見出し画像

【よかったら、読んでください。】

寂しいお知らせをしなければなりません。

我が愛犬で家族の、ポメラニアンのモグが11月14日の夜、息を引き取りました。
享年15歳2ヶ月でした。

まず、生前モグを可愛がってくださった関係者の方や、モグの成長を一緒に見守って、沢山の愛を贈ってくださっていたファンの皆様に、心からの感謝を申し上げます。
15年と3ヶ月というポメラニアンとしては大往生と言っていい年月を皆さんの愛を感じながら過ごせたことは、本当に有り難いことです。本当に本当にありがとうございました。

去る11/17に、葬儀を済ませ、お別れをしてきました。

そして、、、
ここからは少し長くなりそうですが、僕自身まだまだ気持ちの整理が到底着いておらず、気持ちを整理しながら書いていくので、
とても読みづらいかと思うのですが、良かったら、ヒロトとモグに関わってくださった方はどうかお付き合いください。

《病気の発見と治療開始》
実は8月の終わりころから咳が多く出るようになり、この頃からセカンドオピニオンにも罹りだしたところ、「気管虚脱」と「心臓肥大」がみつかり、緩和のケアと投薬の治療もしていました。

11月の初旬に、咳の影響で神経が圧迫した結果、
突然後ろ左足が動かなくなり、以前から検討していた『幹細胞治療』を開始し、なんと2日後にはまだ不自由さは残るものの、ゆっくり散歩に行けるくらいに動くようになっていて、まだまだ元気を取り戻して行ける!と希望を持っていました。(咳のほうも投薬治療と緩和ケアが合っていたのかかなり軽減してきていました。)
が、同時にこの時の検査で、肝臓の数値が著しく良くないということもわかったので、そちらも投薬の治療を開始しておりました。

《最期の日の出来事》
そして14日に、2回目の幹細胞治療へと病院へ向かっている途中から鼓動が早くなり、すこし様子がおかしくなってきました。
病院に着き、治療を開始しようとしたところ、動機がさらに激しくなり、一旦落ち着かせるための注射をしたものの、上手く呼吸が出来ず酸素が回らなくなってきて、そこから酸素室に入り
4時間ほど落ち着いては乱れ、を繰り返していました。

病院の閉館時間も過ぎ、先生、看護師さん総出で処置をしてくださっていましたが、どうにかモグが寝れるとこまで落ち着いたタイミングで、院長先生を残し、スタッフさんや僕も帰宅し、朝まで院長先生に様子を見てもらう運びで、僕も後ろ髪引かれる想いで、病院を後にしました。(残りたかったですが、病院の決まりでできませんでした。)
そして、帰宅の途中で病院から電話があり「急変し、呼吸が止まりそうです、すぐ戻れますか?」と連絡がありました。
僕はもうその時にどんな気持ちだったか、もう思い出せないくらいに動揺と、不安と、どうにか助かってくれ、という希望とが入り混じった気持ちで病院へもどりました。(この時たった20分くらいの時間が永遠にも感じるくらいに長かったです。)

そして走って病院へ戻ると手術台で横たわり呼吸器を通したモグの姿があり、すがる想いでモグの身体に触れながら回復を祈りましたが、程なくして息を引き取りました。

ただ、僕が戻るまでなんとか頑張って待っていてくれました。

最期の瞬間は僕の手の中でした。

そこから帰宅し、呆然としながらも、
葬儀の準備や、週末はモグとの最期(今回の)の時間を過ごしました。

15歳という年齢もあって、ある程度の覚悟は持っているつもりでしたが、まだまだ一緒に居れると思っていたのもあり(今後は介護もしてくんだろうな、とか色々考えてました、結果させてもくれず、まったく手をかけずにいってしまった(介護くらいさせろよ!!!。)
想像を遥かに超えるショックと悲しみで、一旦お知らせをする、ということも出来なく、報告が遅くなってしまいました。

『もし、あの時こうしていたら』『もっとこうしていれば』など考えても意味がないとわかっている、もし、とか、たら、れば、などもぐるぐると考えてしまい、なかなかこの現実を受け止めることが出来ずにいます。

ですが同時に、涙したり、悔しい、寂しい感情が溢れる度に、モグから受け取っていた愛を改めて感じることになっています。

ここからは少し、モグとの思い出を話させてください。

《モグとの想い出》

2008年のちょうど11月頃だったと思います。
都内のとあるペットショップに、普段なら入ることはないんですが、その時だけふらりと入ったんです。

すると何頭かいたポメラニアンのうち、口の周りが真っ黒でまるで泥棒さんのような面構えで、都会の雑多な空気に怯えるように小刻みに震えながら座っている、周りの子よりも倍くらい大きい子がいました。

その子がモグです。

ふと目が合うと、おそらくその場でお互い目を合わせたまま多分2、3分くらいずっと見つめ合っていました。

すると店員さんに「抱っこしてみますか?」と話しかけてもらい、抱いてみたところ、やはりそのまま見つめ合って何分か経過してたと思います。

ただ、犬は実家でも飼ったことはなかったですし、もうアリス九號.もだいぶ忙しい時期でしたから、生体をすぐに飼うという決断は出来ず、その場を後にしました。

その日の予定を済ませ、閉店間際のペットショップを覗いてみると、他にいたポメの子たちは既に別の方たちのもとへ引き取られ、口の周りが真っ黒な子だけが、やはり何かに怯えるようにお座りした状態でいました。

そしてまた目が合うと、今度はショーケース越しに僕のほうへ飛びついてきた。

その瞬間に「この子を連れて帰ろう」と決心し、連れて帰りました。

そこから、男2人のまったく新しい生活が始まりました。

時にアリス九號.の現場でマネジャーやメンバーに可愛がってもらったり、そのついでに写真を撮ってもらって、それらがファンの方に触れることになったり。(何故かカメラを向けられるとちゃんと静止し、ちょー笑顔になるという技法をパピーの頃からもってました)

東日本大震災の時は、一緒に住んでいたマンションの階段を何往復もしたり(2人ともめちゃ足筋ついた)。

時にコロナ禍では、緊急事態宣言で家から出れなくなった期間、一緒にいすぎて険悪になったり(しばらく口聞かなかったり)。

そして僕が活動の中ですごく弱っている時なんかは、一番に心配してくれて、ペロペロ舐めながら気遣い心配してくれていました。 

小さいくせに気が強くて(大型犬も威嚇!)
死ぬほど食いしん坊で犬のくせに超多動。
でもとってもとっても優しい白いやつ。

彼と出逢っていなければ、僕は19年間もバンドを継続出来ていなかったかもしれません。(もちろんファンの方の応援あってこそです。その裏で彼にはずっと支えてもらってました。)
特別小さいけど特別大きな存在です。

そんな彼はもうただの相棒でもペットでもなく、『家族より家族』であり『一番近くにいる相棒』であり『一番の友人』でもあり、正真正銘の人生のパートナーでした。

もちろんここには到底書ききれない15年という月日の想い出が他にも沢山あります。

この数日、それらを写真を見返しながら、
ことあるごとに涙しましたが、その度にモグにしてもらったこと、大きな愛を感じ、悲しいはずが、思い出を振り返る度に、至極温かい気持ちになっていきました。

《再会への願い》

そして『輪廻』という概念を聞いた事はありますか?

輪廻とは輪廻転生、魂は繰り返すというものですが、近年、量子力学的には、輪廻は科学的に存在している、ということになってきています。

なので、これが永遠の別れではなく、モグの傷んだ身体の「メンテナンス」期間なんだと、そして、また必ずこの現世に戻ってきてくれると今は信じられるようになりました。(別れ際死ぬほど言い聞かせました(もう死んでたけど))

ヒロトとの思い出、ファンの人たちから頂いたモグへの思いのプレゼントなど、持たせられるものはたんと持たせたので、きっとたどり着けるはずです!(ヤツはとんでもない嗅覚と、忠犬ハチ公もびっくりな忠犬度)

なので『ここから』の日々はモグがいつでも戻ってこれるように、僕は変わらず、
モグが好きで、モグがついうっかりウトウト寝てしまうギターを弾き続け、
音楽を奏で続けて、
自分自身も健康に留意し力強く生きて、
モグの還りを待とうと思います。

この『出逢えていた』現世に最大限の感謝をしながら、また巡り合うその時に向かって歩んでいこうと決めました。

どうか、そのHIROTOとモグの奇想天外な旅の続きを、

皆さんにもまだまだ見届けてほしいと願います。

世界に繋がるこの場所にて、モグに向けてのメッセージで締めくくろうと思います。

『モグ、いつでも、どこにいても還っておいで!
いつでも帰還できる準備は常に整えておくからね!君には僕だけじゃなく、世界中にも君を想ってくれている人がいるからね!また出逢うその時まで、しばしのお別れです。
またな!この先も心から愛してるよ。君と家族になれて本当に良かった。また、男2人、やってこう。』

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。

改めて、この15年と2ヶ月の間の期間に、モグを愛してくれた全ての人に感謝いたします。

ありがとうございました。

令和六年十一月十八日。

HIROTO

旅立ちの日

#モグ
#MOGU
#もぐさん
#ポメラニアン
#ヒロト
#パートナー
#ありがとう
よかったら今まで特にお知らせしてなかったInstagramのモグアカウントも見てやってください。



いいなと思ったら応援しよう!