葛藤について 防衛規制と認知的整合 2024年8月19日
人間は葛藤する生き物である。無意識から湧き上がってくる欲動と社会規範との間で、人は無意識に葛藤する。これを防衛機制と言う。
本当の自分と理想の自分との間で、人は葛藤を意識する。この意識された葛藤を認知的不協和、それを解消する無意識の行為を認知的整合という。
無意識に行われる防衛機制とは、具体的には抑圧、否認、投影、合理化などである。
欲動と本当の自分は我慢不要であり、社会規範と理想の自分は我慢が必要である。
さて、無意識の葛藤であれ、意識された葛藤であれ、葛藤は何らかの方法で解消されなければならない。
解消の方法は3つしかない。
1我慢不要の側、つまり快側に傾いて解消
2我慢必要の側、つまり不快側に傾いて解消
3先送り
当たり前だけれど、 快側に傾いて解消できるのならば初めから葛藤は起こらない。 社会で生きていく上でそれでは社会に受容されないから葛藤が 起こるのである。故に快側で解消できるのは例外である。
◎ 防衛機制について
1欲動側、つまり我慢不要の側に傾いて解消するのは合理化(自分の感情を正当化する)である。
2社会規範側、つまり我慢必要の側に傾いて解消するのは抑圧、否認、投影である。
3昇華(違う行為で発散する)や退行(幼児返り)は先送りである。
2と3は、葛藤が解決されず、相変わらず心の中でストレスが溜まり続ける。
◎ 本当の自分と理想の自分との葛藤について
本当の自分、つまり我慢不要の側で解決するならば、自分に対しては開き直り、他者に対しては軽視、事実に対しては歪曲で対処することになる。
理想の自分、つまり我慢必要の側で解決するならば、自分に対しては勘違い、他者に対しては受容、事実に対しても受容で対処しなければならない。
防衛機制と同じく、理想の自分、つまり我慢が必要な側で葛藤を解消しようとしても、相変わらずストレスは蓄積し続ける。
防衛機制と違うのは、葛藤自体はこの場合意識されていることである。だとすれば、思考を使えばある程度我慢を受容することができる。具体的には、長期的な視点で物事を見て、目の前の我慢しなければならない不快なことを、長期的には自分の利益として受け取ることである。
例えば、タバコが体に悪いことを知っているがやめられず葛藤があるとき(認知的不協和)、我慢しない側で葛藤を解消するなら、「実はタバコは体に悪くない」(認知的整合)と考えることだが、我慢する側で葛藤を解消するなら、20年後にガンになる確率が何パーセント上昇し、そのガンの苦しさはこの程度であるということを知れば、タバコを今やめられる可能性がある。
さて、ここからが本題である。
現実の自分と理想の自分との葛藤の大きさと、その葛藤をどちら側で解消するかが、外界への態度を基本的に決めることになるのではないか。
具体的には、葛藤が大きいほどストレスが大きくなり、心の余裕がなくなり、外界に対して非寛容になる。また、葛藤を解消する際に理想の自分の側で解消すると、やはりストレスが大きくなり、外界に対して非寛容になる。
葛藤を小さくする簡単な手段は、理想の自分を低く設定することだろう