おばあ
ヒロトです。
味の素がうま味調味料だとは分かっていて、料理に入れまくってますが、味の素本来のうま味は知らないです。味すら知りません。
今日はお父方のおばあちゃんについて書きたいと思います。
僕は今滋賀で1人ぐらしなのですが、丹後の実家ではずっとお父方のおばあちゃんも一緒に住んでいました。
いわゆる2世帯(拡大家族)ってやつです
#SIGA #滋賀
#TNGO #丹後
今88歳で、元気です。
野村克也とおんなじ中学で同級生でした。
「おばあ」って呼んでます
前も書いたようにおばあちゃんっ子で、両親も共働きやったので、保育園の送り迎えもほとんどおばあでした。
僕の記憶内では、いつもおばあのうわぐるまに乗り、おばあがそれを押し、長い長い坂の上にある保育園まで送ってくれていました。
余談ですが、3.4歳の頃、家の中でおばあとキャッチボールをした覚えがあるんですが、その時おばあが投げたボールを取りに行った時、思い切り机の角で頭を打ち、何針か縫いました。
#おばあの大暴投
僕が小学校、中学校になっても毎朝家を出る時は外までいってらっしゃいと見送ってくれてました。
晩ご飯もお母の帰りが遅くなることが多く、おばあに晩ご飯を作ってもらうことが多かったです。ちなみにおばあの得意料理はごった煮ときゅうりもみです。
ごった煮はとりあえず具材の相性とかの概念はなく何でも入っています。
そして車も自転車も乗れないおばあは、唯一地域に1つだけある小さな商店で菓子パンを買ってきてくれました。学校から帰ると、どれがええ?と聞いてきては僕を太らせました。
#好きだったのは4つ入りケーキドーナツww
#太るために作られた商品
僕は、高校から実家を出て寮に入っていたのでたまに実家に帰った時のおばあの料理といい商店の菓子パンといい安心感しかありません。
今でも久しぶりに帰っても、まだ腰もびんびんで、畑にも行き、ご飯も3食ちゃんと食べる。
昔から変わっていない姿をみても安心感しかありません。
しかし、おばあもおばあなので、やっぱり老いた面は見えます。
1番は耳が遠くなったこと。普通にしゃべるのでも正直倍くらいの声をこっちが出さないと聞こえません。テレビの音量もテレビと濃厚接触で64です。
#シネマ状態
でも、これはしゃーないです。そりゃ耳も遠くなります。こっちが大きな声を出さな糸原いけなくても帰ったときはよく喋るようにしています。近所の人ともよーけしゃべれよ〜と言うてあります。ボケ防止のためにも!
#そうです基本上からなんです
いや、僕がおばあと喋りたいだけなのかもしれません。
靴下の臭いをかがせたり、おばあの髪の毛をふぁさーと撫でたり、ギターを持たせて写真を撮ってみたり、バッティングのティーを投げてもらったこともあります。
いろんなふざけたこともしています。笑
でもそれだけおばあちゃんっ子で、慕っています。
そして小さい頃からの恩もあります。
まだまだまだ長生きしてほしいなと思います。