第五話:自分の中のとっておききょうだい
今回は「第四話:自分の中に潜むきょうだいの愛」の続きのお話をする。
第四話では、自分の中に自分とは異なるDNAを持った細胞があることをお話しした。人は神の領域を侵してしまうのか、なんて議論はとうの昔。いまでは再生医療の研究が進み、世界の至る所で「キメラ」が造られている。
京都大学iPS細胞研究所のページには、このような記述がある。
動物とヒトの細胞が混ざった動物、いわゆるキメラ動物を使った研究は、再生医療用のヒトの臓器を動物の体内で準備したり、ヒトの臓器の出来方を調べたり、様々な科学研究に役立つことが期待されています。日本ではヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律によりそうしたキメラ動物を作ることは認められておらず、人又は動物の胎内に移植することを禁止したうえで、基礎研究に限って受精から14日までの胚であれば研究に利用しても良いとされていました。
これは、2016年8月4日に公開されたページである。ヒトのクローンも、すでに秘かに造られているかもしれないし、「キメラ」はもう、あたり前のものということが、お分かりいただけるだろう。
キメラ細胞の記憶
宗像は、このキメラの考え方を、なんとか受け入れやすくするために、モジホコリの実験を例示してくれる。
移植した臓器がある、妊娠して胎児がいるなど、自分と異なる遺伝子を持つキメラ細胞・組織を持つ事例でわかるように、私たちの前頭領域は、自分の体の中の宿主の遺伝子をもつ末端の細胞や組織に影響されるだけでなく、他者の遺伝子をもつ末端のキメラ細胞・組織から影響を受けることがある。それらキメラ細胞は「単細胞生物が発する細胞情報をロボットで表現する実験」からわかるように、宿主の細胞とは異なり、キメラ細胞として独自の欲求や感情、記憶をもっている。罪意識、怒り、孤独感、希死願望、飢餓感、恐怖感、無力感、殺害衝動などがあり、これらの感情や衝動が、宿主の前頭領域をハイジャックするときがある。
自分の体内に潜むキメラ細胞の感情や衝動が、自分の前頭葉をハイジャックする。つまりは、そのせいで、正しい思考ができなくなるというのだ。モジホコリは単細胞の粘菌で、暗いところを好む。それだけでは移動できないけれど、足を着けてやって光を当てると、逃げていくというというこの実験。たった1つの細胞でも、そのような力があるわけだから、キメラ細胞の影響が自分に及ぶと言う宗像の説も、受け入れやすくなるのではないだろうか。
ストレス・問題・病気には意味がある
「私たちは死を迎えるとき、いろいろとトラブルや問題があったが、振り返ってみるといい人生だったな、楽しかったなと満足して死ねること」を目的として生きている。「あるがままの自己」を生きるために、人は無自覚に、メンタル不調、病気、争い、事故、失敗という問題を起こし、学ぼうとする。人生には、そのような、いろいろな出来事が起こっても、応援者を感じ、前向きに取り組むことさえできれば、必ず学びが生じ、人生を満足させることができる。
このように宗像は言い切る。
失敗も事故も病気も、人生の学びのための出来事であり、独りで頑張るのではなく、「応援者」の力を借りてでも前向きに取り組めれば、必ずそこに学びがあるとする。この「応援者」として、体内キメラを感じようというのだ。
母の胎内を共有したきょうだい
ここで、4月末(2019/4/20-21)に受けた、SATカウンセラー・セラピスト研修の話をしよう。
第四話でお話しした「代理顔表象化完了法」だが、宗像はさらにその続き「胎内同時期きょうだいイメージ法」を用意していた。全身に存在するキメラ細胞のうち、自分と同じ時期に母親の胎内にいたきょうだいのキメラ、まさに自分にとっての「キーパソン」をみつける方法なのだ。
第三話に、私は、自分の入っていた胎嚢の話を書いた。自分一人が入っていた胎嚢と、数が多すぎて押しつぶされかけた胚の入った胎嚢。当時見た胎嚢の中には、4人のきょうだいがいたのだけれど、その数が見事に一致した。2人の兄と姉妹。2人の兄には、後ろから見守り支えられ、自分の前にお姉ちゃんと妹が見える。お姉ちゃんには甘えながら相談し、かわいい妹の成長を見守っている。これが、私にとって最強の胎内キメラ配置図。私の後ろでは両親が優しく見守り、その後ろから兄一人、左横からもう一人の兄に守られる。この胎内曼荼羅ができた時、私は自然と涙した。
もう私は独りぼっちじゃない。第一話では「DNA気質」のことに触れ、第三話では、私が幼いころから「いい子ちゃん」、すなわち、本当の自分を押し殺し、社会的自己で生きたがために、いろいろな心身の症状に苦しんだことを書いた。今回のワークで見た自分の姿は天真爛漫なワンパク少年。まさに循環気質の私なのだ。そして粘着気質で妹を見守っている。これが本当の私。なのに自立脅迫の中で、不安に駆られ、執着気質も出し、自閉気質をフル稼動させて自分の世界を極める。それを世に出すことで社会的評価を得獲しようと一生懸命エネルギーを注いだ。それがとてもストレスフルな生き方だったということに、この曼荼羅は大きな気づきを与えてくれたのだ。
宗像は言う。
父と母との粘膜接触を通して、また胎盤を通して、あるいは胎内で融合して、自分の体の中に、きょうだいや子供、おじ・おばやおおおじ・おおおばや不死細胞である祖先細胞(西洋医学でいうがん幹細胞)というキメラ細胞が、誰でも体内に存在しているからである。そのような時、私たちの意識では、自分の中にコントロールできないものがいるという感覚になる。
このキメラ細胞、なんと粘膜接触、つまりセックスによっても自分に入ってくるというから、誰にでもあるといっても過言ではないだろう。自分の中に何者かを感じたことが、あなたにはないだろうか。
私は戸籍上は二人兄弟で、6歳下の弟がいる。私が生まれたのは、母が29歳になる少し前。その前か後かに水子がいたという話も、若い頃聞いたかもしれないが、いまの記憶にはない。私の両親は戦争を経験し、伊勢湾台風などの災害にも遭っている。空爆で飛び散った肉片が、近所の神社の木に引っ掛かっていたと幼い頃に聞いている。そこから生き延びた両親のDNAには、その生き残りの記憶もしっかりと刻まれているだろう。父母から受け継いでできた遺伝子細胞だけでなく、父母のキメラ細胞も、私の中には入っているのだ。
この細胞を多く体内に持っている方は、もしかすると私の文章を読むことで、それら細胞が気づいてくれと騒ぎ出し、身体のどこかに違和感を覚えているかもしれない。でも大丈夫、それはあなたの味方なのだから。
あれだけキメラを毛嫌いしていた私が、こんなにも「愛の話」の中で、キメラのことを書くことになるとは思ってもみなかった。それだけ胎内を共にしたきょうだいの存在は、大きいということを、もう一度伝えておきたい。
おわりに
冒頭に紹介した京都大学のページでは「一般の方と幹細胞研究の研究者とに、ヒト-動物キメラを使った研究と再生医療についてのアンケート調査」の結果が報告されている。
時期: 2012年、2015年
対象: 一般の方(のべ約5000人)と日本再生医療学会の会員(のべ約2000人)
キメラ動物を使った研究について、受け入れられるとした人の割合は、研究者では50%以上(条件付きで受け入れられるとした人も含む)であったのに対して、一般の方ではおよそ25%程度となり、研究者と比較して一般の方の許容度が低いことが明らかになりました。一方で、再生医療研究については、こうした活動自体への支持度は高く(およそ8割)、また自分自身の細胞を使って参加してみたいという人も過半を占めており、キメラ研究への反応とは対照的でした。
技術の進歩に伴って、もう少し進んだ研究まで認める方向で、ガイドラインの見直しが進められています。
という記述もある。研究者の半数以上が、このような研究を受け入れていることは恐ろしくも感じるが、「再生医療」を大義名分とし、倫理を踏み外してほしくないと願うばかりである。
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