
ソットサス
エトーレ・ソットサスという人がいました。「そっと刺す」なんて物騒な人だなと思うかも知れませんが、危険な人ではありません。イタリアのオリベッティ―という会社のタイプライターを世界で初めてポータブル用にプラスチックボディーでデザインして一躍世界的に有名になった建築家デザイナーです。

オリベッティーという会社はかつてタイプライターのメーカーとして一世を風靡し、その後もヨーロッパ最大のコンピューターメーカーとしてイタリアを代表する大企業になていたのだけれど、アジアのメーカーとの競争に付いて行けず倒産してしまいました。どこかで聞いたことがあるような話ですけれど。
さて、2007年に亡くなったソットサスの生誕100周年にミラノのトリエンナーレで大がかりな回顧展が開かれました。それを見に行ったときの話です。
80年代にソットサスを中心にミラノの若いデザイナーが集まり、メンフィスというグループで当時はポストモダンと呼ばれたデザインの一大ムーブメントを起こします。日本からも倉又史郎、磯崎新、梅田正徳などが参加していました。
このメンフィスというグループの作品集を日本で見かけたのがおいらがミラノに出てくる直接的な原因です。
「うわ、デザイナーがこんな自由な表現ができる世界があるのか!」と衝撃を受けました。倉敷のAC美術研究所というとこでの出来事でした。大学受験前にデッサンなどを習いに行っていた美術研究所の本棚にメンフィスと言うタイトルで派手な表紙の(家具)デザイン作品集があったのをページをめくりながら興奮していたのです。デザインの仕事って面白そうだと発見し。逆にこんなに自由なデザインの世界があるということを知ったためにその後大学での勉強があまりにも型にはまっているように感じた弊害があったかもしれませんね。思い起こせば。

おいらがミラノへやって来た1994年にはメンフィスの活動は既に終わっていたのだけれど、うまいことメンフィスの創立メンバーのジョージ・ソーデンというイギリス人デザイナーの事務所で働けるようになりました。
なので、おいらの師匠はソーデンですが、ソーデンの師匠がソットサスなので、ソットサスとは孫弟子みたいな関係と言えなくもないと断言できないこともないです。(ソットサスの事務所に面接に行った時の話はメンディーニの記事にちょっと書いてます。)
余談ですが、ソーデンはソットサスからオリベッティー社のデザインコンサルタントをデルッキと共に引き継いだように一番弟子的な立場にいたのだけれど、一度大げんかをしたらしくメンフィス後はちょっと疎遠になっていたようです。会えば挨拶して話をしてたんですけれどね。
これはちょっとおいらとソーデンの関係にも似てて、会えば挨拶してそれなりに親しく話もするんだけれど、普段はさほど付き合いがない感じ。これは大げんかしたとかでなく、彼がおいらについて誤解してしていたことが原因なのですが、後述するように彼が自分のブランドの仕事だけするようになってから関係修復できました。
さて、ミラノのマルペンサ空港も元々ソットサス事務所が建築デザインをしていましたが、彼らしいクセの強い内装だったので、賛否両論が激しく、2015年のミラノ万博を機会に内壁をガラスとスチールを多用したフツーの印象のものに改装してあります。ファンにとっては残念な改装だけれど、まあ、一般の利用者は今のスタイルの方が違和感ないんだろうというのも理解できます。
展覧会では家具、写真、スケッチなどが中心で、工業製品の展示がほぼなかったのがちょっと物足りない感じでした。オリベッティ-のヴァレンタイン(タイプライターの商品名)はあったけれど。

この人は晩年、工業製品のマスプロダクションに反対的な立場をとるようになり、デザインの仕事から建築の仕事や陶器の仕事に重心を移すようになります。
彼が活躍し始めた時代には、大学にデザイン科というのがなかった時代で、建築家がインテリアデザインや家具デザインをしていました。
その流れで工業製品のデザインもするようになったので、デザイナーという職業の人も少なかったし、企業が1年に生み出す製品も少なかったため、現代に彼の仕事のようなスタンスでデザインに関われることはほぼ不可能なのもまた現実です。要は製品開発のサイクルがもっとゆっくりで試行錯誤の時間と余裕がたっぷりと合った時代。まだマーケティングのような概念も希薄だった時代。

そんなことを考えると、今の若い人がこの展覧会見ても、そういう歴史的な背景を理解してないと受ける印象もずいぶん違ったものになるだろうなあと思いながら鑑賞してきました。
おいらの師匠のソーデンも現在は自分の立ち上げたキッチン用品ブランドの仕事だけ、好きな仕事だけするようになっています。
おいらももっと年寄りになるころには、そういう感じで仕事できればいいなあとも思うけれど、その頃には出来れば小説も書いてみたいという夢も持っています。夢が多すぎて子供に呆れられるパパですが。でも、今のような工業デザイナーは、多分いつまでもできないんじゃないのかという感じもするしね。だって、クライアント側もよぼよぼのおじいさんじゃ任せるの心配でしょ。だから、(ある程度の年齢になると)自社製品ラインを立ち上げる人が増えてるんだけれど、こればかりはいいパートナー(出資者とか)との出会いがあるかが分かれ目になりそう。
とりあえず、今はまだデザイナーとして声かけて貰えてるので、先の話。
さてさて、実はこの展覧会の企画段階で、おいらの所にもちょっと問い合わせがあって、元メンフィスメンバーの消息なんかを聞かれたりしたんだけれど、展覧会のオープニングの日にドイツ出張だったので、関係者が集まったところに顔を出せなかったのが心残り。
ともかく、個人的にはなんだか懐かしい環境に包まれた展覧会でした。
Peace & Love