一週間のネット断ち生活を終えて感じたこと
「インターネットって素晴らしい!!!」
初めまして、ひろたつです。
初めてnoteを公開します。宜しくお願い致します。
いきなりですが
皆さんはインターネットに依存した生活をしていませんか?
僕はしています。
まず、簡単に僕のお話をします。
が、皆さんにも当てはまるの項目が多いのではないでしょうか?
- 大学時代「情報通信工学」というものを学んでいました。
- エンジニアとしてITの会社でアプリを開発していました。
- ブログを毎日更新しています。
- もちろんTwitterやInstagramといったSNSも毎日更新しています。
- わからないことは何でもかんでもGoogle先生に聞いています。
- 暇なときはYoutubeでおもしろい動画や興味のあるものを見ています。
- 毎日のようにLINEで友達とメッセージのやり取りをしています。
- 朝起きたらメールとSNSの通知を確認するのが日課です。
- 友達といるときにもスマホばかり見てしまいます。
- インターネットの無い生活が想像つきません。
- インターネットがないと生きていけません。
- インターネットが大好きです。
皆さんはいくつ当てはまりましたか?
上記の通り、僕はインターネットの上で人生を歩んできました。
大学時代からインターネットに触れ、社会人時代はエンジニアをしていたので他の人よりもインターネットとの関わりは深いかもしれません。
そんな僕が「一週間ネット断ち生活」をしてみました。
なぜ、いきなりそんなことをしようと思ったのか。
理由は2つあります。
1. ネット断ち生活をせざるを得なくなった
2. 学生時代からネット断ち生活に興味があった
1. ネット断ち生活をせざるを得なくなった
僕は現在インターネットを使うためにキャリアとの契約をしていません。
主にフリーWifiを使ってインターネットを利用しています。
そのため、僕のインターネット環境はWifiの有無に依存します。
そして、
僕はニュージーランドにある「ランギトト島」という無人島に一週間滞在することになりました。
(正確には「モトゥタプ島」というランギトト島から徒歩で移動できる島のキャンプ場でテントを張って一週間生活することになりました。)
そのため、キャンプ場にWifi環境が整っていなければ一週間インターネットを使えないことになります。
蓋を開けてみると、、
案の定キャンプ場にはWifi環境は整っていませんでした。というわけで晴れて「一週間ネット断ち生活」が確定しました。
2. 学生時代からネット断ち生活に興味があった
僕は学生時代からインターネットに寄り添った生活を送っていました。
その時に、ある一つの動画に出会いました。
知っている方も多いと思いますが、TEDの動画です。
こちらです。
これは
「生活の中心がインターネットにある自分がインターネット断ちをしたら一体どうなるのだろうか?」
という疑問を持ったジャーナリストのポール・ミラー氏が、一年間ネット断ち生活をしてみた体験とそこから学んだことを語った動画です。
僕はこの動画がとても印象に残っています。
そして、この動画を見てから
どこかのタイミングで「ネット断ち生活をしてみたいな」と密かに思っていました。
そして、先日そのタイミングが訪れたのです。
2018年12月10日から17日までの一週間、僕はニュージーランドの島で
「ネット断ち生活」
をしました。
そして
その中で感じたことをまとめました。
ニュージーランドの自然に囲まれた生活の中で、インターネットを断つことによりたどり着いた、僕の答えです。
一週間のネット断ち生活を終えて感じたこと
目次
- はじめに
- ネット断ち生活の始まり
- 自然に囲まれた生活
- 思考を巡らす日々
- ネットを断って思うこと
- 一週間ぶりにネットと繋がる
- 一週間のネット断ち生活を終えて感じたこと
- おわりに
はじめに
まず、この記事を読む前に
皆さんに一つだけお願いがあります。
お願いといってもたった一つ、簡単にできるお願いです。
この記事を読み終えた後
少しだけスマホを置いて下さい。
少しだけキーボードから手を離して下さい。
インターネットとほんのちょっと距離を取ってみてください。
そして
少しだけ「思考」を巡らせてみてほしいです。
僕からのたった一つのお願いです。
宜しくお願い致します。
ネット断ち生活の始まり
2018年12月10日。
オークランドから船に乗り、波に揺られていると気づけばランギトト島へ到着していました。
ランギトト島は自然保護区になっていて、許可がないと滞在することが出来ません。
滞在するにはランギトト島から徒歩で渡ることが出来るモトゥタプ島にあるキャンプ場へ行く必要があります。
僕は1週間分の水と食料を背負ってキャンプ場へ向かいました。
キャンプ場に着くとまずテントを張り、寝床を整理して、一週間生活をする場所を整えました。
一週間のネット断ち生活スタートです。
自然に囲まれた生活
僕がネット断ち生活していたところには何もありませんでした。
無人島と、無人島に隣接する小さな島で生活していたからです。
あるのは
目の前に広がる青々としたビーチ。
永遠と続く緑色の丘。
その丘を自由気ままに走り回る牛や羊。
丘にはウォーキングコースがあり、ランギトト島にはトラッキングコースがありました。
ランギトト島は600年前に火山の噴火によりできた島であるため、あたり一面に黒々とした溶岩石が散らばっています。
その中に綺麗な赤い花を持つ「クリスマスツリー」と呼ばれるポフツカワの木がところ狭しと育っています。
多種多様な自然の中を面白い鳴き声をする鳥たちが飛び回っていました。
日中は海でプカプカと好きなだけ浮いていたり、トラッキングをしたり
夕方には釣りをしたり(結局最後まで釣れませんでしたが、、、)
夜は満点の星空の下で眠りにつきました。
一言でいうなら「自然」の中に生きていました。
思考を巡らす日々
ネット断ち生活をしているので、僕はすることがありませんでした。
いつものようにSNSを閲覧したり、面白い記事を探したりそれを読んだりすることは叶いません。
出来ることと言えば
僕自信が持っている「脳」を使って「思考」をすること。
本当にすることがないので、海を見ながら永遠と「思考」を巡らす日々です。
こんなにも自分の脳を使って思考をし続けた経験は僕にはありませんでした。
というよりそこまで思考に時間を費やせていなかったです。
インターネットに繋がった生活をしていると
思考することに多くの時間を使うという選択ができなくなってしまうのだと知りました。
ネットを断つことにより思考に多くの時間を使えるようになり
それにより初めて自分の脳を好きなだけ使うことができました。
そして
今までは思考が進まなくなったら、インターネットに逃げていました。
しかし
今回は思考が進まなくなったらあの手この手で先に進めようとしました。
なぜなら思考を止めてしまったらすることがないからです。
半強制的に思考を進めざるを得ませんでした。
この環境は、脳の成長機会としては良いものでした。
前に進まない時は、立ち止まって情報を整理したり、引き返して他の道を探したり、はたまた無理やり前に進めようとしたり。
思考が少しずつ前に進むのを感じました。
日常的に当たり前のように思考を進めることができる人はいると思います。
そういう人にはネットを断って思考をする必要はないと思いますが、僕はネットを断つことにより初めて思考の進め方を知りました。
今までもある程度は思考を進められていたとは思いますが、順を追って思考がちょっとづつ進んでいく感覚は初めて感じるものでした。
そして
思考には頭を使います。
頭が疲れたら目を閉じて、何かのタイミングで再び目を開けて、
時間を確認すると
全然「時」は進んでいませんでした。
僕はネット断ち生活を始める2日前に誕生日を迎えて24歳になったのですが、その時に「光陰矢の如し」をとても感じました。
「前回の誕生日からあっという間だったなぁ」
「19歳の誕生日から早5年が経過したのか...」
時間が矢のように過ぎていったと感じました。
しかし、ネット断ち生活を初めて感じたのは、
時間の緩やかさ
誕生日の時は時間を「矢」のように感じましたが、ネット断ち生活をしていた時は時間を「亀」のように感じました。
時間は永遠なのか!?とまで感じました。
インターネットと距離をとるだけでこんなにも時間の進みがゆっくりになるのか。
みなさんも一度インターネットと距離をおいて、ほんのちょっとでよいので時間を使ってみて下さい。
驚くほど「時間の進み」の緩やかさを感じられると思います。
僕は今までずっとインターネットと共存して仲良くやってきました。
それはそれで便利だったのですが、そのせいで時間がどんどんと進んでいってしまっていました。
インターネットと距離を置くことで、本当の時間の進みを知ることが出来ました。
これが、真の時間の進み方だと思います。
インターネットとの生活で感じる時間は虚像だと僕はその時感じました。
インターネットと関わりすぎると
(感覚的な)時間の流れにズレが生じるということを知りました。
ネットを断って思考を巡らせることにより
本当の時間
を知ることができました。
- 思考の進みを感じられる
- 時間の流れがゆるやかになる
ネットを断って思うこと
僕が一週間のネット断ち生活をしていて感じたことは大きく2点あります。
- インターネットが無いことの不便さ
- 世の中から隔離されたという恐怖
インターネットが無いことの不便さ
これは当たり前ですが、インターネットが無いと不便です。
調べたいことをすぐには調べられません。
「わからない」に出会った時にすぐに調べられません。
すぐに調べられない
これが大きいです。
言い換えると「疑問」をすぐに解決できないのです。
今までは「疑問」に思ったらすぐにインターネットを使って大量の情報を使ってその疑問を解決していました。
が、
ネット断ち生活の中では
大量の情報による疑問の解決ができません。
「自分の脳」を使って疑問を解決しなければなりません。
これは僕の「素」の脳力が試されます。
今までの経験や情報から「疑問」に対する答えを探して見つけなけれなりません。
全くわからないことは「解決」できません。
これがインターネットが無いことによる不便さです。
世の中から隔離されたという恐怖
上で挙げたインターネットが無いことの「不便さ」に紐付いて
世の中から隔離されたという「恐怖」を感じました。
どういうことか。
僕はインターネットを使えないことにより新しい情報が入ってこなくなり、それにより「自分の成長が止まった」と感じました。
今まではわからないことを調べて新しい情報をインプットすることにより自分自身が成長していると感じていましたが、それが無くなったからです。
そして
今までリアルタイムで周りの人達の行動を見れていましたが、それが全て見れなくなくなりました。
具体的には
今まではTwitterやInstagramを通して仲の良い人や目標としているインフルエンサーなどの行動や思考を常に見ながら生活をしていましたが、それができなくなったのです。
ネット断ち生活をしていると
「あの人は今何やっているのだろう」
を解決出来ません。
また
自分が見たものやしたことを「共有」することができません。
共有の方法はオフラインでの会話に限られていました。
(島で生活していたのでオフラインでの共有も叶いませんでした)
僕はこの時に
「世の中から隔離されたんだなぁ」
と感じました。
インターネットに繋がっていたからこそ世の中の流れに入れていたんだなと感じました。
自己の成長が止まり、世の中から隔離されて
僕は文字通り「恐怖」を感じました。
もし、このままずっとインターネットに繋がらなかったら、僕は一生成長できず世の中には戻れないと感じました。
もちろん
今持っている自分の脳を使って、思考による成長を進め、オフラインで世の中の流れに入っていけばよいのですが、
現状の自身の脳に自信が持てていませんでした。
島で生活していたためかオフラインで世の中の流れに入っていくという考えには至りませんでした。
僕は島で思考を巡らせながら「恐怖」と戦っていました。
- インターネットが無いことの不便さ
- 世の中から隔離されたという恐怖
一週間ぶりにネットと繋がる
自然に囲まれた生活を送りながら、思考を巡らせ続け、緩やかな時間の流れを感じながら一週間が経ちました。
2018年12月17日。
僕のネット断ち生活の終わりの日です。
全ての荷物をまとめフェリー乗り場まで歩き、そして船に揺られてオークランドの街に戻ってきました。
オークランドにあるマクドナルドに行って「フリーWifi」を取得し
一週間ぶりにインターネットと繋がりました。
この瞬間の感覚は今でも鮮明に覚えています。
滞っていた情報が一気に流れ入ってきました。
友人からのメッセージ。
SNSの通知の嵐。
溜まりすぎて手に負えないメール。
ニュースを一週間前からさかのぼって見ていると
「世の中に取り残されていたんだなぁ」
と強く痛感しました。
そして何よりも
「情報」
が大量に僕の脳に入ってきました。
脳への情報の流入は、一言でいえば「刺激」でした。
とても強いジンジャービアを飲んだ感覚でした。
大量の情報により、様々方向へ思考が進んでいく感覚を得ました。
しかし、この思考の進みはネット断ち生活のときとは少し違いました。
僕はこの時初めて
思考には2種類ある
ということを知りました。
外部からの情報をトリガーとする思考と自分自身で意識的に進める思考です。
前者は思考の幅が広いです。
後者は思考の深度が深いです。
イメージでいうと、汎化と特化という感じですかね。
インターネットに繋がっている状態での思考は前者のパターンが多くなると感じます。
そしてネット断ちをしている状態での思考は後者のパターンになりました。
この気づきは「ネット断ち」をしないと知りえませんでした。
ネット断ちをして、再びネットと繋がって知り得る気づきだと思います。
一週間のネット断ち生活を終えて感じたこと
ここからが本題です。
ネット断ち生活を終えて感じたことを一言で言い表すと
「インターネットって素晴らしい!!!」
ということです。
実はこの記事の一番最初に書いていましたね笑
僕は一週間のネット断ち生活を通してインターネットの素晴らしさを再確認することができました。
インターネットは人々の生活を格段に便利にし、そして思考の幅を何倍にも広げています。
好きな情報を好きなときに好きなだけ得ることができるのがインターネットです。
他の人の行動や思考を得ることもできますし、自分の情報を発信することもできます。
自分の情報を発信することにより、自己承認欲求を満たすこともできますね。
インターネットと繋がることは、人生を豊かにする。
僕は改めてインターネットという技術に驚かされました。
すいません。「改めて」という表現は語弊がありました。
僕が生まれたときにはもうすでにインターネットは存在し、生まれてから今までインターネットがあることが当たり前でした。
なのでインターネットという技術に驚かされたのは初めてです。
ただ
インターネットの素晴らしさを感じると同時に、少しの違和感も残りました。
上で書いたとおり
インターネットと距離を置くことにより「時間が緩やか」に感じられました。
インターネットがないからこそ、思考を巡らせ続けることが出来ました。
インターネットと繋がらないことのメリットもあることを知りました。
僕はこの記事を書く時に「インターネットに繋がることのメリット」という形でまとめようと考えていましたが、今はその感覚は少し違います。
インターネットと繋がることのメリットとネットを断つことのメリット
この2つをまとめようと思います。
インターネットと繋がっていてもネットを断っていても、どちらにもメリットがある。
そう感じたからです。
インターネットと繋がることのメリット
- 好きな情報を好きな時に好きなだけ得ることが出来る
- 自分の情報を共有できる
- 大量の情報を浴びることにより思考の幅が広がる
ネットを断つことのメリット
- 思考の進みを感じられる
- 時間の流れがゆるやかになる
- 自分の脳力で思考を巡らせ続けることが出来る
おわりに
「一週間のネット断ち生活を終えて感じたこと」
いかがだったでしょうか。
僕は一週間のネット断ち生活を通して、一つの気づきを得ることができました。
「インターネットって素晴らしい!!!」
この気づきは僕にとってプラスとなっています。
当たり前に存在していたインターネットに対して、当たり前でないところからの視点を得ることができたからです。
皆さんも「ネット断ち生活」に興味あれば、ぜひやってみてはいかがでしょうか。
短い時間でも何かしらの気づきに出会えると思います。
そして最後に
はじめにお願いをした
少しだけインターネットと距離を取って思考を巡らせてみる
ということをしていただきたいです。
ほんのちょっとでも「ネット断ち」の感覚を知ってほしいのです。
僕も皆さんも、これからもずっとインターネットと共存していくと思います。
しかし
ふとした瞬間に「ネット断ち」をしてみると、なにか気づきがあると思います。
そして感じましょう。
「インターネットって素晴らしい!!!」
ということを。
以上、僕の初めてのnote記事でした。
読みにくい文章でわかりにくい表現が多かったかもしれませんが、最後まで読んでくださりありがとうございました。
読んだ感想をツイッター等でシェアして頂けると嬉しいです。
また、ツイッターのフォローもお待ちしています。
ありがとうございました。
次のnoteも楽しみにしてて頂けると嬉しいです。
自分なりの言葉に落とし込んで、多くの人にシェアできればと思います。
ひろたつ
頂いたサポートは今後の旅に使わせて頂きます。