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「昭和の日」に想う

今日、4月29日は、かつて「天皇誕生日」という国民の祝日だった印象が、昭和生まれの私には強い。

しかし、この日が「天皇誕生日」と呼ばれていたのは1948年から1988年までの40年余りであり、それ以前1927年から1947年は「天長節」、昭和天皇崩御後2006年までは「みどりの日」とされ、2007年から「昭和の日」となったのだそうだ。
祝日法には「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」と定められている。

敗戦後、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代」が終わり、すでに35年を経た日本は、かつてない亡国の危機に晒されているのではないだろうか。
「Japan as number one」と呼ばれた日本は、その経済力を奪われ、さらにはいま、生存に大切な自然免疫まで破壊され、瀕死の状態にあるのではないだろうか…。

先日、白鳥哲監督の「LAST HOPE」という映画を観た。そしてさらに、白鳥監督の、映画に込めた熱い胸の内を直接聴かせていただいた。

映画をご覧になっていない方にはネタバレになってしまうかもしれないが、ご容赦いただいて、以下に、私が受け取ったメッセージを残しておく。


怒りは怒りを買うだけ、戦いではなにも生まれない。
内なる平和をどうやって見い出していけるかが一人ひとりの精神的課題なのだ。
互いに語り合うこと。
黒か白ではない。灰色の中に真実がある。
○○反対派か○○推進派かということではない。
どうやって和合するかが大事。許す心が大事。
許し合えば愛に繋がる。その愛のバイブレーションが世界を変えるのだ。

恐怖がお金のエネルギーになっている。
それは、どれだけ恐怖を与えるかが利潤になるからだ。
いまの金融資本主義の考え方の大元は、どれだけ人々に恐怖を植え付けるかということを知ること。
そこに我々が反応するから戦いが生まれる。
攻められたら攻め返せとなる。
内なる恐怖心をどうやって変容させていくかが、いま一人ひとりに問われているのだ。

ただし、この時に、真実に対して目を閉ざしてはいけない
着々と進む恐怖に対して、きちんと向き合うことが大前提だ。
事実を見ないようにしてはいけない。
知ろうとすることが大事なのだ。

内なる平和が世界を変える。
不浄に思えること、許せないことを許すのだ。
ネガティブに思えることを抱きしめるのだ。
大調和に向け、利他の精神を、すべての生きとし生けるものに向けるのだ。

戦い疲れた魂はYAP遺伝子を選んで生まれてくる。
騙されたから騙す、傷つけられたから傷つける、そんな戦いはもう終わらせるのだ。
利他であることは自利である。
利他であることが健康であり、若返りのキーポイントでもある。
クスリは対処でしかない。
クスリに頼らず、自ら免疫力を高めていくのだ。

死は恐れるものではない。
死を正しく見よ。
死ぬ瞬間までよく生きること。
良心に恥じないように徳を積むこと。
ハタをラクにすることがその人の存在価値なのだ。
我々日本人の先祖はそうやって生きてきた。
それを思い出せ。
それが「LAST HOPE」となるのだ。



私は、流行病騒動初期に「無刀流で行け」とのメッセージを受け取っているのだが、ようやくいま、すべてが結びついた思いである。
人を健康にしたいと願いながら、怒りのパワーで生きた大半の会社員時代。
そのため心身ボロボロにする経験をしなくてはならなかった人生だったが、その経験がきっとまたハタをラクにするのだ。


さて、あなたは、昭和天皇の「開戦の詔勅」をご存じだろうか。
戦後、自虐史観を心の底に植え付けられて育った我々戦後世代に、戦わざるを得なかった悲痛な思いを知ってほしいと私は思う。

NHKアーカイブスに、その詔書が残されているので、一度、自分の耳で聴いてほしい。

「早くこの禍を取り除き、東洋の地に永遠の平和を確立する」
これが日本人、そして世界の平和を思う昭和天皇の思いだったということを、多くの人に知ってほしい。
大東亜戦争は決して侵略戦争ではないのだ。
それは、ベトナム、フィリピン、インド、パキスタン、スリランカ、ミャンマー、インドネシア、ラオス、カンボジア、マレーシア…戦後、植民地からの独立を果たしたASEAN旗にも見て取れる。
さらには、台湾統治を日本がどのように行ったのかを知れば、日本の先人たちの平和への思いが痛いほどわかるだろう。

日本人よ、もう分断されるな。
大和心を取り戻せ!

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