「一度はポルシェ」がホントに一度だけだった話
「いつかはポルシェ」「一度はポルシェ」と願う人は——とくに男子は——少なくないと思います。ただ、そう願う大方の人々が自分のポルシェを手に入れることなしに人生を終えるのは、自分の人生に彼女を招き入れることは大変な災難を背負い込むことに他ならないのではないか、という漠然とした不安を払拭できないことに加え、エイヤー!と背中を押してくれる他人や場面や理由についぞ出会えなかったということもあるかもしれません。
結論を先に書けば、僕の場合、背中を押してくれたのは持病の緑内障でした。
40歳代で自覚した(させられた)緑内障は、およそ20年の月日をかけて確実に悪くなっていました。もはやいま所有しないことには、ポルシェはおろかいかなるクルマも自分では運転できなくなる、という予感が確信に変わったとき、あと先も考えずポルシェ正規代理店のミツワ自動車に…もとい、非正規代理店の中古車屋さんに駆け込んでいました。
「ポ、ポルシェください!」
と言ったのか、
「ボクさー、ボクスター!」
と言ったのかは忘れましたが、ポルシェの入門篇とはいえ、僕とボクスターの蜜月はその後、数年続いたのでした。
洞爺湖からほど近い、北海道の伊達市に移り住んでいた頃のことで、週末ともなると、理由もなく洞爺湖畔の素晴らしくも懐かしい小径をぐるぐる何百周したことか…。ときにはルスツを突き抜けてニセコまでかっ飛ぶと、LUPICIAニセコ店でセカンドフラッシュ(ダージリン)の茶葉だけ買って、また伊達の自宅に戻る無為の日々でした。
さて、いまや僕の手もとにはポルシェはおろか運転免許証とてありません(「返納」? いえいえ、まざまざと失効するのを見届けただけです)が、いつまでも俯いていたのともちと違います。
僕のボクスターは素晴らしいクルマでしたが、さりとて僕の人生にいっとき咲き誇ったあだ花みたいなもの(高っい「あだ花」でしたが)。もはや「助手席専門の人」になり下り、自らハンドルを握ることがないことは寂しいには寂しいですが、いまだ自分の人生の専属運転手であることに変わりありませぬ。
ポルシェ乗りだったことは一度限りの良い思い出ですが、この先、緑内障持ちとして(文字通り)視界不良の人生をセルフマネージすることの方に集中せざるを得ません、否が応でも。
これまでも、これからも降りかかってくるポルシェ以上のドタバタについて、もしくはポルシェに匹敵するような素晴らしい日常について、面白おかしく共有できたらとこのnoteの頁を開くことにしました。