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2020 -現在- あとがきに代えて 僕と音楽と(修整稿)

 地球の歴史や人類史から見たら、一人の人間の人生なんて、100年に近くなってきたとは言え、一瞬みたいなものだけど、それでも、思っても見なかった事が起こる。

 僕の場合は、41歳の時の阪神大震災が、生き方を大きく変える転機となった。良い経験になったが、経験を活かすことなど無いだろうとその時は思ったが、たった16年後に、東日本大震災、そして原発事故が起こる。それからたった9年、コロナ禍に見舞われる。

 若い時から、音楽は生モノだと実感してきたが、まさか生の音を聴くということ自体が困難な時代が、一時期にせよ来るなどとは想像だに出来なかった。

 2020年、1月末に、小倉博和の還暦祝と、愛しの玲里の、年に一度のバンドライブを聴いたのが最後になった。既にこの時、武漢での感染は知っていたので、若干の怖れはあったし、客席には、マスクをした人の姿もチラホラ見られた。クルーズ船もライブハウスのクラスターもまだ発生しておらず、2月の上旬には飲み会にも行った頃である。

 Bob Dylanは、Simple Twist of Fate という名曲を残している。まさに人生は、運命の一捻りの連続である。

 音楽が大好きだった僕は、その道で生計を立てるような才能がないのはよくわかっていたので、生涯、a music loverとして、楽しく過ごしてきた。

 こうしてモノを書くつもりなどなかったが、旧知の文筆家の鈴木智恵子さんから、エッセイ集を出してみたら、と背中を押して貰ってその気になった。この場をお借りして感謝申し上げたい。

 そして、人生のGolden Autumn Dayに書き綴った拙文を読んでくださった貴方に、ありがとうを。

 ライブ配信を巡って、サザンの桑田と、山下達郎は、対照的な取り組みをして、其々、なるほどなぁと納得させられたが、やはり音楽は身体で聴きたい。些か耳の遠くなった身としてはつくづくそう思うのだ。

と、この項はこれで一度終わった。
 鎌倉歐林道の閉店を契機に、この一冊を書き始めた僕は、7月に急性胆嚢炎を拗らせ、絶食、抗生剤、点滴の12日の入院で5kg痩せた。
 9月に腹腔鏡手術ですぐ退院する筈が、胆嚢、胆管、肝管の位置が悪く、結局切腹をして、13日で退院した。
 4日後の10/3の朝、気持ち良く散歩をしていた僕は、鳩尾の疼痛に襲われる。遅発性の腹膜炎の合併症で今も病室にいる。覚醒したままの内視鏡手術で、鼻から胆汁をドレーンしている。
 そして吉田美奈子の、このメッセージを読んだのだ。

2020.11.21 (Sat)
吉田美奈子&森俊之&金澤英明
THE TRIO 2020
(Vo)吉田美奈子 (Pf)森俊之 (B)金澤英明
コロナ禍の中、自分にとってこの極めて静かな時間は、音楽の本来の在り方を考える良い機会になった。何が紛い物で何が本当の自由な音楽なのかを、この歳になってやっと気付く事が出来た。シンガー・ソングライターと云う冠でデビューすると、オリジナルを歌うのは、とても偏った行為だと思ってしまっていた。だから、自分の作品ではない楽曲を崩して歌うだけで、自由になるのだと勘違いした。そう、それは単に「自由な音楽」と云う名称のカテゴリーを作ろうとした事に過ぎず、心身共に「音楽で自由になる」事とは真逆の考え方だった。これからは、音楽の持つ真の自由を踏み外さない様、細心の注意を払い音楽を続けたい。だからこの日、改めて敢えてオリジナルを歌い、初めの一歩としてやり直すライブをする。気付くのが遅くなって、ごめんなさい。音楽はそれだけで「自由」なんだとやっと解った!(吉田美奈子)

 この本を此処迄読んだ人なら、近年苦しんでいた美奈子の気持ちが痛いほど分かるだろう。

 これは辛い人生も、楽しい人生も、音楽に支えられてきた音楽バカが、這ってでも駆けつるライブなのだ。1月の玲里から10月、たとえコロナに負ける恐れがあろうと構いはしない。僕は音楽の自由を謳歌する人生を再び始めるのだ。

 11/19午後、37℃の発熱があり、大事をとって明後日に迫った美奈子のライブは見合わせることにした。次の機会を期待して。

本日の一曲
David Bowie「Heroes

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