大学教授と就活
結婚式の来賓挨拶の定番フレーズには、コテコテのオヤジギャグが少なくないのですが、なかにはグッと来るのもあるにはあるわけで。例えば、「コツコツが勝つコツ」なんかが僕のお気に入りです。年若い大学院生や、還暦も近い社会人院生に、
「どうすれば大学教授になれますか?」
と真顔で訊かれたようなときに、しかし、僕は、
「コツコツが勝つコツ!」
とは決して言いません。なんとなれば、そもそも質問して来る学生の多くが日々コツコツやっていることは百も承知ですし、でもその先に「研究者」になるにはきっと何か門外不出の秘伝のタレがあるに違いないと……それくらい茫漠とした思いでいるのが痛いほど分かるから。また、僕自身、大学教員として周囲を見渡せば、なるほど「秘伝のタレ」とは言わないまでも、コツコツ研鑽を積むことを所与のものとしても、ふりかけというか……おまじないというか……マジックソルト的なひと工夫がどうしても不可欠なんだな、と思うところ大だからです。
ハウツー本の名著、鷲田小彌太『大学教授になる方法』(1991年初版)にはとてもとても及びませんが、以下、僕なりに小文を物してみたいと思います。「大学教員へのキャリアパス」に多少なりとも関心のある向きに、何かの参考になれば幸いです。
ひとまず、副題としましては、(「コツコツが勝つコツ」に倣って)「アキナイが就(つ)くコツ」とでもしましょうか。すなわち、ここで言う「アキナイ」とは、
①命あるかぎり飽きない研究テーマ
②辞めないかぎり空きない専任ポスト
③のこぎり商いキャリアパス
の3つです。
①命あるかぎり飽きない研究テーマ
もう20年ほど前のことになりますが、僕がいた「法学部」界隈では、00年代に新設された法科大学院の開校ラッシュに伴い、「民法教員特需」というのがありました。民法の先生が全国の新設ロースクールから引く手あまたで、青田買いといいますか……入れ食いといいますか……「民法」が専門でありさえすれば猫も杓子も……というのは猫に失礼……あ、いや民法の先生に失礼ですが、とにかく(公募によらない)いわゆる一本釣りが横行したものでした。
ならば、研究者を志し、これから大学院を探そうかというあなたは、投資の世界における「次なるNVIDIA」ではないですが、「次なる民法」を血眼になって探すべきでしょうか? もちろん、答えはNO。二つの点においてそれは無意味です。
ひとつには、10年後の「引く手あまたの研究テーマ」を予想することが困難なのは、10年後のテンバガー(株価が10倍以上に跳ね上がる銘柄)を的中させるのが無理ゲーなのと一緒。ま、株式ならあれもこれも買う「分散投資」でリスクを軽減できるかもしれませんが、研究の世界であれもこれもと関心を分散させるのはあまり褒められたことではありません。
加えて、ひとつには——こちらがより重要ですが——極論すれば、あなたがテーマを選ぶというよりは、「テーマがあなたを選ぶ」といった体験こそがより重要であること。ある日あるとき雷にでも打たれたかのように、人生を通じて追い求めるべき研究テーマはこれだ! と思える瞬間に出会えたあなたは大ラッキー。後は「就職」のことはいったん置いておいて、それこそコツコツと研究に勤しんで……というか、研究を楽しんでください。
すなわち、研究の深淵を垣間見た経験を持つのはそれはそれ単体で幸運なことですし、その上、就職の機会にも与れたならなお良し……くらいの、気長で大らかな気持ちでいてください。
かくいう僕も、アメリカで大学院生だった1980年代の終わり頃は、目の前の課題をなんとかこなすだけのモノトーンな学問世界の住人でした。それが、ある日、ひょんなことからnonprofit organization(非営利組織)という言葉や考え方と出会い、やがて恋に落ちます。今日、日本でいうNPOのことですね。
結果、政治学という広角な専門性の下、「非営利組織」というより鋭角なテーマを研究の中心に据えることになるのですが、当初は「これで良かったのかどうだか……」と半信半疑。研究の進捗も遅々たるものでした。それが、とある授業で担当教授が、
「営利組織(企業)は人々をリッチにしようとするが、非営利組織(NPO)は人々をハッピーにしようとする」
(The for-profits make people rich, while the nonprofits make people happy.)
と、先生としてはたぶん半ばアメリカ版オヤジギャグのノリで口にされた言葉が、あたかも落雷のように若き日の僕の脳天をかち割ったのでありました。
もっとも、この段階では、やがて「大学教員」になるに途が拓ける日が来ようとはつゆとも思っていませんでしたが。
考えてみれば、あれからおよそ10年後の1998年にNPO法(特定非営利活動促進法)が成立、日本も本格的な「NPOの時代」に突入します。札幌の大学(北海学園大学)で「公共政策論」の専任ポストに就けたのはその翌年の1999年4月のことです。その後、北大の公共政策大学院でも「NGO/NPO経営論」なる授業が新たに開講。非常勤で僕が受け持ち、今日に至っています。
時代の巡り合わせが良かった、と言えばそれまでですが、僕にとっては、あの「被雷体験」から35、6年経ったいまも、一貫して「非営利組織(NPO)の探求者」でいられること自体がよほどのラッキーでした。すなわち、「命あるかぎり飽きない研究テーマ」に出会えたからこそ、このあと扱う「(誰かが)辞めないかぎり空きない専任ポスト」問題とも飄々と向き合ってこられたように思います。
②辞めないかぎり空きない専任ポスト
院生としてここまでコツコツとはやって来たあなた。しかも、雷鳴の1度や2度は轟いた(=「飽きない研究テーマ」とも出会えた)あなた。ただ、誰かが「辞めないかぎり空きない専任ポスト」問題=誰かが「辞めないかぎり開かない専任ポスト」問題がそこに厳然とある事実に途方に暮れることと思います。
現下、日本における大学教員採用の「正門」は、国立研究開発法人科学技術振興機構が主宰・運営するウェブサイトのJREC-IN(ジェイレックイン)です。ここには、自然科学、人文科学、社会科学から医学、芸術の領域に至るまであらゆる学問分野の求人情報が常時何千件も掲載され、24時間/365日、アクセス可能となっています。
これは、しかし、好条件の採用情報には日本国内のみならず、世界中からアクセスやアプローチが集中することを意味し、ときに便利さゆえのとりつく島がない感を抱くような状況が起こっています。かつての「一本釣り」採用や「表向きは公募」採用は鳴りをひそめ、今後、優勝劣敗ここに極まれり、といった側面がますます強くなっていくものと思います。
もちろん、真面目に学問と向き合い、折々で立派な研究成果を重ねて来た一群の人々にとっては、例えば、性差別や年齢差別、あるいはルッキズムなどの入り込む余地のない、好ましい完全競争状態が現出していると言うこともできましょう。
ただ、我が身を顧みつつ、螳螂之斧(とうろうのおの)の譬えのように、強敵を前にして徒手空拳で虚勢を張るくらいしかないカマキリ(=虫ケラ)のような存在にこそ強いシンパシーを抱く僕としては、公募サイトで正々堂々と就活に挑み続けつつも、どこか勝ち進む自信も勝算もない人たちにこそ、どうか研究者への夢を諦めないで欲しい、と声を大にして伝えたい。
ここでの最善のアドバイスは、前出の、30年以上も前に上梓された『大学教授になる方法』で著者の鷲田小彌太さんが繰り返し喧伝されている、専任ポスト獲得のいわば第一原則。すなわち、どんな不本意な学校、立地、担当科目、採用条件……等々であっても まずは「専任のポストに就く」を最優先すること。いかなるかたちでかフルタイムの研究者としてスタートを切らない限り、アカデミアでのキャリア形成はどうにも始まらない、ということです。
だからといって焦る必要はありません。なんとなれば、研究者のキャリアパスこそは究極の「のこぎり商い」と信じて疑わないからです。
③のこぎり商いキャリアパス
「のこぎり商い」とは、のこぎりが押しては木を切り、引いては木を切るように、なにかにつけ利益を生み出すような工夫のある商売のことを言います。
のこぎり商いは近江商人の代名詞とされました。近江や京都・大阪の商品を地方に持ち下っては儲け、反対に、地方の特産品を持ち帰っては儲ける「持ち下(くだ)り商い」こそは、まさに「のこぎり商い」の真骨頂です。
翻って、研究者のキャリアパスもどこか学ぶ喜びと教える喜びが入れ子になった「のこぎり商い」的との見方も可能かと。そもそも「教えるは学ぶの最善の方法」と言われたりもしますが、日々教壇に立ちながら「教えるは学ぶ」を実感するばかりです。
大学に専任のポストを得るに先立つ、長いながいトンネルのような期間も、実はあなたにとってのこぎりを着実に押したり引いたりしているプロベーション(見習い待機)の時期と見做すことができましょう。
遅々として前に進まないかの人生。でも大丈夫、木は確実に切れています。それを「のこぎり商い」と呼ぶのか、「ぎりぎり余裕ない」と愚痴るのか……そもそも騙しだまし院生でいられること自体が丸儲け。あなたにとって、人生でまたとない、(でも、たとえ大学に専任のポストが得られたからといって、実は当面は変わり映えしない……)このなんとも宙ぶらりんな「のこぎり商い」の時代を大いに楽しもうではありませんか。
でも、どうにも気持ちが晴れないようなときは、
「コツコツが勝つコツ……アキナイが就くコツ……」
と3回手のひらに呟いてから、グイっと一息で飲み干してみてください。さーて、御利益のほどは……。
※本note上、「大学教授と——」シリーズの既存の記事には以下もあります。よろしければ。
大学教授と就活
大学教授と旧姓使用
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