〔余白の創造性〕冬の朝について
余白の創造性連載第三十回目の今回のテーマは
”冬の朝について”
”朝”ではなく”冬の朝”をテーマに選んだのにはこれと言った理由はなく、
単に僕が”冬の朝”が好きだからです。
日本には四季があって、それぞれに朝昼晩があって、それぞれに特徴があります。
そのなかで僕は”冬の朝”がその他のものとは比べられないほど好きです。
人それぞれに”冬の朝”に対しての印象は違うと思いますが、
僕にとっては冬の朝は薄い黄色と水色、少しの緑色が混ざったような空気が漂っています。
肌をぴりぴりと刺すような寒さと、湿度の低い乾いた空気、
そんな凜と張り詰めるような空気と肌のあいだには明確な境界線が引かれていて、
その境界線によって自分の輪郭が鮮明に浮き上がります。
それは決して劇的なものではないし、それほど特別なものではないのかもしれませんが、
僕はそんな’冬の朝”に、自分自身を静かにそれでいて強烈に認識できる”冬の朝”に、何かの予感を感じるのです。
僕にとってこの世界で自分がどこにいるのかをはっきりと感じられる瞬間が”冬の朝”なのです。
しかし、やはり冬というものに抱く印象には少し後ろ向きなものも多いようにも思います。
日が昇るのは遅く、早く日が沈むので寒い夜の時間が長くなります。
また、冬眠する動物がいたり、草木は葉を落としたり、生命の気配も薄くなり、淋しさが漂います。
肌で感じる寒さと心の感じる淋しさというのはどこか繋がっているのかもしれません。
人肌恋しい季節というのもやはり冬を表しますし、
”ぬくもり”というのも肌で感じる温かさだけではなく、心でも感じているものですよね。
そんな”冬の朝”とは対象的に”夏の朝”はまた少し違った印象があります。
地平線から滲み出してくる太陽の熱も冬のものとは違い、
すでにじりじりと灼き付けるような熱を放っていて、
灼かれた肌からにじんだ汗が生温い湿気に溶けて混ざり合い、
僕らの輪郭と空気の境界を曖昧にしていきます。
それは世界に溶けていく、受け入れられていくような朝です。
これらはどちらが良くて、どちらかが悪いということではありません。
ただ、その朝は僕らの存在の仕方が違うということです。
肌からにじんだ汗と空気が溶けていくような距離にいれば離れたくなり、
寒さで鮮明に境界線が引かれているときには、それを越えてぬくもりが恋しくなるのでしょう。
僕らは元来あまのじゃくな生き物です。
”冬の朝”が好きな僕は、一人になりたいと言いながらも、心のどこかで人肌恋しく思っているのかもしれません。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。
先週は諸事情あり更新が出来ませんでした。
そして、今年の更新はこれで最後です。
連載を始めて約半年、多くの人に読んでいただけて嬉しかったです。
皆様の日常で少しでも余白の創造性を探す機会を作れていたら幸いです。
次回の更新は年が明けた一月十四日、
テーマは
”魔法というもの”
それでは、また来年。
良いお年を。