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#88 私の爪痕

「市長をしながら裁判と向き合うことに何か意味はあったのか?」

意味があったのかは分かりません。
意味があったと信じたい。

理不尽がまかり通る世の中に、
私は一石を投じることができたのか。

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市長を辞職。判決が確定。
2014年6月24日から2017年12月26日にわたる"1,282 日"。
多くの人たちに支えられ、戦い続けました。

辞職の際、ある記者から、
「逮捕から3年半近く、市長をしながら裁判と向き合うことに何か意味はありましたか?」
そんな質問をされました。

何か意味はあったのか。

結果的に、有罪が確定してしまった後には「悪あがき」だったという人もいました。

かけられる言葉すべてに、悔しさがこみ上げます。
しかし、政治家への評価は他者がするもの。決して自分自身ではありません。
市長としての活動をすべて包み隠さず行った結果、こういった評価があっても仕方のないことです。

「逮捕された直後に辞職してれば、今頃、普通の生活ができていたのに」
取調室で聞いたような言葉も頂きました。

確かに、自分の生活や損得勘定だけれであれば、ここまで闘えなかったかもしれません。

職を失ったとはいえ、私は政治家。保身や名誉の為ではなく、心の底から世の中を変えたい一心でやってきました。自分の信念に従って本気で取り組んだ市長という仕事。自分のことなど考える余裕もなく、毎日を生きてきました。
また、一人の大人として、自分自身の行動を通じて、子どもたちにメッセージを届けたいと思っていました。

なぜ、このような事件に巻き込まれてしまったのか。今でもわかりません。
しかし、逆境は裏を返せば、与えられた使命。
しっかりと受け取め、信念を貫き、後の世に恥ずかしくない選択を続けたいと思っています。

私の事件は氷山の一角。私たちの社会は、理不尽なことで溢れかえっています。皆さんの周りにも、少なからずそういった現実があるのではないでしょうか。

近年、政治への関心は薄れ、目の前の課題から目を背け、利他的な行動よりも私利私欲を優先する人が増えているように感じます。そんな大人たちが作る社会。組織も体制も古くなりすぎているのかもしれません。

もちろん、"古き悪しき"ことばかりではなく、"古き良き"ことがあるのも事実でしょう。
しかし、組織経営、地域社会、学校教育、労働環境、どれ一つとっても、昔のやり方では通用しないことばかりです。時代が変わっているのに、私たちが変わらなくて良い道理はありません。
まだまだ理不尽な社会。そのさなかに、愚痴や不平不満を言うだけではなく、事実と向き合い、前を向き、闘うことを恐れない。そんな人が一人でも居てくれたら、私が闘った意味があるのかなと、思います。

しかしながら、私は諦めたわけではありません。

闘いは続きます。

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