目で見て口で言え「女の子は死なない 実録演劇犬鳴村/男尊演劇死滅譚」
配信でTremendousCircus「女の子は死なない 実録演劇犬鳴村/男尊演劇死滅譚」を見ました。タイトルにある「犬鳴村」というのを知らなかったんですが、都心伝説なんですね。映画化もされてて、他にも似たような「日本のどこかに、日本の法律や常識がまったく通じない町(村)があって、そこに不幸にも迷い込んでしまった人々が恐ろしい目に遭う」という話があるようです。
最初にこのチラシのイメージを見たときにうっすら懐かしさを感じたんです。色の使い方やフォントの感じが、なぜだか昔(第一世代?あたり)のアングラ芝居のチラシ(ワタクシの記憶の中の)思い出させたようです。もちろん、当時のものより圧倒的に(そりゃもうベラボーに)洗練されてるんですけどね。何というか、見ていると興味と同時に恐怖がじわじわ湧いて来るような、といったらいいか。
作演出の葭本未織さんの作品を見るのはたぶんこれが三回目で、最初は阿佐ヶ谷のスペースプロットで「永浜」、二回目は去年配信でgekidanU「リアの跡地」そして今回。
舞台は阿佐ヶ谷の劇場。どしゃぶりの雨の中、4人の少女が劇場を借りにやってくるーーー。
女の子たちが、置かれている状況の苦しさから、自己の内面を変えようと努力する。何度も何度も努力する。でも苦しさは変わらない。極限まで追い詰められてふとした瞬間に、「そうか、わたしが変わるんじゃなくて世界が変わらなきゃいけないのか」と解る。
自分を救済するためには、世界と闘わなければならない。それは悲しいことに、人生を賭した長い長い闘いである。それでも、踏み出せば道ができる。
少女たちの遥かな道のりの第一歩を描く物語にします。
(作演出の葭本未織さんの言葉)
タイトル(サブタイトル?)にある「実録」という言葉が、象徴的です。それは一面で胡散臭さを醸し出していますが、とても意図的な仕掛けだと思いました。事実は小説よりも奇なりという諺はもう擦り倒されていて、でもやっぱり現実の醜悪さというのはフィクションを遥かに越えるのだ、という意味合いも、この実録という言葉には込められているようにも感じました。ロリータファッションに身を包んだ役者たちが口にする過激な言葉は、裏返せばそれを口しなければならないほどの屈辱を彼女たちが受けてきた、ということだと思います。
(と、まるで他人事のように書いているワタクシ自身がハラスメント行為をしてこなかった、かと問われると口ごもってしまいます。特に無駄に歳を重ねた今、舞台に参加する場合、どうしても一番年上である(社会的地位なんか全然ないのに)という状況もあるし、若い頃は若い頃で能力もないのに演出なんかしようとしてたので、そこでの言動がはたしてどうだったか……)
舞台装置は稽古場を思わせるような簡素なものですが、下手にある大きめのフレームが、現在日本の演劇界(だけじゃないけど)の閉塞性を象徴していて、劇中それは壊されそうになります。少女たちに、フレームを破壊するように呼びかけたり。それを見ていて、象徴的な行為だけれど、でも今それをやっているのは劇場のプロセニアムの中でのことだから、きっとその後の展開として「劇場の外へ出る」(イメージとして)かなんかがあるのかな、と思っていたら、終盤、それまでキャットウォーク(?)で芝居をしていた葭本さんが舞台上に出てきて客席に向かって
「さっきなぜ笑ったんですか?」
という問いを発しました。(それまで劇中でときどき笑い声があがっていたのです)それから、葭本さんとenさんが登場して、映像を交えて話し始めました。
配信映像にはアフタートークがついているのは知っていたので、あれ、アフタートーク始まった?こんなにぬるっと始まるの?と戸惑いつつ、そのうちまた芝居は始まって、アレもまたこのお芝居の一部だったということに今更気づいて、これは「フレームから外へ出て行く」という、このお芝居でのやり方(第一歩)なのかも、と思ってちょっと身震いしました。舞台(でのお話)が現実を侵食して行くイメージ……。
本当のアフタートークはその後でしっかり時間をとってから始まりました。正直アフタートークって苦手で、でも今回のは聞いてよかったと思います。(そういえば配信回ではないアフタートークでは「演劇アングラ犬鳴村」というタイトルが!これは聞きたかった……)