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経済を回すって?

自粛は主体が国民。責任も国民。

規制は主体が行政。責任も行政。

じゃないかと思うんです。

事業もそうですが、『主体』が全て。

主体の在り方で結果が大きく変わります。

で、そこを俯瞰で見れば、今の日本に関しては、、、、主体は我々国民に持たされている状況。まぁ、国の主体は国民なので冷静に考えると当たり前と言えば当たり前でもあるんですが。

良いか悪いかの議論はたぶん今この瞬間の危機的状況を考えるとあまり意味がなく、そもそも議院内閣制含めて政治家を選んでいるのは私たちの投票の結果であり、今起きていることや結果は我々の選択の結果でもあると。

地方自治体含めて、政治家の皆さんを選出し、代表を決め、舵取りという権限をリーダーに与えたのは我々であって、

『そのプロセスは踏んだよね?選挙で。ルールに則って。ね?そうだよね?』

と言われてしまえばぐうの音も出ない。気がする。残念ながら。

なので、ここまでの状況を批判してもしょうがないし、目的論やタスク志向の考え方からすれば、あくまでも『これからどうするか』で未来が決まる。

だから、大事なのは、今どうか、と、これからどうするか。

じゃないかとヒロタは思います。

その中で、とにかく一つ本気で考えないといけないことがあると思うんです。

それは、『経済』について。

『経済を回す』ってどういうことなんですかね。

ウィキペディアからの引用だと

『経済とは、社会が生産活動を調整するシステム、あるいはその生産活動を指す。』

となってます。うん。なるほど。

と言うことは、経済が回らないという言葉は、

『社会が生産活動を調整するシステム、あるいはその生産活動が回らない。』

ということになるんですかね。たぶん。

であれば、やっぱり本気で考えるべきだと思うんです。

何を持って経済が回ってるとするのか。

そもそも今までは本当に回っていたのか。

無理矢理に回したりしていなかったのか。

4カ月前ってみんなが本当に幸せだったのか。

経済が回らなくなって困る人って誰なのか。

経済が回らなくなっても幸せに生きていく方法はないのか。

経済が回らなくなった世界ってどんな世界なのか。

その世界で人類は本当に生きていけないのか。

『欲しい』経済活動ではなく、『必要』な経済活動ってどのくらいなのか。

自分自身や大事な人の本当の幸せってちゃんと分かっているのか。

もっと掘れるはず。

で、ヒロタ的には、突き詰めれば『自給自足力』『自治力』の2つを高めれば、本当に必要なものは見えてくると感じてます。

ある一定のローカルマーケットをきちんと創出し、確固たるコミュニティを形成する。

なんとなく、ですが、、、貨幣制度が無くなることは考えにくいので『自給率150%』くらいのローカルマーケットの創出がちょうどいい気がしてきました。なんか。最近。

50%は外貨獲得に回せばいい。

半径20~30km圏内くらいでこれが行えれば、すごく幸せな社会が産まれるんじゃないかと思ったりしました。

まぁ、そんな簡単にはいかないと思いますが、いま秤に掛けている天秤の2つが『命か経済か』みたいな話が多い中で、これ、答えあるのか?と普通に思います。

目の前のことを考えれば命であることは当たり前ですが、経済が回らなければそのあとに無くなるかもしれない命の数をお前は分かるのか?と言われると、正直分かりません。

そもそも天秤に乗せているその2つがそれで良いのかどうかすら分からないし、天秤に掛けるものなのかすら分からない。

要は、『答えがない』かもしれないことに関しては、苦しいけど、辛いけど、悩むけど、『決めの問題』なんですよね。

判断材料が出揃わないときは、決める、しかない。

だから、今現状に関しては言えば、『自粛=主体は我々』の状態なので、我々が決めるしかない。誰かに決めてもらうのを期待していてはダメなんじゃないか?という仮説になると思うんです。

で、自分で決めた結果に自分で責任を持つしかない。

これ、もはや、事業判断と同じじゃないかと思いました。

全国民が事業判断(と同じレベル)を突きつけられる日々。

とにかく、自分で考えるしかないし、自分で決めるしかないこの状況。

こういうときこそ、助け合いましょう。支え合いましょう。

その形もそれぞれが判断すればいい。

批判や否定よりも、目的論。タスク志向で。

これからどうするか。

これだけだと思うんです。

と言うことで、ヒロタは商いを通じて何とか社会に役立てることを考えたいと思います。

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