
教会
教会
ばあちゃんは「もう教会には行かん」と怒ったように言った。いい機会なので、はじめての挨拶方々顔を出す気になっていたのに、とは私は言わなかった。ばあちゃんとは,私の母のことである。他の呼び方はどうもしっくりこない。
ところが翌日,迎えの人が来ると「いつもいつもすみません」とか言いながらそそくさと出かける用意をはじめた。私は慌てて「私もよろしいでしょうか」と迎えの人にいうと,一瞬,困惑したた表情が走った。「長男の豊です。いつも母がお世話になっています」と初対面の挨拶をすると,納得してくれたようだった。
3月29日(日曜日)。ようやく晴れた日曜日の午前だった。私が住んでいた頃はなかった県庁に直通のバイパスから,隠れるように山裾にたたずむ小さな教会であった。バイパスをもう少し進むと私が通っていた高校がある。
バイパス。室町時代からの町が心臓手術を受けた? 中世からの道をせっかくそのまま残した盆地の町なのに、山を切り開いて、数十キロ先の空港へ便利なように無理やり立派な道路を作った。喧騒に満ちた道路だ。
礼拝ははじまったばかりで,ばあちゃんと私は、あのベンチのような細長い椅子の前後に座った。起立して賛美歌を歌う。綺麗で親しみやすい旋律に、思いがけずこみ上げてきそうな嗚咽を抑える。歌は気持ちを高ぶらせる。
献金の箱が回される。ばあちゃんは慌てて振り向き私に献金に、と手渡しする。私が献金のことを知らないと思っているようだ。しかし,手渡しされたのは十円玉一個。おいおい,神社の賽銭じゃあないけんねえ,と大声を出しそうになった。
「昇が死んだ」
ばあちゃんから電話が入ったのは3月24日(火曜日)の午後であった。これ以上の簡潔な伝え方はないだろう。それだけにばあちゃんが受けた衝撃の大きさが分かった。九十四歳のばあちゃんより六十四歳の弟が先に逝くとは。
元祖引きこもりで、全く交流のなかった弟であった。死んだ、と言う事実に数時間,「なんで」を自問しながら、ソファーに座ったまま動けなかった。ずっと邪険にし、邪魔者扱いしてきた弟だ。
その日の聖書交読は,イザヤ書55章6−13節であった。
さて、過越の祭りの前のこと、イエスは、この世を去って父のみもとに行く、ご自分の時が来たことを知っておられた。そして、世にいるご自分の者たちを愛してきたイエスは、彼らを最後まで愛された。((ヨハネの福音書13章1節))
((3月29日
第五聖日礼拝
讃美 主イエスの死なれた 教122
主よ求めよ,お会いできる間に
聖書交読 イザヤ書55章6−13節
聖書朗読 ヨハネの福音書13章1,4−10節
さて、過越の祭りの前のこと、イエスは、この世を去って父のみもとに行く、ご自分の時が来たことを知っておられた。そして、世にいるご自分の者たちを愛してきたイエスは、彼らを最後まで愛された(ヨハネの福音書13章1節)。))
曹洞宗の葬式を済ませたばかりである。呪文でしかなかった読経よりも,聖書の言葉は心に響いた。仏教はキリスト教に負けている,と思った。仏教は江戸時代の檀家制度の成れの果て? お坊さんも大変だ。もう50に届こうかという歳になって、やっと結婚できたという。檀家を持つことができたのだ。牧師も僧侶も生きねばならぬ。
礼拝が終わると,みんながばあちゃんと取り囲み,背中を擦り,肩を抱き寄せる。不思議な人たちだ。陽が燦々と両側かのステンドグラスを通して注ぐ教会内部は清潔で,光を浴びた人々の交わりは清潔に感じられた。
手のひらを合わせたり、手の甲を合わせたりして、悪いけど退屈な幸福論を説いた僧侶との会話のクライマックスは何といっても戒名を決める段だ。戒名に位があって値段で決まる。最下位だと20万円,次の位だと40万円。ばあちゃんが教会にその日に献金したのは,私のと合わせてきっと20円である。
おばあちゃんが弟の戒名にいくら払ったのかしらない。息子の葬式を仏式で行い、戒名に数十万円払い、10円だけ献金しに日曜には教会へ通う。そんな変なおばあちゃん、それがわたしの母である。常識と気にしているくせに、いつもどこかそこから外れる。
「私は戒名がいるけんね」。「仏式か教会か、どっちで葬式あげるんね、死んだら」と尋ねた時の返事だった。
おばあちゃんが戒名にこだわる理由はわかっている。私から数えると、ひいお爺さんが、瀬戸内海のある島の曹洞宗の僧侶だったからだ。おばあちゃんは、その直系を自認している。仏壇にはその位牌もあるし、江戸時代の位牌もある。おばあちゃんは、その圧力とミッションの女学校での感化の板挟みになっている。戒名が欲しいなら、なんで、洗礼を受けたのさ。バイリンガルならぬ、何だろう?
そんな質問をするまもなく、次の日曜日にまた10円を献金することなく、おばあちゃんは突然亡くなった。弟と一緒に枕を並べて討ち死にしたのか。