僕のMacBookが机上10センチ浮揚するわけ
2020年2月に左目の緑内障の手術をしたことで急速な視力の低下はなんとか食い止めることができました。もちろん、もっと早くに外科的治療に踏み切っていれば、かくも見えにくいということはなかったかもしれません。ただ、そうなると、当時勤務先の大学で責任ある立場にあったことを途中で放り出さざるを得ず、ちっぽけな責任感とのトレードオフだったと考えれば、これより前でも後でもなく、まさにあのタイミングしかなかったと思うのです。
結果、見えにくさから大好きなクルマの運転を諦め、眩しさから常夏のハワイを諦めはしましたが、言ってみればそれだけのこと。いまも介助も白杖もなしに一人でどこへでも出かけますし、たいがいの情報は手許のiPhoneからなんなく得ることもできています。
目を悪くするまでは、視覚に障害を持つ人の視力はall or nothing、すなわち、よく見えるかまったく見えないかの2択のイメージでした。が、その実、多くの人は——視覚障害を自覚するとしないとに関わらず——よく見えるとまったく見えないとを結ぶ直線上のどこかの位置にある、すなわち視覚の良し悪しはグラデーションであることを身をもって学びました。
あ、そうそう、手術から3年、見えにくさ、眩しさとは別に、もうひとつの「超常現象」とも折り合いをつけつつあります。いつかあの時の執刀医の先生に、
「先生、よもや僕の左眼球内になにか忘れ物しませんでしたよね?」
と訊いてみたいのですが、視界のザラザラ感からは1年を過ぎた辺りでだいぶ解放されたものの、異物感というか、目ん玉の中になんかトゲトゲしたものが1ケ残っている感じ 、それだけは3年経ったいまも拭い去れません。
結果、「クルマの運転」と「常夏のハワイ」に加えて諦めたものがもうひとつ。それは、他ならぬうつ伏せ寝であります。
それとは知らず退院直後のある朝、起き抜けの左の視界が真っ白でまるで見えないのには正直慌てました。それが、起き上がり、しばらくすると徐々に見えてくる。すぐには、それとは分からなかったのですが、これ、すなわち左眼球の中に残存物、あるいは沈殿物があり、うつ伏せ寝だとこれが時として悪さする、というのが現時点での肌感覚、素人判断です。
かくなる上は、一生うつ伏せ寝しない、すなわち仰向けに寝て微動だにしないを励行するしかないと覚悟を決めたのでした。
具体的には、例えば、電車の中での居眠りを「うつ伏せ」から「仰向け」に矯正しました。阿呆面を晒す恥ずかしさは、コロナ下のマスク着用でだいぶ緩和されましたし、ヨダレ防止という副産物もついてきたのは僥倖でした。
次に、MacBookのリフトアップに着手しました。デスクトップならいざ知らず、ラップトップだとどうしても視線が斜め下に向かいがち。このことが、結果として、目の中のアイツに移動の機会を与えてしまいかねないからです。まずはMacBook専用の外付けキーボードを手に入れた上で、始め「リフトアップ」用の台は木材で手作りしようかとも考えました。ただ、困ったときのAmazon頼み。ありましたありました。MacBookの筐体(きょうたい)と相性抜群のアルミ製で、MacBookを一本足で浮揚させるかのデザインもスペースエイジな感じで好みです。——実際、使い勝手も最高であることを確認するに至り、「残りの人生」用のスペアも2つ買ったような次第です。
加えて、なんと言ってもiPhoneの使い倒し。iPhoneなら、ベッドやソファに寝そべりながらにしてメールの返信ができますし、やろうと思えば(しませんが)Zoomだって仰向けのままやれます。さらには、鼻先10センチまで近づければ、眼鏡いらずで眼精疲労もぐっと抑制されるのでした。
人は多かれ少なかれ障害者として死んでいく。その意味では——もちろん、不意の事故や事件が天寿を全うすることを妨げるケースは別として——老いや死の前には何人も平等です。ただ、MacBookやMacBookの「リフトアップ」器やiPhoneなどのガジェットがこれだけヨリドリミドリの現代、人は多かれ少なかれサイボーグとして死んでいく、との言い換えもできましょう。
僕の場合、「サイボーグ化」の発端は中学生のときに両眼にコンタクトレンズを装着したときまで遡ります。当時、多くの友人たちは、僕のことを視力検査不要の裸眼人間と看做していたと思うのです。でも、その実、コンタクトレンズ人間のハシリの一人だったわけで、人は見かけだけではなにも分かりません。
そして、いま、さっそうと札幌を、吉祥寺を、マンハッタンを闊歩する僕のことをiPhoneなしには、MacBookのリフトアップなしには情報伝達もままならないAppleサイボーグだなんて知る由もありません。人は本当に見かけによらないのです。
よく見えるとまったく見えないとを繋ぐリニアな線上の、一体どの位置にいるのか、自分ではなんとなく分かっていますし、5年後、10年後のさらなるサイボーグ化を案じても詮ないことだとは思います。ただ、加速度的に開発が進む新手の視力アシストガジェットの登場や、究極的にはiPS細胞による視神経の再生、すなわち緑内障の根本治癒法の確立がすぐそこにあることを思うと、とてもとてもうつむいてなんかはいられません(文字通り……)。