#43 最後の取調べ
任意同行の日から、刑事と検事による取調べが毎日続きました。
手錠をつけ、パイプ椅子に座り続ける一日は、とても長く感じました。
毎晩寝る前に、その日のことをノートに綴りながら、残り8日、残り7日、6日、5日...と、勾留の日数を数えることで気を紛らわす毎日でした。
もしかすると、再び事件をでっち上げられ、再逮捕で更に20日間の取調べが行われる可能性も聞いていました。
そして、ようやく迎えた最終日。
新たな証拠も証言も出てこない中、捜査機関は、どう締め括るのでしょうか。
■登場人物
私:藤井浩人
K検事:検察官取調べで私を担当した検事。ネチネチしている。
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毎日、朝から晩まで、土日も関係なく、これまで紹介したように、アンフェアな方法で取調べが進められましたが、私が訴える「無実の主張」と、検察のストーリーは平行線をたどりました。
そして、7月15日。勾留20日目、取調べの最終日。
弁護団からは、検察は更なる取調べを続けるために"別件逮捕"も視野に入れているだろうとのことでした。
【別件逮捕】
警察や検察が取調べたい事件とは、別の事件で逮捕し、その余罪捜査という形で目的としていた事件について取り調べる捜査手法のことです。
弁護団によると、選挙違反を絡めて再逮捕を強行してくるのではないかとの話もありました。
しかしこの時、既に心身ともに疲弊しきっており、更に20日間にわたる朝から晩までの取調べに耐える気力は残っていませんでした。
結果的には逮捕されるような材料は何一つ見つからず、弁護士曰く
「逮捕したいが、証拠が何もないからできないのでしょう」
とのことでした。
(このような証拠のない中で、検察は本当に起訴をすることができるのか?起訴を行わず、逮捕自体が間違っていたことを認めて欲しい)
私は、そんな期待をわずかに抱きながら今後の展開を待つと同時に、
「報道陣を集めて現職市長を任意同行、逮捕する。という大胆な捜査を始めてしまった警察や検察が、このまま"不起訴でした"なんて終わり方ができるわけがない!」
そんな思いを強く持っていました。
詐欺師の証言を過信した贈収賄事件の捜査は、具体的な証拠が何一つなかった。捜査関係者の多くが疑問を抱いたと思います。それでも、一度始まった捜査は暴走機関車のごとく、止まることはありませんでした。
不起訴となれば、世間からの検察批判は必至で、誰かが責任を取らなければなりません。至極当たり前の話ですが、そんな責任を取れる人はいなかったのでしょう。
大きな失望感しかありませんでしたが、一縷の望みをかけて、最後の取調べに臨みました。
K検事「あなたの話を聞いて捜査してきたが、少なくとも癒着をしてきたのは明らかだと思う。あなたがどれだけ言い張ろうが、二つに一つだと思う。最後に何か言っておきたいことは?」
私「私も話せることは話したし、あなたは癒着と言われたが、やましいことは何も無く、金銭のやり取りは一切ありません」
K検事「これで取調べは終わります」
調書は最後まで取られませんでした。
"引き返す勇気"は、残念ながら彼らには無いようでした。
7月15日、名古屋地検は私を、受託収賄、事前収賄、あっせん利得処罰法違反で名古屋地方裁判所に起訴しました。
私は"被疑者"から"被告人"になりました。
ちなみに"容疑者"とは、マスコミ用語で刑事訴訟法には"被疑者"と書かれています。
起訴されたことで捜査は終了です。
大きな不満はあれど、美濃加茂市に帰り、市長職に復帰し、市民の皆様へ説明するための心の準備をしていたところです。
起訴当日、弁護団は保釈請求を行いました。
しかし、保釈請求は翌日却下。
理由は勾留の時と同じ、"罪証隠滅のおそれ"でした。
(取り調べの時には「証拠は全て揃っている」と豪語していたにも関わらず、起訴をして捜査が終了しても私を外に出せないとは、一体どんな説明ができるのだろうか)
私には、到底理解ができませんでした。
「裁判が始まるまで検察は藤井さんを外に出さないつもりでしょう。事件の内容、真実を藤井さんの口から人々の前で話されることを恐れているのでしょう。誰が聞いても、ひどい内容の事件だと思ってしまうことを検察も分かっているのです。保釈を勝ち取るための対策が必要です」
弁護士は怒りながら、私に伝えました。