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#23 絶望の裁判所の始まり

手続き上、裁判所の許可、厳密には逮捕状(令状)の発付により、通常逮捕は行われます。
同様に、勾留も裁判所の許可により行われます。

当たり前のことですが、日本は法治国家です。
そう教わってきたし、今でもそうです。

その『法』を司る裁判官に人生で初めて会うことになりました。彼らの対応は、私の淡い期待を裏切るどころか
「他人の人生をなんだと思っているのか」
そんな怒りすら覚えるものでした。

絶望の1日の始まりでした。

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逮捕3日目、6月26日。
勾留質問を受けるために、春日井署を出ました。

【勾留質問】
検察取調べの後に、検察から裁判所に対して「勾留請求」が出され、裁判官が勾留を認めるとそこから10日間の勾留、さらに延長されると最大20日間の勾留が認められます。その勾留を決定する前に、裁判官が被疑者に直接質問を行い、その言い分などを聞くのが「勾留質問」という刑事事件の手続きです。

弁護士からは、
「裁判官が勾留を決めない可能性もわずかながらあります。自分の言いたいことを言う機会になるので、言いたいことを自分の言葉で伝えてください」
そう言われていました。

私は、
「今回の逮捕が、いかに間違っているものなのか」
(優秀な裁判官なら分かってくれるかもしれない)
そんな期待を抱いていました。

名古屋地方裁判所の地下のような気がしますが、警察官に連れられて建物の中に入りました。
広めの牢屋に約10人ずつ入れられ、その後、列に並ばされ、手続きの順番を待つことになりました。
手錠を付け、紐で繋がれた人たちが並ぶ光景は、まさに異様でした。

「声を出すな。トイレに行く時だけ、呼ぶように」

監視員の口調は非常に厳しく、ここでの扱いも犯罪者に対するもの、そのものだと感じました。
集団の中には、目つきが虚ろだったり、フラフラまっすぐ歩けないような人もいました。

列の中で、数時間は待ったでしょうか。勾留質問室に呼ばれました。
部屋の中にいた裁判官は当時29歳の私よりも歳下に見えるくらいの男性でした。
私が裁判官の前に立つと、書類に目を通し、容疑内容について読み上げると
「あなたの容疑について、言いたいことはありますか?」
そう聞かれたので、私は語気を強め、
『一切、事実ではありません。調べて貰えばすぐにわかることです』
大きめの声ではっきりとした口調で言い切りました。

裁判官は私と目を合わせようとせず、ボソボソと口を開き
「はい。分かりました。他に言いたいことはありますか?」
何を言っているのか聞き取れないほどの声量でしたが、私はここで言わないと裁判所に伝わらないと考え、再び語気を強めて言いました。

『私が無実であることは、調べてもらえればわかることです。この勾留は不当です』

すると裁判官は、
「はい、もういいですよ」

私は唖然とし、一礼してその場を離れました。

まさに、塩対応でした。
(これで終わり?裁判所、裁判官とはこの程度のものか)
私は激しい絶望感に襲われました。

そんな時にふと、毎日のように来てくれていた渡辺弁護士が一番最初の接見で差し入れてくれた本「絶望の裁判所」を思い出しました。

どうしてこんな暗い本を差し入れるのだろうと思っていましたが、この時ようやく、渡辺弁護士の意図が分かりました。

「刑事事件を戦う」というのは、絶望への挑戦であり、弁護団の先生たちはそのような状況を分かり切った上で、力を貸してくださっていることを理解しました。

これから先、私を弁護してくださる弁護団は、
・事件の一週間前に初めてお会いした神谷弁護士
・神谷弁護士と同じ事務所に所属し、私と同じ年齢の渡辺弁護士
・以前より同じ政治団体に所属していた上原弁護士
・逮捕後に私を訪ねていただいた、郷原弁護士と新倉弁護士
この5人体制でスタートしました。

その後、郷原弁護士と仕事を共にされていた名古屋の山内弁護士に加わっていただくことになります。
これだけの弁護士の先生たちに弁護をお願いしましたが、弁護団の先生方は私の経済状況を理解した上で、最低限の弁護費用で数多の活動を展開してくださいました。

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