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仏メロンション氏「クレオール化が世界の未来だ - “la créolisation est l’avenir du monde”」

冒頭写真:Jean-Luc Mélenchon. Photo © Alfonso Jimenez/Shutterstock/SIPA

最近新しいことを学んだ:「クレオール化」。言葉としては知っていたけれども、まさかメロンションが、左派ポピュリズム的政治運動の標語として取り出しているとは最近知ってびっくりだったので、少し紹介をしたい。(フランス政治を追い切れていないので、少し理解が正しくない可能性が十分にあるので注意されたい)。

まず、この政治家は、ジャン=リュック・メランション(こちらが正式みたい?だが、実際に読むとメロンションなので、以下メロンション)。モロッコ生まれで親はどちらもスペイン系。フランスで大学を終了し、そ少し教師として働いた後、フランス社会党に入り、そのまま政治の道に入っていきました。前回の大統領選挙では、「不服従のフランス」代表として出馬し、第一回ラウンドで19%の票を確保し、第四位となった。(フランス大統領選挙では、最初のラウンドと決戦ラウンドがある)。いわゆる左派ポピュリズムの代表的な政治家(そして多くの本物の左派がポピュリズムは良いことだと思っているのは付記しておきたい)。

そんな彼が、フランスのニュースサイトで、「クレオール化が世界の未来だ」ということを言っているのを発見した。

特に西ヨーロッパに残る最後の大物左派政治家で、唯一まだ大統領選挙で戦える人物でもある彼が言う「La creolisation クレオール化」というのは、どういうことか大変気になったので少し調べてみた。

そもそもクレオール化とは、

ついでクレオール化というのはマルチニック生まれの詩人・作家・思想家のエドゥアール・グリッサンの打ち出したコンセプトである。これは言語にとどまらない、人間社会全般に関わる混交現象を包摂した概念で、アイデンティティーや領土・言語・文化に関わる問題提起である。グリッサンの問題提起は奴隷貿易・プランテーション経済の昔から、宗主国からの独立あるいは海外県化を経て、現在の状況にいたるまでのカリブ海諸島の通時的・共時的分析に根ざしつつ、経済のグローバリゼーション、多様な文化・言語の接触と交流による地球社会のありようについての深い洞察を含むものである。グリッサンは自らのそうしたメッセージをクレオール化という言葉で象徴的に表現している。
[恒川邦夫, 国際シンポジウム「言語帝国主義の過去と現在」 (1999年10月22日~24日/於 日仏会館・一橋大学)]

細かい定義やその歴史的展開について省き、肝となるフランス政治での文脈における混交現象について読み解くと、これには重要な背景があることが理解できる。

1. そもそも近代フランスが、l'universalisme = 普遍主義を拠り所として成長してきたこと。

2. このことが、マクロンなどに代表される政治家が、例えば顔全面を覆うニカブの禁止への支持(明示的かどうかは別にして)につながっていること。

3. このような政策を、メロンションら先進派は、反ムスリム政策を展開していると考えており、特に最近のテロ頻発は、マクロンの政治に起因しているとみていること。

4. これに対し、メロンションは、「あらゆる種類の所属、アイデンティティは、「共和国」の魔法の言葉で消えたいと思うのは幻想である」とも言っている。

マクロンのやっていることの一部として、彼の命令のもとで、フランスイスラム評議会(The French Council of Muslim Worship (CFCM))とフランス内務省との間でまとめた、共和国価値憲章というものがある。ここでは、政治的イスラムの拒絶、外国の介入、そしてイスラムによる共和国との適合性を確保することが、示されている。 (そもそもカトリックもみんな政治的だけどな。。。)

このようなフランスリベラルの動きに対し、メロンションがおそらく言葉にしようとしているのは「標準化ではない平等」、マクロンが進める分断ではなく包摂、けれども盲目的な包摂ではなく建設的な混交、ということかと邪推する。彼の支持母体である多くの運動体では、移民政策にもろ手を挙げて喜んでいるところは多くないだろう。来ないといけない人を拒否するのではなく、こないといけない人を無くす→国際的な格差の是正や国際的な政治介入をやめる、ということをメロンションも主張している。

若年層支持で基盤を拡大している多くの先進左派政治家(左派というか、ど左)は、往々にして移民問題に関して発言に困っている。というのも、若い人たちの間では、移民ウェルカムが良いことだみたいな風潮があり、その構造的な問題が政治化しきっていない。そのため、移民に抑制的な発言を取りにくい。一方古くからの左派支持者には、移民に対しアンビバレントな思いを持つ人も多い。助けないという人道精神と同時に、盲目的に税金を投入することに憤りも感じている。そこに、移民ウェルカムは絶対響かない。

このような、ニュアンスが求められる政治的運動体において、反ムスリム主義に対抗して、「リベラルの訴える包摂(インクルージョン)」以外の旗、が必要となった時に、このクレオール化という言葉が、その反植民地・西洋主義的な歴史的コンテクストも含めて、最適に見えたのかもしれない。

「普遍主義を呼び起こす言説は、共和国が民族的および社会的ゲットーをその中で発展させることを可能にしている間、あまり力を持たない。」というメロンションの指摘は重い。l'universalisme(普遍主義)を抑圧で成し遂げようとするマクロンが、社会の地図に穴(ゲットー)を作っているのに対し、メロンションは混交でその穴を埋めようとしている。

参考記事:


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