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自己紹介(大学→社会人4年目)

 はじめまして!株式会社ALEでエンジニアをしている片桐寛人と申します。宇宙に関わり始めてからようやく6年目になりました。もうちょっと宇宙やろうと思ってるエンジニアで、これからご縁がある人等にこんな人間ですってことが伝わり、会話のきっかけぐらいになればいいかなと思っています!
 いろいろな人と関われたらと考えているので、気軽に話しかけていただければと思います!

大学生(金沢大学)

 大学は金沢大学の理工学域機械工学類に所属していました。実は大学受験の時から東北大学で宇宙をやりたいと思い、受験しましたが、落ちて後期で金沢大学に入学しました。大学生の時は勉強半分、サークル半分の人間でした(ちなみにサークルはマジック)。
 大学3年生の後半になってそろそろ進路を考えないといけないってなったときに、親に「何も考えずに流されるままに進学するなら、進学はさせない」と言われて、悩みに悩んだ末に宇宙に挑戦したいとなり、東北大学を受験しました。
 ちなみに大学4年生の時は材料工学研究室でチタン合金の研究をしていました。

大学院生(東北大学)

 僕の宇宙業界との関りはここがスタートになります。前でも少し触れた通り、大学院は東北大学航空宇宙工学専攻の宇宙ロボット研究室に所属していました。桒原聡文教授のもとで、RISESATとALE-1という二つのプロジェクトに関わり、2機の衛星のSTM→EM→FMの一連の開発・打ち上げまでを経験し、修論執筆中に横目で運用を経験しました。非常に濃い2年間を経験させていただきました。
 就活は衛星に関われることを軸にしていました。ただ、思うようには進まず、最終的に合格をいただけた会社の中からもう少し宇宙に関わっていようと考え、川崎重工に就職を決めました。
 大学院入学当初は博士課程への進学も希望していましたが、いろんなことを考え、就職することにしました。当時はものすごく悩みましたが、今ではこの決断で良かったと思っています。
 大学院では周囲の人に恵まれ、機会に恵まれ、貴重な経験をさせていただいたと思っております。

社会人1~3年目(川崎重工)

 川崎重工に入社してから、まず一番始めに頑張ったのは配属先決めでした。もうちょっと宇宙をやりたいという気持ちだったのに宇宙関係の課に配属されなかったら元も子もないと思いできる限りの努力をしました。個人の見解ですが、大学院で宇宙をやってましただけの人材は大したとこないと思っているので、自分はそれを超えるために配属先が決まるまでの間、業務時間に関わらず努力をしました。
 その後、無事に配属が決まった後は様々な業務を経験させていただきました。本当に貴重な数多くの経験を積ませていただき、仕事のイロハなど、今のエンジニアとしての自分を支える根幹を教えていただきました。川崎重工の方々には感謝してもし尽せません。具体的に何してたとかは話し出すときりがなくなるので、プロジェクト名だけ挙げると、デブリ除去プロジェクト・火星衛星探査機プロジェクトに関わりました。

社会人4年目(ALE、現在)

 ALEに転職した理由はいろいろありますが、大きくは親友の勧誘です。大企業からベンチャーに転職は正直かなり勇気がいりましたし、川崎重工は好きだったので離れるのは惜しいと考えておりましたが、挑戦とステップアップ、そしてもうちょっと宇宙やるかという気持ちでこの道を選びました。
 ALEでは流れ星衛星バスのシステム電気を主軸に様々なことを担当しております。この会社はエンターテイメントの会社である反面、すごく野心的なことに挑戦している会社です。成功させて宇宙業界に大きなインパクトをもたらせることができたらと考えて、日々精進しております。

最後に

 もうちょっと宇宙やるかと考えて、まだ宇宙にいます。この”もうちょっと宇宙やるか”は冗談ではなく、気持ちとかタイミングとか諸々が重なったら引退しようと思ってます。なのでこのもうちょっとが続く間にいろいろな人と関われて、さらには仲間ができて、もがきながら一緒に夢を叶えていけたら最高だと思っています。
 ずっと経歴紹介になっていたので、最後に最近興味があることを紹介すると、コーチング、サウナ、読書です!ここまで読んでくださりありがとうございました!

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