自分の中のアカシック(記憶の話2)
前回書いた「記憶」の話はお読みいただけましたか?
その前の「認知」の話も併せてお読みいただけたら、理解が深まると思います。
この「記憶」記事の続編も、2011年10月23日に「記憶の話 その2」と題して書いていましたので再掲します。なお、元記事で引用した辞書は無くなっていましたので、改めてYahoo! JAPAN 辞書を引用します。
先日「記憶」について書きました。
Yahoo! JAPAN 辞書で「記憶」を調べてみると、こんなふうに書いてあります。
記憶とは「生物体に蓄積された過去に関する情報」といってもいいでしょう。
宗像恒次は以下のように整理しています。
と…。
生物体に蓄積された過去に関する記憶情報としては、さらに
があり、
生物体を物理学的に見ると、
と宗像は考えているのだ。
一人の人間には、すでにこれだけの情報が詰まっているということです。
「いまある認知は誰のもの?」の中で「情報混同」のお話をしました。
「記憶は細胞に宿る」の中では「細胞記憶」について触れました。
これらの情報をうまく使いこなせたら、誰しもスーパーマンになれてしまう気がしませんか?
いまだにこの世では、誰が勝った負けただのと勝敗を競い、利権争いを繰り返しています。しかし、このような壮大な視点に立って物事を眺めてみると、とってもちっぽけなことのように思えてはきませんか?
答えはすでに私たちの中にある!
その真の自分が望むニードに耳を傾け、自分を殺さず、ゆっくり愉しく生きてはみませんか?
この記事を書いて12年。いまだ世の中はこの時から進歩していない、というか闇の部分が大きくなって、あふれ出しているようにも感じます。
私たちは、このような時代を選んで生まれてきているわけですから、それも意味があるのでしょうね。
「記憶」について調べていると、アカシックレコードはすでに自分の中にあるんだなぁと思いますね。宗像の言う「宇宙開闢(かいびゃく)の初期条件からの記憶」それは、体内に流れる「水」が持っているのかもしれません。
いかに活用するかは、あなた次第ですよ。