#80 予想外の横やり
異例の展開。
裁判長による職権により、中森氏への再証人尋問。
私にとっても、世の中にとっても、すべてが明らかになる機会でした。
しかし、あってはならない横やり。意図的と思わざるを得ない横やり。
真相の解明がなされることはなく、結審に。
あとは、判決を待つばかりでした。
■登場人物
私:藤井浩人
N弁護士:中森氏の弁護士。
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中森氏が生の記憶を裁判で証言。
事件の真相が、いよいよ明らかになる。
しかし、まさかの展開が待っていました。
中森氏の弁護をしていたN弁護士が刑務所の中森氏に「判決書」を差し入れてしまったのでした。
しかも、その判決書。N弁護士が弁護人を担当した中森氏の裁判の判決書ではなく、私の裁判の判決書でした。私の裁判の判決書には、一審裁判で中森氏が証言した内容が全て書かれていました。
それを読めば、中森氏が検事と暗記したストーリーは全て確認できてしまいます。
中森氏の"生の記憶"での証人尋問。検察が最も恐れていた事態は、この判決書の差し入れ行為によって回避されたのでした。
こんなことが許されて良いのか。
弁護団は、中森氏の手元にある判決書の確認を急ぎました。いつ届いたのか、既に読んでいるのか、もしかしたら、まだ読んでいないかも...それなら読む前に引き上げることも...弁護団は刑務所の所持品などを確認するよう裁判所に要請しました。
しかし、裁判所は具体的な対応をしませんでした。裁判に対する明らかな妨害行為であったにも関わらず、なぜか、何の対応もしませんでした。
そもそも判決書は、簡単には入手できません。裁判の当事者である検察官と被告人、弁護人に送られるだけです。どのようにして、N弁護士が私の事件の判決書を入手したのか分かりませんでした。
それでも中森氏の証人尋問は、予定通り行われました。
5月23日。法廷での3度目の対面。
この時も、中森氏は一切私と目を合わせようとしませんでした。
証言台では、判決書に書かれている通りに中森氏は証言を行いました。どんな質問に対しても、一審の判決書に書かれている通りにだけ答え、余計なことは一切話しません。そして、判決書に記載されていない質問には「時間が経っていて、記憶がない」などと都合よく、証言を回避していました。
更には、一審の裁判長に「信用できない」とされた証言の部分については、同じ証言を行うことを避け、「記憶がない」と証言を巧みに変えました。
判決書の内容を熟知し、十分な準備をしてきたことは明らかでした。
弁護士「中森氏は判決書を読みましたか?」
中森氏「じっくりとは読んでいない」
言い逃れるのかと思いましたが、読んできたことは認めました。
大した追及もできないまま、中森氏への尋問が終了。これにて控訴審の証拠調べが全て終了。
第4回公判。検察官と弁護人の最終弁論が行われ、控訴審は結審しました。
2016年7月27日。30歳を留置場で迎えた私は32歳となっていました。
結局、控訴審では、私が証言台に立つことは一度もありませんでした。
一審では私の証言の信用性が認められ、無罪判決。
控訴審の裁判官が私の証言を疑わしいと思うのであれば、被告人質問が行われるはず。それすらないことに、安堵していました。一審での私の証言を信用しているのだと思いました。
また、検察官の主張も一審から大きく追加されることはなく、新たな証拠は最後まで何も出てきませんでした。検察官席には、打つ手なしの状況で諦めているような空気さえ漂っていました。
11月28日。控訴審判決の日程が決まりました。
(ようやく終わる。被告人の立場ではなくなる)
そう信じていました。
判決期日が近づくと、新聞、テレビ各社が取材に来るように。
一審判決前とは全く異なる対応でした。
判決当日の放送に使うインタビューや、事件を振り返るような特集記事のための準備。
判決前から、私や弁護人の主張を中心に報道するようになっていました。
裁判を傍聴していた全ての記者が、控訴審で判決が覆ることはない、無罪が確定するだろうと確信していることが伝わってきました。
現在、こちらの"note"を再編集した上で、
本として出版するためのクラウドファンディングを行っています。
残り7日。ネクストゴールに挑戦中です!
事件から7年が経過しました。
私にとっては思い出したくないような辛い経験でしたが、この事件を風化させてはいけないと考えています。このような事件を生み出してしまう社会を変え、同じような冤罪事件が2度と起こらないように、社会課題と向き合っていきたいと思います。
ご支援、また一人でも多くの方に拡散していただきますよう、よろしくお願いいたします。
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