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正解を作るな、正解を創れ。

自己紹介


どうも初めまして。鈴木皓(スズキ ヒロ)です。

僕は99年生まれ、まもなく22歳になる大学生です。

この度は、自分の中で転機となる1年になりそうなので発信と記録を目的とし、noteを開設しました。

経歴を簡単に。
中根FC→柏イーグルス→柏レイソルu12→柏レイソルu15→成立学園高校サッカー部→専修大学体育会サッカー部→Edo All United(旧one tokyo)

Edo All United(旧one tokyo)は、
発起人 本田圭佑、運営責任者 奥山大、監督 武井壮、GM 乙武洋匡

オンラインサロンで運営する「リアルさかつく」を体現したサッカークラブ。

当クラブについては後にnoteに書くつもりだが、まずは多くの人に知ってもらいたい。

僕はサッカー部を途中で辞め、現在このクラブで活動をしている。

今回は、僕がサッカー部を辞めた訳を書いた。

しかし僕を知らない人からすれば興味のない話だと思うので、同じような大きな選択を前にする人の背中を押すメッセージになればと思いながら書いている。

少々痛々しく、少々長い文章になる可能性が極めて高いが、是非最後まで読んでみてほしい。(笑)


サッカー部を辞めた理由と想い


結論から言えば、「今だ」と思ったから。
今、決断し行動することに意味があると思ったからだ。

前提として、人間は変化を嫌う生き物であり、
状況や環境に不安を感じない心理的に居心地の良い領域のことを「コンフォートゾーン」というらしい。

僕の大学生活は最高の友達に恵まれ、たくさん遊んで、彼女もできたりと非常に充実したものだ。朝起きてサッカーをして、なんとなく授業を受け、そして遊ぶ。そんな"なんとなく"充実した毎日には言葉で表せない心地良さがある。そしてサッカー部の友達は本当に大好きだ。中には、小・中学校同じなのに大学で初めて一緒にプレーできたエモい友人もいる。そんなエモい友人は、今10番を背負って彼女との時間を大切にしている。サッカーに関してはいつか思いきり書きたいが、大学で僕は大した活躍をしていない。ただ居心地は素晴らしく、そして楽しかった(笑)

一方で時の流れは早く、
気付いたら大学3年生となり、気づいたら就職活動をしている自分に焦りのような感覚が芽生え始めた。

そんな頃ある人との出会いを境に
「4年間」という自由な時間は何に使ってもいい訳だが、なぜサッカーをするのか、なぜ勉強するのか、その費やす時間には目的意識が不可欠だと思うようになった。"なんとなく"過ごす時間に成長は無いと理解したからだ。

このまま卒業して4年間に納得できるだろうか?
胸を張って成長したと言えることはあるだろうか?
サッカーはもう満足だろうか?

悔しいが、どれも自信を持ってyesとは言えない。
大学生は「人生の夏休み」と比喩されるが、それは勘違いだ。相当な額で買っているこの"夏休み"は絶対に価値あるものにすべきだと今は思う。

そんな想いを抱きながら、就職活動を始めた。
まずは自分を知ることから始めたが、活動を終えた現在でも最大の収穫は、徹底的な自己認知ができたことにあると言える。就職活動についても後に記載したいが、そこでやっと自分がいわゆるコンフォートゾーンにいると認識した。僕が大切にしたのは「将来どんな状態で在りたいか」という未来視点(目的)だ。どんな自分になりたいか、どうすればなれるか猛烈にイメージしながら、今の自分はどうだろうか?これで大丈夫か?と自分を虐めた結果、

シンプルに、今の自分には大きな「変化」が必要だと思った。

変化と言っても、挙げれば無限にある。
自分が必要だと思うアクションを起こせばいいと思う。

僕の結論は「環境」の一変だった。

もしかしたら人生で1番悩んだかもしれない。自分で考えられる最大の変化だからだ。サッカー部を辞めるというのは、迷惑もかければ、応援してくれている人への裏切りみたいなものだ。「逃げ」とも取れる選択であるし、思われても仕方ないと思っている。

ポジティブな感情とネガティブな感情が入り混じり、更には就職活動の真っ只中で次第に不安に陥ったが、

どうしても、自分の人生は自分が舵を握るという感覚を絶対に忘れたくなかった。少しくさい言葉ではあるが、本当にそう思う。

他人の意見で自分が道を諦めたとしても、他人が責任を負ってくれる訳ではないからだ。

自分の責任を負えるのはいつも自分だけである。

正直なところ、決断に至るまで誰にも相談をしていない。
親にも決まってから伝えたくらいだ。
その理由は、周りの意見を聞き、弱い自分が言い訳を探す前に行動をしたかったからである。

特に信頼している仲の良い友人に事後報告のような形になってしまい、本当に申し訳ないと思っている。この場を借りて、改めて伝えたい。

しかし、
何かを犠牲にすることで選択後の自分に責任が生まれ、0からの環境に身を置くことが自分なりに一番変化できると思ったのだ。

冒頭に書いた「今決断し行動する意味」には、こんな背景があったというお話である。


22年間最大の選択で出した答え

ここまで僕がサッカー部を辞めた理由をずらずらと書いたが、この経験で得た学びを伝えたい。

それは、正解を探さないことだ。

どっちが正解か?なんて、タイムマシンで未来にでも行かない限りわからないことに悩む必要は最初からないと学んだ。

むしろ、正解の定義なんてものは存在しない。
もちろん、不正解の定義も存在しない。

死ぬとき、人生に納得感や満足感を得られたならば
どんな道を歩もうと、それは正解だ。

少し矛盾した言い方だが、
自分が正解と思えば正解だと思う。

「日本人はオリジナリティが無い」とよく言われるが、それは無意識に正解を作る文化というか習慣にあるんじゃないかと僕は思う。

道に迷った時、
正解があるかのように後悔しない方を選択しろとよく言われるが、正直そんなことは分からない(笑)

できるのはその選択が後悔にならないように、正解だったと思えるように、今を行動することだ。

つまり、選択自体はさほど重要ではない。

そんなものは後から正解に導くことが可能だからだ。
本質は選択後の正解にしていく過程(行動)にある。


主人公のようにどんな道も、正解にしちゃえばいい。
その過程がきっとオリジナリティを生む。


まとめ

人生は選択の連続だ。

人間は思い立った瞬間に行動しなければ、きっとずっと動かない。

だから動くなら常に「」だ。
そこに必要なのは、2つ。

①正解を作らないこと
②「選んだ道を正解にすればいい」という楽観的な思考

タイトルに書いたように、

正解は作るものでなく、創るものだと今僕は思っている。

ちなみに、僕のように何かを辞めることだけが変化ではないしひとつの例に過ぎないが、本質は変わらない。

正解を作らず、変化し続けることだ。

だから僕はこれからも、
サッカー部を途中で辞め、変化と成長を求め選んだこの選択をいつの日か正解だったと思えるように努力する。



"選んだ道を正解にする"


これが僕の座右の銘です。

もし、同じように何か選択や挑戦に迷う人がいたら、
是非頭に入れてみてください。


初noteの感想

初めてのnoteで、謎の緊張感とワクワク感を抱きながら自分なりに書きました。

人生だの、選択だの、正解だの偉そうなことを書きましたが、別にまだ何も成し遂げていない人間です(笑)

22歳になる僕の今はこんな感じという記録です。

とはいえ、自分の言語化した思考が他人はどう思うのか興味があるので意見を持って連絡ください(笑)

noteを見て何か感想とか貰えたら、興奮します。
また、もし誰かに少しでも影響を与えられたとしたら、大興奮します。

そんな幸せなことはありません。


これからも発信していきます。バーイ。
















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