児童虐待を受けた女性サバイバーが30歳代に至るまでのプロセス 藤野京子 Jap.J.Crim.Psychol.,Vol.47,No.2(2010)
要点
☑️本研究では、児童虐待の経験を乗り越えていくプロセスを明らかにすることを目的とした。
☑️そのため、児童の頃、親から虐待を受けた経験を有しながらも、調査時点においては自身を主観的に幸福であると感じている30歳代の女性16名を対象に、その被虐待経験によってどのような影響を受け、さらにどのような経過をたどって今日に至っているのかについて、当事者の視点から明らかにすることを試みた。
☑️半構造化面接による面接調査を実施し、
修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ(M-GTA)を用いて分析を行った。
半構造化面接
☑️構造化面接
アンケート形式などに見られる、あらかじめ決められた質問項目に沿って質問しながら行われる面接。
☑️非構造化面接
来談者中心療法などに見られる、いわゆる自由回答形式・会話形式に沿った面接。
☑️半構造化面接
構造化面接と非構造化面接の間をとって、勧められる面接。
(具体例:アルバイトや就職活動の面接。履歴書やエントリーシートなど応募先の企業などにあらかじめ準備されていて、誰に対しても必ず聞かれる質問、というのが共通している。そして、「Aさんについては、もっとこの部分を掘り下げたい」「Bさんについては、ここはこんなに詳しく聞かなくても大丈夫」など、その都度、相手によって臨機応変に質問が変わる。)
(参考文献:ハートフルライフ カウンセラー学院 面接法)
修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ(M-GTA)
☑️継続的比較分析法による質的研究で生成された理論
☑️データに密着した分析から独自の概念をつくって、それらによって統合的に構成された説明図が分析結果として提示される
☑️社会的相互作用に関係し、人間行動の予測と説明ができる
☑️実践的な活用のための理論。つまりデータが収集された現場と同じような社会的な場に戻されて、試されることによってその出来栄えが評価されるべきである。
☑️応用が検証であるという視点と、それから、応用者が必要な修正を行うことで目的にかなった活用ができる。
作業項目
研究テーマ
分析テーマ
分析焦点者
ワークシート(概念生成)
カテゴリー生成
理論的メモノート
結果図とストーリーライン
そして、グラウンデッド・セオリー
〜実際に作業として行うもの〜
機能項目
継続的比較分析
理論的サンプリング
理論的メモ
理論的センシティビティ
理論的飽和化
〜分析を行う際の考え方を強調したもの〜
表記の仕方
研究法としての場合
グラウンデッド・セオリー・アプローチ
分析の結果まとめられたもの
グラウンデッド・セオリー
(参考文献:修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ(M-GTA)の分析技法)
☑️その結果、虐待されても当初はその行為を十分問題視できないものの、
それが不当であると気づくことが、
受け身の被害者のままでいることからの脱却の試みにつながること、
また、虐待への恐怖心が少なくなるにつれ、
虐待がなぜ生じたかを多角的視点から理解しようとし、
虐待をしてしまう親に対する洞察も深められるようになっていくことが明らかになった。
不当
正しくないこと。妥当でないこと。道理に外れたこと。
(参考文献:ウィキペディア)
洞察
物事を観察して、その本質や、奥底にあるものを見抜くこと。見通すこと。
(参考文献:コトバンク)
☑️加えて、虐待場面のみならずそれ以外の生活場面も含めて、自己効力感に気づけるような体験をすることが、社会適応を促す原動力となっていることもわかった。
自己効力感(セルフエフィカシー)
自分がある状況において必要な行動をうまく遂行できると、自分の可能性を認知していること。自己効力や自己可能感ともいう。自己効力感が強いほど実際にその行動を遂行できる傾向にあるという。
自己効力感を生み出す基礎
1.達成経験(最も重要な要因で、自分自身が何かを達成さたり、成功したりした経験)
2.代理経験(自分以外の他人が何かを達成したり成功したりすることを観察すること)
3.言語的説得(自分に能力があることを言語的に説明されること、言語的の励まし)
4.生理的情緒的効用(酒などの薬物やその他の要因について気分が高揚すること)
5.想像的体験(自己や他者の成功経験を想像すること)
6.承認(他人から認められること)
(参考文献:ウィキペディア)
☑️なお、虐待を受けなくなって以降も、虐待を受けたことや虐待を受けた自身に対する内的処理が変容していくことが示された。
キーワード
#児童虐待のサバイバー #女性 #プロセス #修正版グラウンデッド・セオリーアプローチ #主観的幸福感
以下、抜粋。
問題及び研究史
☑️1980年代頃から、児童虐待を受けるなどの逆境に置かれたにも関わらず無事に生き延びている人の存在も、明らかになっている。
☑️彼らは虐待されたという経験を携えながら、その人生を歩み続けていく。
☑️彼らが、虐待をどのように受け止め、あるいはどのように自身の中で処理していくのか。
☑️近年、被虐待者のサバイバーの中で、自伝を著すものが出てきており、彼らがどのように生き抜いてきたかについての内的世界を垣間見ることができるようになってきている。
☑️Wolin&Wolin(1993)は、虐待されたという苦難に耐えて自身を修復するといった観点から、七つのリジリアンス(洞察、独立性、関係性、イニシアティブ、創造性、ユーモア、モラル)を挙げている。
☑️法務総合研究所(2003) でも、虐待されたと自己申告した者へのインタビューから得られた虐待の被害軽減に役立ったと思われる事項などについて言及している。
☑️これらは、虐待を受けたものの心象風景を提示することに加えて、虐待を受けた当事者が、
受け身の犠牲者にとどまるのでなく、
自己修復を試みるなどの主体性を有する存在であることを示唆している。
☑️このような当事者の視点から児童虐待を受けながらも今日に至ることができたことについての過程や捉え方を明らかにすることは、被虐待者のその時々のニーズに寄り添った支援を考える上で有用であるし、
☑️虐待被害を受けて犯罪・逸脱行動などの問題行動を示したり精神症状を示したりしているものとの差異を考える上でも参考になる。
☑️加えて、虐待被害の渦中にいるものにとっては、今後の見通しなり課題なりについて情報を得られることにつながり、意義あるものと位置付けられる。
☑️そこで、本研究では、児童の頃親から虐待を受けたものが、その経験によってどのような影響を受け、さらにどのような経過をたどって今日に至ったのかについて、当事者の視点から明らかにすることを目的とした。
☑️なかでも、虐待を乗り超えていく経過を明らかにするためには、虐待されたにも関わらず、調査時点においては幸福であると感じることができている人、すなわち、生き延びてよかったと感じられている人のプロセスを明らかにすることが適当であると判断し、
☑️被虐待経験を有しながらも、調査時点においては主観的に幸福であると感じている人に焦点を当てた。
☑️️️️️️️️️️️️️️️️被虐待者の研究は、何らかの問題を抱えて、福祉機関、病院、刑事司法機関などに係属したものといった特定の母集団を対象とする場合が多いが、上述のようないかにサバイバーになっていくのかといった観点の分析を行うにあたっては、これらの機関に係属していないものを含める必要がある。
☑️そこで、本研究では、一般人を調査対象として選定した。
☑️なお、質的研究と量的研究は相補的な関係にあり、質的研究では、データそのものを丁寧に扱える利点があり、量的研究では捨象されてしまう「当事者にとっての事実の意味」なども扱うことができ、個々のケースの実態に即した分析も可能になる。
☑️本研究では、被虐待者自身の認識を重視しながら幅広いデータ収集を可能にする調査方法である半構造化面接による面接調査を実施し、質的研究を行なった。
方法
①分析対象者
藤野(2008)の研究「児童虐待が後年の生活に及ぼす影響について」における質問紙調査の30歳代の女性回答者1027名の中で、面接調査に応じた39名のうち自身が幸福であると捉えている16名。
②面接調査の方法
☑️筆者が所属する大学の研究室において、
筆者自身によって個別に実施した。
☑️面接調査実施に先立ち、本調査の目的が、
親からの暴力の経験を乗り越えるにあたって、
どのような手立てが有効であるのかを明らかにすることであることを説明した。
☑️面接調査で尋ねる具体的内容は、
①親からの暴力の実態及び原因
②その経験が及ぼした影響及びその経験に対する現在のとらえ方
③その経験をどのように乗り越え(ようとし)てきたかおよびそのために役立ったと思われる手立て
④あったら良いと思う(思った)支援
であることを明示の上、これらの調査内容について2時間程度聴取したい旨を伝えた。
☑️また、面接調査開始にあたっては、
上述の調査内容について語って欲しい旨を伝えると同時に、話せる範囲で話してくれれば十分であり、決して無理して話す必要はないこと、面接調査への協力は自由意志に基づくものであり、中途で中止する自由がある旨を確認した。
☑️また、プライバシーに立ち入ったことも訪ねるが、研究成果の公表においては匿名を守秘することを説明した。その上で、調査協力についての同意書をかわし、その後、半構造化面接を実施した。
☑️また、面接終了後、過度に不快な心理状態が喚起されていないことを口頭で確認し、
デブリーフィングを行い、今回の面接調査に協力したことで心情が不安定になったなどと感じた場合、筆者に連絡をくれれば措置を講じる旨を伝えた。
③結果の分析方法
☑️分析は、面接調査でのメモをもとに同調査実施後に文書化した記録をもとに、GlaserとStraussの分析法をより理解、活用しやすいように開発された、木下(2003)の修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ(M-GTA)を使用して、
筆者自身が行った。
☑️この分析方法を採用したのは、
質的研究法の中でその手続きが体系化されており、雑多な質的データをデータに即した形でまとめあげることができ、特に、本研究のように研究対象とする現象がプロセス的性格を持っている場合に適している(木下、2003)からである。
☑️分析テーマは「調査時点では自信を幸福ととらえている者が親からの暴力経験をいかに処理してきたか」であり、暴力を振るわれた当事者の観点でデータを解釈することにした。
☑️オープンコーディングでは、
まず分析対象者一人分の文字化データについて、
分析テーマと関連のあるデータ箇所に着目し、
そのデータ箇所を具体例とする概念生成を行なった。
☑️概念生成にあたっては、「概念名」、
その「定義」、その概念のもととなった具体例を記載する「ヴァリエーション」、分析途中で考えついたことを自由に記載する
「理論的メモ」の四つの欄で構成された分析ワークシートを用い、
1概念につき1ワークシートを作成した。
☑️続いて、他の分析対象者のデータを順次検討していき、新たなヴァリエーションが出現するごとにヴァリエーション欄に書き込み、
該当概念名とその定義についての検討を行い、
必要に応じて修正・改訂を加えていった。
また、既存の概念に該当しない新たな概念が見出された場合は、新たなワークシートを作成した。
☑️このようにして、データを一つずつ解釈しながら、ヴァリエーションの書き込み、概念名・定義の修正を繰り返し、
生成された概念の対極例、矛盾例の有無をすべての概念についてチェックし、対極例があった場合には、その概念の解釈を検討し直したり、対極例を新たな概念の具体例としたりして概念生成を行い、解釈が分析者の恣意的、操作的になる危険性を防いだ。
☑️分析対象データから読み取れる修正・海底の必要性がなくなったものを「理論的飽和」が達成されたと判断し、その概念の完成とした。
☑️すべての分析対象者のデータを検討した後、
選択的コーディングに移り、バラバラな状態である個々の概念について他の概念との関係を一つずつ検討し、似た概念同士をまとめ、そのまとまりに名前をつけてカテゴリーを精製した。
☑️その後、時間軸を考慮しながら主要な概念やカテゴリーを空間配置し、その相互の影響関係や変化を囲いや矢印を用いて表した結果図を作成した。
結果
☑️27概念を5カテゴリーに分類。それらの関係を図示。
☑️変化のプロセスについて「時間」とせず「発達」としたのは、客観的な時間の経過だけでなく、時間の経過と共に様々な経験を積み重ねる中で生じる分析対象者の行動や認知の変化について、
しかもその変化に個人差を含む用語として「発達」がふさわしいとみなした。
①《親からの暴力への対応》について
このカテゴリーは、親が行う身体的あるいは心理的暴力に、分析対象者自身あるいは周囲のものがいかに対応するかについてのまとまり
<甘受>
暴力に対して無抵抗のままでいること
<回避行動>
当座の暴力から逃れるためにその場を立ち去ること
<暴力被害軽減への対処>
暴力を振るわれないよう工夫したり、暴力による自身の傷付きの軽減を図ること
<被害者同士の連携>
暴力の受け手同士が助け合ったり慰めあったりすること
<周囲からの反応>
暴力に対して周囲が助けてくれたり慰めてくれたりすること
<巻き込まれ>
暴力を振るう親の思惑通りに振る舞い、しかも、そのことに気づかないこと
<物理的分離>
暴力を振るう親と別居するなど物理的距離を置くこと
☑️<甘受>には、親の気持ちを逆なでする意図はないものの、結果として、一層の事態悪化を招いてしまっている、といった反応も見られた。
成人になって以降も、暴力を振るう側と振るわれる側といった親子関係が持続している場合もあった。
☑️<回避行動>は、当座の暴力から逃れようとしての行動であり、危険をはらんだ行為が含まれる一方、一時的に回避することがエネルギー補給につながるといった反応もあった。
☑️<暴力被害軽減への対処>では、
暴力に至る事態を分析的に捉えて自身の行動を工夫するなどの主体的な対応が見られた。
暴力による傷付きの緩和に対する工夫も見られた。
☑️<被害者同士の連携>には、実際の暴力に対する協力関係のほか、<周囲からの反応>についても、同様に、対処策を提案してもらったり慰めてもらうといった反応が含まれた。
☑️<巻き込まれ>は成人になって以降も続いていることがあった。
☑️<物理的分離>には、物理的に距離を置くことで、単に暴力を受けなくなるのみならず、その親との関係事態も改善される場合があった。
☑️これらの概念の関係については、発達につれ、
<甘受>から<暴力軽減への対処>に移行していく傾向にあったが、成人になって以降も<甘受>の状態が持続する場合もあった。
<巻き込まれ>は<甘受>を促進し、一方、
<被害者同士の連携>や<周囲からの反応>は
<暴力軽減への対処>を促進していた。
②《親からの暴力に対する認識》について
このカテゴリーは、親からの暴力を分析対象者がどのように認識しているかについてのまとまりであり、暴力を振るわれなくなって以降も、変化していく。
<受動的認識>
当座の暴力にいかに対処するかということ以外を考える心的余裕がないこと
<問題視>
暴力を受けるのが当たり前ではないということへの気づき
<暴力終了展望>
暴力が永遠に続くわけではないという見通しを意識化すること
<多角的視点からの理解>
暴力を振るう親が悪いと捉えるだけでなく、暴力を振るうに至った背景などに思いを巡らすこと
☑️その時々の暴力をどう乗り切るかということで精一杯な<受動的認識>
☑️暴力が下火、ないしなくなって以降、すなわち、分析対象者の側に心的余裕が出てきた段階では、暴力に至る背景について洞察したり、
自身の体験を学問で明らかにされていることと照らし合わせて、理解を深めようとしたりする
<多角的視点からの理解>が現れることがあった。
☑️また<暴力終了展望>には、
終わる見込みがあると捉えられるようになると、
それに向けて前向きに努力するなどの気構えが喚起されるようで、《親からの暴力への対応》のうち<暴力被害軽減への対処>が促進されていた。
☑️このほか<問題視>には、
暴力を受けて辛さなり違和感なりを抱きながらも、誰もがこのような暴力を受けているわけではないとの認識に達するには、時間を要する場合が少なくなく、成人になってしばらくしてから気づく場合も見られた。
☑️特にこの<問題視>の認識が乏しいと、
《親から暴力への対応》のうち<甘受>となりやすく、<問題視>は<巻き込まれ>があると遅延されやすいこと、
一方、<周囲からの反応><被害者同士の連携><物理的分離>によっては促進されやすいことが示唆された。
③《暴力を振るう親への認識》について
このカテゴリーは、暴力を振るう親を分析対象者がどのように認識しているかについてのまとまりであり、暴力を振るわれなくなって以降も、変化していく。
<負の感情>
暴力を振るう親に対する畏怖、嫌悪感などの負の感情
<両価感情>
暴力を振るわれることには負の感情を持ちながらも、暴力を振るう親に負以外の感情を同時に抱いていること
<理解を示そうとの試み>
暴力を振るうに至る原因を踏まえることで、暴力を振るう親への負の感情を軽減しようと試みること
<受容>
虐待されたことへのこだわり、囚われ、怒りから解放され、暴力を振るった親をありのまま受け入れようとすること
☑️<両価感情>。《親からの暴力への対応》の<巻き込まれ>を促進する場合があった。
☑️<理解を示そうとの試み>。知的処理を試みても、それが自動的に暴力を振るう親を許すことに繋がるとは限らなかった。
なお、この概念は、暴力を受けるようになってしばらくしてから芽生え、《親からの暴力に対する認識》の<多角的視点からの理解>の影響を受ける場合もあった。
☑️<受容>は欠点をも含めてその親の現実をありのまま受け入れようとするものであった。
このほか暴力を振るった過去の親ではなく、
調査時点での親を受容するといったものもあった。
なお、この概念は、分析対象者にとって親からの暴力が過去のものとなって以降に生じるものであった。
④《外界とのかかわり》について
このカテゴリーは、分析対象者が親から暴力を振るわれる以外に、外界とそのような交流を展開しているかについてのまとまりである。
<暴力を振るう親からの正の働きかけ>
暴力を振るう親に対して肯定的感情を抱くに足るような働きかけ
<社会適応を勇気付ける外界との交流>
生活全般の生きづらさの調整に通じるような外界との交流
<外界適応に向けての模索>
虐待場面以外での生活をよりよくしようとの外界への働きかけ
<自立に向けての努力>
他者に依存せず、自身を律して自立した生活を送れるようにしていくこと
☑️<暴力を振るう親からの正の働きかけ>には、
《暴力を振るう親への認識》の<両価感情>に
影響を及ぼす場合もあった一方、
成人以降の体験として《暴力を振るう親への認識》の<受容>を促進する場合もあった。
☑️<外界適応に向けての模索>では、
分析対象者が家庭で満たされない承認欲求を外界で充足したり、時間的展望をもとに現状を乗り切ろうとしたりする反応が見られた。
☑️<自立に向けての努力>については、
自我が芽生えて以降現れる場合があったが、
他者に頼らずとも自活できる力をつけることのほか、自分の人生を自己管理していこうとするものが含まれていた。
⑤《自己認識》について
このカテゴリーは、分析対象者の自己認識がどのように変容していくかについてのまとまりであり、《親からの暴力への対応》に加えて、
《外界とのかかわり》によって大きく影響を受けているもの。
<自責の念>
暴力を受けるのは自分が悪いからであるとの認識
<社会とのフィット感>
他者関係を始め当事者が社会生活を送るに際して抱く心情
<自己疑念>
親の暴力について批判的に捉えながらも、自分も親と類似の言動を取ってしまうこと、あるいはとるのではないかということについての戸惑いや不安
<自己統制認識>
自分の負の側面を認めて、自分の言動への責任を負おうとする構え
<暴力経験をも糧とする認識>
親から振るわれた暴力経験からも学び取り今日の自分が存在しているとの認識
<自己治癒とねぎらい>
親から得られなかったものを自己充足することで癒されたとの認識や現状にまでこぎつけることができた自分に対する賞賛
<周囲への感謝>
周囲に支えられて現状を享受しているとの自己認識を有し、そのような周囲に対して感謝の気持ちを抱くこと
☑️<自責の念>
《親からの暴力への対応》のうち
<被害者同士の連携>や<周囲からの反応>によって、自身が悪いわけではないとの意識が喚起されたり、《外界とのかかわり》のうち<暴力を振るう親からの正の働きかけ>や<社会適応を促す外界との交流>など他者から受け入れられる存在であることを体得したりして、
この概念を抱くに至らなかったり、あるいは軽減されたりした場合も見られた。
☑️<社会とのフィット感>には、
《外界とのかかわり》の<社会適応を勇気づける外界との交流>の質によって変化していた。
加えて、この概念は《外界とのかかわり》の
<外界適応に向けての模索>や<自立についての努力>に影響を及ぼしてもいた。
☑️<自己効力感への気づき>について、
暴力を振るう親との関係性において、
暴力を振るわれるばかりの受け身の存在ではないことへの気づきが含まれ、
《親からの暴力への対応》の<暴力被害軽減への対処>を促進する場合もあった。
この概念は<社会とのフィット感>同様、
《外界とのかかわり》のうち<社会適応を勇気付ける外界との交流><外界適応に向けての模索><自立に向けての努力>との関係性が見られた。
☑️<自己疑念>には親からの暴力を心配する必要がなくなって以降も、この想いによって、
心が激しく揺れ動く場合が少なからずあることが示唆された。
また<自己疑念>を克服していこうとの認識である<自己統制認識>がある。
☑️<暴力経験をも糧とする認識>は、
親からの暴力経験を負の遺産にとどまらせまいとの認識である。
☑️<周囲への感謝>。自身の力以外も作用して現状に至っているとの認識。
考察
☑️本研究は、児童虐待を受けた女性がどのような経過をたどって30歳代に至っているかを当事者の視点から明らかにしようと試みたものであった。
☑️今回の分析対象者は、児童虐待の言葉が普及していなかった時代に児童であったわけで、昨今の児童を取り巻く状況とは異なろうが、虐待されてもその行為を十分<問題視>するに至らず<甘受>してしまい、中には、児童虐待の防止などに関する法律が定める18歳を超えても、その関係が持続している場合があることが、明らかになった。
☑️家族が有する閉鎖性を考慮に入れると、自身が受け入れている行為が不当であると、誰もが自動的に気づけるわけではなかろう。
☑️しかし、この気づきが、受け身の被害者のままであることからの脱却を図ることにつながるのであり、社会からの適した働きかけのあり様の検討が肝要であることを示唆する結果である。
☑️なお、問題のある親との<物理的分離>が
<問題視>を促進すること、すなわち、これが物理的のみならず情緒的にも距離を置くことにつながるとの結果が得られたが、これは、Wolin&Wolinがあげたリジリアンスの一つである独立性の概念と一致するところである。
☑️《親からの暴力に対する認識》の
<受動的認識>は、虐待が横行する中で、さしあたって当座をどのように乗り切っていくかということに焦点化した反応であったが、
虐待への恐怖心が少なくなるにつれ、なぜあのようなことが起こったのか、なぜ自分があのような目に合わなければならなかったのかという問いの答えを探すようになり、
<多角的視点からの理解>や暴力を振るう親に
<理解を示そうとの試み>がなされるようになっていくことが示唆された。
☑️特に、外的刺激を主観的に受け入れる児童期から、自分以外の視点を取り入れられるようになる青年期に移行するにつれて、
虐待される自分についても、虐待する親についても、一歩引いた視点で見ることが可能になっていき、
さらに成人期を迎えて、虐待していた当時の親と自身が近い年齢になったり、あるいは親という同様の役割をとったりするようになる中で、虐待されたことへの洞察を様々に深めていくことが示された。
☑️なお、西澤(1999)は、児童虐待を受けたものの感情の安定化のプロセスに、心理的教育アプローチが大切であるとしており、
本研究でも、<多角的視点からの理解>において、知識化の試みが気持ちの整理につながったとの反応が見られた。これらは、虐待がある程度治ってきた段階以降に現れていた。
☑️Karp&Butler(1996)は、虐待を受けると、それを受けて当然であると自己価値を下げていくようになるとしているが、本研究では<自責の念>がこれに相当するものであった。
ただし、この概念は、暴力を振るう親の影響を受けるだけでなく、外界との関わりによって左右されることが示された。
☑️また、Briere(1992)は、虐待を受けた子供には、自分や周囲を自分がコントロールできるといった感覚を持たせることが重要であると指摘しており、
本研究では<自己効力感への気づき>がこれに相当するものであったが、これも、親からの暴力場面でのみならず、外界との関わりの中でももたらされることが明らかになった。
すなわち、虐待を受けたとしても、その後の体験によって補償される可能性があることが示された。
☑️ここで触れた《自己認識》に属する諸概念は、青年期になって「自分」を意識するようになる中で、特に大切になっていくことが示された。
これはすなわち、自身に対していずれの概念を抱いているかが、この時期以降のその人がどのような人生を選択していくかに、深く関わるものだからと解釈できる。
☑️また、通常の犯罪における加害者と被害者との関係と異なり、児童虐待の特徴として、暴力を振るう親であってもその関係は絶たれず、その中で暴力を振るう以外の働きかけがなされる場合も少なくなかった。
そして、それが、その親に対して負の割り切った気持ちになれないことに通じている場合もあり、虐待への<巻き込まれ>に導いてしまうこともあったが、その一方で、虐待や虐待者への認識を肯定的なものに変容させる場合もあった。
西澤(1999)は、被虐待児には「自分が守られている」という感覚を持たせることが非常に重要であるとしているが、
本研究においては、大人になって以降の親子関係の中で、遅ればせばせながらではあるもののそれを実感し、それがその親子関係の改善を一挙に促進させるに至ったものが見られ、
この正の働きかけの有効性が、児童のころに限定されるわけではないことが確認された。
☑️このほか、本研究では、虐待されなくなったからといって、それ以降、順調な経過をたどるとは限らないことが示された。
虐待を受けている間に、むしゃくしゃした気分を晴らしたり気にかけてくれる人の関心を自分に向けさせたりするために恐喝、飲酒などの逸脱行動に走るほか、
虐待を受けなくなって以降、他者に適切な自己主張ができずに事故を起こし刑事罰を科されてみたり、自身が加害者と類似の行動を取ってしまったり、
あるいはとるのではないかとの不安を抱いたりして、非常に心が揺れ動くことが少なからずあることが、明らかになった。
今後、この段階での支援のあり方についても検討していく必要が認められる。
☑️なお、非行・犯罪を続けなかった理由については「本当の自分らしくない」「これから先はまずい」「(虐待している親を含めて)周囲を心配させてはいけない」といったブレーキがかかったことのほか、
「虐待をする親が親身に対応してくれたことで、その親への認識を新たにした」などと分析対象者が説明したことを付記しておく。
☑️また、西澤(1999)は、被虐待児のプレイセラピーにおいて、被虐待児が、自分以外の誰か別の存在をケアしたりケアされるのを見たりする体験によって、回復していくと主張しているが、
本研究の<自己治癒とねぎらい>に含まれた保育の場での経験は、それと類似の行為を、成人になって以降の現実の生活場面でおこなったものと解釈できる。
十分にケアされてこなかった者にとって、この概念はそれを補償する重要な意味を含んでいると考えられる。
☑️ところで、Karp&Butler(1996)は、治療の最終段階として、過去の犠牲者であり続けることを拒否して、健康なサバイバーとなって未来に歩き出すことを挙げている。
本研究の分析対象者は、質問紙調査時点において幸福であると感じていると回答した者であって、すなわち最終段階に至っているとみなすことができるが、実際、これに関係した概念が、いくつか見出された。
例えば、虐待の犠牲者にとどまるのではなく、通常の体験と同じように虐待経験も自分の歴史の一部として、その延長線上に現在の自分を位置付けようとする<暴力体験をも糧とする認識>や、
自身の人生への責任を自身が請け負うことへの認識である<自己統制認識>があった。加えて、
<社会とのフィット感>も未来に向かって歩き出すことへの意欲に影響を及ぼすといった意味で、これらの概念の喚起にあたって重要であると解釈できる。
☑️本研究では、虐待を受けている時点のみならず、それ以降も青年期、成人期と発達していく中で虐待を受けたことについての内的処理が進んでいくのであって、
それには、虐待以外の様々な体験に加えて、心理治療における働きかけと類似のことを、彼ら自身が社会生活の中で試みていることも影響していることが示された。
☑️なお、本研究では、虐待を乗り越える過程を明らかにするため、調査時点において主観的に幸福であると感じることができている者に対象を絞って分析を行ったが、そのように感じていないものとの比較検討を行うことは、残された興味深い課題である。
原論文
自分について
私は現在、心理学科に通う大学3年生です。
来年の卒論に向けて興味のある論文を探しています。その中で、血縁関係のある家族との関係から生きづらさを感じている自分のためになるような論文を見つけました。
これまでの人生で何度か自分を殺してしまおうと思ったことがあります。
そんな自分ですが、生きるか死ぬかどちらかを選べと言われたら、生きることを選びます。
生きたいです。死にたくないです。生きるために、自分が幸せになるために、このnoteを書きました。僕は自分のために生きます。
それがいつか結果的に誰かのためになったら、本当に幸せなことなのでしょうね。