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婚外男性への手紙#0 『悪者と愚か者と』

「婚外相手が全然一途じゃなくて、他の女性とも会っていた」というような話を、最近いくつも見かける。
去年の夏の終わりか、秋頃からだろうか。1ヶ月に1人くらいのペースで見かける気がしている。

またか、という感覚。
読めばわかる。言葉が、心が、泣いている。
はっきりいって見てられない。

この感じは、何なんだろうか?
この感情を、どう片付けようか?

俺は直接その誰かの力になれる関係でもなければ、直接言葉をかける距離感でもなかったりする。
ましてや、俺は男だ。どちらかと言えば嘘をついて騙す側の性別だ。完全に共感できる立場でもない。

そうであれば、やはり俺には書くことしかない。不思議と、今回は迷いがなかった。
いつものように、婚外男性への手紙としてまとめることにしようと思う。

婚外男性への手紙と言っても、今回ほど女性に読んでほしいと思ったことはない。もちろん、男性と女性をひっくり返して解釈してもらっても構わない。俺が男だから見る限り男性が多く見えるというだけで、女性にも当てはまる場合があるかもしれないと思うからだ。

この手紙は男女を問わず、悪者にすらなれない愚か者への、蔑みと嘲笑の手紙になるだろう。
では、はじめていこう。

※本文中に出てくる「以前の記事」とはこちら↓のことを指しますので、よければ合わせて御覧ください。助けになると思います。


善人のいない世界で

婚外恋愛は嘘の上に成り立つ

以前の記事で、婚外恋愛は嘘の上に成り立つから、嘘や秘密を頭ごなしに否定することはできない、というようなことを書いた。
嘘をついたり隠し事をすることは悪いことで、嘘をつかない人が善人だとすれば、婚外恋愛をする人は基本的に悪人で、悪者だ。いい人なんて1人もいない。

レスられやサレであることは、たしかに同情には値するかもしれないし、情状酌量の余地にはなるかもしれない。ただだからといって、あなたが悪ではないことの証明にはならない。

婚外恋愛している人は、男も女も等しく悪だ。俺はそう思っている。

まともな人なんていない

これを読んでいる人が俺のことを知っているかはわからないので、少しだけ話をしておきたい。

俺はいまの相手ともう2年以上関係が続いていて、他の女性に会っていない。だが、俺は自分が倫理的にまともな人間だとは微塵も思っていない。分散みたいな遊びをしていたこともあるし、されたこともある。

なんにしても、俺が一途な人間であることは決してない。いまの相手だといまのところそういうことがないという、ただそれだけのことだと思っている。もし、いまの相手よりも素敵で自分に合うと感じられる女性が目の前に現れたら話は変わるんだろうが、2年も続いているしなかなか難しいだろな、という感じもしている。

だから「この人はちゃんとしたまともな人で、この人はひどい人だ」なんていう『人による区分や判断』には大して意味がないと思っている。年齢によって、考え方によって、タイミングによって、状況によって、それから相手によっても変わる。そんなものだと思っている。

その上で、だ。

嘘が明るみになるという変化

「婚外相手が全然一途じゃなくて、他の女性とも会っていた」という話を、最近いくつも見かける。傷ついた女性を何人も見かける。
決してまともではない俺でも、いや決してまともではない俺だからなのか、見ていて感じることがいくつかある。

悪者を悪者と避難する無意味さ

女性から見て「自分に黙って他の女性と会っていた」というのは、自分に嘘をついたり隠し事をしていたということ。自分を騙していたということだ。
嘘をついていたということは悪いことだが、婚外恋愛の世界に基本的に善人がいないことを考えると、悪い人に「あなたは悪い人だ」といっていることになるので、そのままといえばそのままだ。

これではたいした非難にも、文句にも、注意にもなっていない。
相手も自分も、悪者なのだから。

好かれる対象から怒れる対象に

傷つく女性を何人も見ていてこれは共通しているなと感じるのは、婚外相手が他の女性と会っていることを、Xやマッチングアプリなどのネット上で知ったというパターンが、かなり多いことだ。"嘘をつかれていて、それが明るみになった"という、明確な変化がある。

それは逆に言えば、他の女性と会っていることを知るまでは、嘘をつかれていた女性はとても幸せだったということの裏返しでもある。男が嘘をついていて女性が嘘をつかれていた期間、きっと女性は幸せだったのだろうなと、見ていても思った。

だがそれが明るみになった瞬間、男は好かれる対象から、怒れる対象に変わる。
嘘をついたり隠し事をして騙していたのだから、当然といえば当然かもしれない。

嘘つきの行く末

俺はXでのこうした出来事をいくつも見かけるたびに、以前の記事を何度も思い出してずっと考えていた。

嘘つきとバカ正直

以前の記事で、正直と誠実の関係を明らかにしようと、次のような図を用いたと思う。

俺が以前の記事の中でわかりやすく否定したのは、いわなくてもいいことをペラペラとしゃべってしまう「バカ正直」(右下)だ。これは別の記事「婚外恋愛で奥さんの話をしてくる男性心理の理解と向き合いかた」にも通じるところがある。
バカ正直に何でもしゃべってしまうという行動は、たいていは男性側が意図せず、自分が撒いた種によって発生するのだから、女性の方は予期しようがないので余計にタチが悪い。

一方、それとあわせて今回の件でずっと考えていたのが、左上の「嘘つき/あるいは秘密主義」だ。事実と異なることを伝えれば嘘つきだし、「それはナイショ」などとはぐらかして言わないのは秘密主義だと書いた。

俺は以前の記事の中で、この「嘘つき/あるいは秘密主義」についてはそこまで踏み込んで書かなかった。以前の記事は誠実さについて考える記事だったからだ。

ただ冒頭にも書いたように『婚外恋愛は嘘の上に成り立つものだから、嘘を頭ごなしに否定することはできない』とは思っていた。それと同時に、『むしろ問題視すべきは「すぐバレるような嘘をつくこと」ではないか。嘘はつくことではなく、突き通せないことが問題』とも書いていたと思う。
この考えも、基本的には変わっていない。

嘘を突き通す悪者と、突き通せない愚か者

嘘をつくということの問題は、嘘をつくことそれ自体にあると思っている。ただ逆にいえば、それ以外にはないとも思っている。というのも、嘘つきが嘘つきだとわかるのは、それが明らかになってしまったときだからだ。
嘘をつくということが大きな問題になるのは、嘘をついたその瞬間ではない。それが明らかになった瞬間なのだ。

そして嘘が明らかになった瞬間、その人はバカ正直になる。嘘を突き通すことに失敗して、伝えなくていいことを伝えてしまっている。バカ正直の定義に沿って書くならば、言わなくてもいいことを言ってしまっているからだ。(しかも意図せず、自分が撒いた種でだ。)
すぐバレるような嘘ではなかったのかもしれないが、結果的にバレてしまったのなら同じことだ。

よく女性が男性を「嘘つき」と非難するが、嘘が嘘だと明らかになったなら、それはもはや嘘つきでもなんでもない。なぜって、その嘘はもうバレてしまっているからだ。
だから俺は、そういう人を悪いやつ(悪者)だなとは思わない。バカなやつ(愚か者)だなと思っている。

悪者は、嘘を突き通すことでしかなりえない。嘘を突き通せなかったら、それはもう悪者ですらないのだ。

嘘を突き通して傷つけない覚悟

愚かであることの問題点

俺は以前の記事でもこの記事でも、バカ正直で愚かであることに対して否定的だ。それは、バカ正直で愚かであることの一番の問題点が、それが平気で女性を傷つけることだと思っているからだ。
奥さんの話の記事に多くの共感のスキをいただいて、それを強く感じている。

ただこれは逆に言えば、嘘をつくことが直接的に人を傷つける訳ではないということでもある。人を傷つけるのは、その嘘が明らかになったときだ。嘘をつくことの問題点は、あるとすれば後からやってくる。だから、後始末が悪いとしかいいようがない。

嘘をつくことは、決して褒められたことではないと思う。ただもし死ぬまで嘘を突き通したなら、相手は決して傷つかないということでもある。
その嘘が明るみに出ることは、ないからだ。

映画「Men in Hope」のおばあちゃん

少しだけ話を変えたい。2011年にチェコで公開された映画に「Men in Hope(英題)」というロマンティック・コメディがある。一時期ファスト映画みたいなYouTubeで流行っていたので、解説を見たことがあるという人もいるかもしれない。

この映画のセクシーさや下世話な内容についてはここでは触れないが、取り上げたいのは主人公の妻の母親。年齢的にはおばあちゃんだ。

このおばあちゃんは、60歳を過ぎても浮気三昧のおじいちゃんに厳しく当たりながらも、「最後には戻ってきてくれるから」と寛容に受け止めて接していた。だがおばあちゃんはしばらくして、不幸な事故で天国に旅立ってしまう。
浮気三昧だったおじいちゃんはその後心を入れ替えて暮らしていたが、ある日遺品を整理していた時に、おばあちゃんがずっと一途な浮気をしていたことにふと気がついて、ニヤっと笑うシーンがある。

このとき俺は、こう思ってしまった。
「死ぬまで隠して騙しきったおばあちゃんは、偉かったな」って。

「きれいな思い出にする」という悪行

映画のなかでおばあちゃんは、自身が浮気していることを誰にも言わなかったし、事実誰にもバレなかった。おばあちゃんがしたことは死ぬ最後の最後まで嘘を突き通し、おじいちゃんの良き妻でいたという思い出を家族に与える悪行だ。
ただおじいちゃんもたくさん浮気をしてきたから、おばあちゃんも浮気をしていたと知ってニヤッと笑ったのだろう。

映画ではおじいちゃんも浮気症だからコメディになっているけれども、もしおじいちゃんが浮気症でなかったら、おじいちゃんは怒り狂っていたかもしれない。
でももしおじいちゃんがおばあちゃんの浮気に気づくことなく天国にいったら、もう誰も傷つくことはないのかもしれない。

非常に意地悪なことを言うが、その恋愛を最後まできれいに終えて素敵な思い出にした人を、異性が恨むことはない。最後まで騙してきれいな思い出にするという悪行が、異性を深く傷つけることはないだろう。

女性を傷つけるのは、嘘を突き通す悪者ではない。嘘を突き通すマナーすら持ち合わせていない、愚か者なのだ。

最後の最後まで騙しきるということは、それはそれである面で相手を大事にしたことになるのではないかと、俺は思っている。
そうしろと言っているわけではない。でももし嘘をついたり隠し事をして恋愛するなら、そのくらいの覚悟が必要なんだと言っている。

せめて、愚か者になるな

いまの俺はもう、善人でも、正しくも、普通でも、まともでもない。
だからこそこの手紙を書いた。綺麗事は善人が言えばいい。

本当の悪者は、最後まで騙しきって、傷つけない。

それができない男は、悪者ではない。ただの愚か者だ。

愚かなお前に、悪者でいる資格はない。

それ相応に非難され、傷つき、苦しみに苛まれるしかない。

全ては悪者になることを、嘘をつくことを、人を傷つけることを舐めていた、お前の責任だ。

たしかに、それに騙される女も馬鹿な女なのかもしれない。
ただ、その馬鹿な女を最後まで騙しきって大事にすることすら出来ずに嘘がばれたお前は、馬鹿な女にも劣る愚かな男だ。

もしそれが嫌なら、悪者になれ。せめて、愚か者になるな。そして決して、傷つけるな。

それが無理なら、悪者になることは諦めたほうがいい。お前にはそんな能力は無いってことだ。
嘘をつくなんてやめて、善人でいたほうがよっぽどいい。

そのほうが、お前も相手も、誰も傷つかないで済むだろう。


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