。
「僕の人生をドラクエ風に紹介してみた!」のLevel5:お手伝いでお話しした
お客さんからの、「将来はダイエーの社長さんだね!」が忘れられず、
コンビニでオープニングスタッフとして、2年間働いた経験(即席めん売り
場の売上を対前年比で118%にした体験)を元に、コンビニ業界を中心に
50社にエントリーしました。
今は吸収合併でなくなりましたが、コンビニのサンクスより内定を頂き、
就職活動は終わりました。
しかしその後、単位不足で卒業できず、内定は取り消されました。
更に追い討ちをかけるように、7回生の秋、持病(自律神経失調症と過敏性
大腸炎)を発症し、最初の頃は体臭がきつく、大学の研究室ですれ違った
女性に、ものすごくきつい視線で睨まれ、それが原因で人間不信に
陥りました。
就職留年で8回生となり、7回生同様、流通小売業界を中心に就職活動を
しましたが、人事の方にことごとく「人嫌い」を見抜かれ、全くと言って
良い程、上手くいきませんでした。
唯一、某ベンチャー企業より、SE職で内定を頂き、とりあえず僕の就職
活動は終わりました。
「僕の人生をドラクエ風に紹介してみた!Ⅲ」へつづく。。。