#92 冤罪との闘い
刑事裁判に続く、民事裁判。
一度判決が出ている刑事裁判。真実を勝ち取るための入り口は、固く閉ざされていました。
しかし、民事裁判を経て多くの証拠を得ることができました。
長かった執行猶予も終わり、新たな一歩へ。
>>>>>>>>>>
2020年8月6日。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期となった判決日。
傍聴席には人数制限があるようでした。
判決は、"請求棄却"。
"本件での贈賄供述者の証言(供述)が虚偽であることが明白であるといえない"
中森氏に対する損害賠償請求は棄却されました。
<判決内容、一部抜粋>
刑事裁判手続において有罪判決を受け、それが確定した被告人が、刑訴法の用意する再審制度を離れて、事実は無罪であるとして、当該手続において証人等として関与した者に対する(不法行為等に基づく)損害賠償請求を行うことを無制限に認めると、同法が再審制度を設けている趣旨を実質的に没却するおそれがあるから、当該被告人が上記のような関与者に対して上記のような損害賠償請求を行うことができるのは、当該関与者の行為について偽証罪等の有罪判決が確定したり、(そのような判決がなくとも)その者が故意に虚偽の証言等をしたりしたことが明白であるなど、公序良俗に反するような不正行為の存在が明白に認められ、かつ、当該不正行為によって被告人が有罪とされたといえるような場合に限られると解するのが相当である。
要するに、刑事事件が有罪で確定した被告人が、無罪だとして、証人として関与した者に対する損害賠償請求することできるのは、刑訴法の再審制度が設けられている趣旨との関係で、証人が"偽証で有罪判決が確定している場合"、"故意に虚偽の証言等をしたことが『明白な』場合"という、その理由が明白で、その行為によって有罪となっている場合に限られるということでした。
郷原弁護士のブログにおいて、判決について記載していただいています。
<刑事事件の真相解明と民事訴訟 ~藤井浩人元美濃加茂市長の「冤罪との戦い」は続く>
刑事裁判と民事裁判の違いの考え方は、法律の専門家の解釈に任せます。
ただ、当事者として非常に残念でなりません。費やされた多くの時間。明確な説明がなされない判決書の差し入れ。反論がないままの供述心理鑑定書。
それ故、この一審判決に対して、すぐに控訴を決めました。
12月16日。今回も50ページ近い控訴理由書を提出いただきました。
控訴審が重視した中森氏の知人2人からは、貴重な証言を得ることができていました。
2021年5月17日。控訴審の公判期日。
控訴審では、書面でのやりとりは何度も行われましたが、尋問などは行われない方針となりました。
7月14日。控訴審判決は、"控訴棄却"。
控訴審では、新たな証人尋問も行われなかったことからも判決への期待は薄くなっていました。一審での判決から分かるように、余程の裁判官ではない限り、私が期待する判決は得られないことは理解していました。
結果は得られずとも、民事裁判の一審、控訴審を通じて、事件についての新たな証拠はいくつも見つかりました。
弁護団の先生方の多大な活動により、真相解明には大きく近づき、これからは"再審請求"に向かって進んでいけると確信しています。
ちなみに控訴審の間、2020年12月27日に懲役1年6月執行猶予3年の有罪判決確定から3年を経過し、執行猶予期間が明け、公民権停止が終わりました。
「事件のことはもう口に出さない方がいい」
と、私のことを思って助言してくれる人たちもいます。
しかし、私は、"冤罪との闘い"をやめるわけにはいきません。
当事者たちが泣き寝入りしてしまえば、死人に口なし。
私は、"私の冤罪"と闘っているわけではありません。
"司法の闇"、冤罪を生む社会と闘っているのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?