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【む】 紫の煙
ひっきりなしに漂い続けるタバコの煙と、ジントニックとレモンが混じり合った甘い香り、観客や出演者が着ているレザージャケットとギターアンプやPA機器を覆っている合皮の匂いが入り混じった店内で、ルミがステージを終えた僕たちに駆け寄ってきた。
「すっごい良かったじゃん!お客さんも盛り上がりまくってたし、新曲も今までにない感じで、カッコよかったよ!」
革ジャンにアーティストTシャツ、細身のブラックジーンズというライブハウスによくいる感じの格好をしたルミが、ちょっと高揚した顔でまくし立ててきた。
「ありがとう。ステージからはルミの姿は見えなかったな。」
「ひっどーい!あっくんの目の前の3列目ぐらいにいたのに!」
「ごめんごめん。ライトが暗くてあんまり後ろの方は見えなかったんだ。」
「でさ、ギターの音変えた?いつもよりジャリっとした感じで、良くなったなって思って。」
僕はちょっと笑っただけで、返事をしないまま目をそむけてエフェクターからコードを外して配線を切り、ギターをケースにしまい込んだ。
このメンバーでバンドを結成してから3年が経っていた。観客の数も徐々に増えてきたし、ライブをやっても自分で友達にチケットを売りさばかなくてもいいぐらいのレベルになっていた。
ただ、バンドの成長と反比例するように、メンバーひとりひとりの向かっている方向が違ってきているのにそれぞれが気づき、またそれぞれが気づかないふりをしていた。
ドラムのナオキはひとつ歳上で来年公務員になることが決まっていたし、ベースのダイスケと僕は同じ歳で、就職という選択をするのであればもう就職活動をしなければいけないのに、結論を出せずになんのアクションも起こせずにいた。ヴォーカルのユウジは群馬の高校を出てミュージシャンを目指して上京してきているので、僕たちの態度には敏感になっていて、これからどうするのかという話をよくするようになっていた。
バンドの音にもマンネリ感が出てきて、新曲を作るにしても以前のようにアイディアを出し合って意見をぶつけ合うようなことも次第になくなって、作曲をしている僕の指示を待つような雰囲気になっていた。僕がギターの音を変えたのも状況に対する憤りのせいだ。メンバーはそれに気づいていても、口にすることはなかった。
ルミとは2回ヤッただけだ。
誰が呼んだのかわからないが、ライブ後のタイバンのメンバーとの打ち上げにいて、いつものように記憶を無くすほど飲んで、そのまま彼女のアパートに流れ込んで朝気づいたら裸で寝ていた。
2回めはアパートで飲み会をやるからというので行ってみたらふたりだけで、酔っ払って帰るのが面倒くさくなったので、そのまま寝た。
ただそれだけなのに、ルミはすごく距離が近いような態度になっていたし、バンドのメンバーの前でも仲間みたいな口をきくようになっていた。
僕は自分でもコントロールできないほどイラついていたんだ。
いつまでこのメンバーで音を創り続けられるのかも、あと1年後に自分がどうなっているのかも、果たして自分が音楽の世界で通用するのかもわからない。
初めて経験する「将来を決めなければいけない」というイベントに対して未だに向き合えずに、時間が過ぎていくのをただじっと耐えているだけだった。
ルミはそんなことはお構いなしに、ステージがカッコよかっただの、ギターの音が変わって良くなっただのと話しかけてくるし、今日はこれからどこに飲みに行くのかとしつこく絡んできたので、僕はテーブルを蹴り倒してルミを黙らせ、エフェクターケースとギターを持ってその場から逃げるように離れた。
その夜の打ち上げでは、遠くからこっちを見ているルミと出来るだけ目を合わせないように、そしてルミに見せつけるようにマドカと酒を飲んだ。
マドカは僕が所属している大学のバンドサークルのメンバーだったけれど、大学生ではなかったし、誰がどこから呼んできたのか、どこに住んでるのかもよくわからないというちょっと不思議な女の子だった。
あまりうまくないベーシストだったが、上半身ブラジャー姿でステージに立っても全然平気だったので、派手なコピーバンドなんかにはよく声がかかっていて、僕も何度かいっしょに組んだことがあったし、何度かセックスもしていた。
セックスの相性はよかったから一晩に何度も抱き合うのに、なぜか続けて会ったりする気にはならなくて、お互いにタイミングが合えばセックスをするという感じの付き合いだった。マドカは同じサークルの後輩と付き合っていたけれど、それもお互い知っていて関係を続けていた。
打ち上げが終わって散々酔っ払った後、ルミの目から逃げるようにマドカとホテルに行った。
「あーあ、これでわたしもルミちゃんと兄妹っていうことか。」
「なんでそれ知ってるんだよ?」
「ルミちゃんの友達から聞いた。みんな知ってるんじゃない?」
「最近バンドの曲のこととか俺のギターの音が変わったとか、ちょっと鬱陶しいこと言ってくるから面倒くさいんだ。」
「でも話聞いたら、なんだかアツシ、愛されちゃってるみたいだよ。」
「あいつ、俺のことあっくんって呼ぶんだぜ。酔っ払ってヤッただけなんだけど。」
マドカは枕をバンバンと叩きながらひとしきり大笑いしたあとに、僕の目を見ながら言った。
「でもちょっと考えたほうがいいんじゃない?ルミちゃん真剣みたいだし。」
「マドカはどうなんだよ。かわいい後輩ちゃんがいるだろうに。」
「あいつは歳下なんで、セックスがもうちょっとなんだよね。あっくんとヤルほど気持ちよくないからさ。」
「それ、俺に説教する資格ないでしょ。っていうか、俺のことあっくんで言うな!」
僕たちは裸のまま腹を抱えて散々笑いあった後にまたセックスをして、疲れ果てて泥のように眠って、目が覚めた後にまたセックスをして、昼過ぎにホテルを出た。
「昼飯でも食べていくか?」
「なんか疲れちゃったから、今日は帰る。またねー。」
「後輩ちゃんによろしく。」
「うるせー!!ルミちゃんのことちゃんとしなよ!」
ケラケラと笑いながら手をふるマドカを見送っていたら、自分に乗っかっていた重たい液体のようなものが、徐々に軽くなっていくような気がした。
このライブを機に、毎週木曜日にやっていたスタジオ練習にヴォーカルのユウジが現れなくなった。
さらにベースのダイスケは、彼のトレードマークだった金色のメッシュの入った長髪をばっさり切って現れた。
ダイスケは照れたようにうつむいて笑っていたけれど、僕らは何も言わずに自分たちの音を出すことだけに集中した。
僕はユウジの代わりに歌って、ギターのリフをシンプルに変えたけれど、それはそれで僕たちの音になった。
次の日、僕はダイスケを誘って長かった髪を切り、リクルートスーツを買いに行った。
何を選べばいいのかよくわからなかったので、ダイスケと同じ紺色のスーツ、革靴とネクタイを買った。
「ダイスケ、ネクタイの結び方教えろよ。」
「俺もまだよくわかんねーんだよ。」
僕らは店の中で大笑いして、スーツを抱えたままナオキを誘って飲みに行った。
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トリオになった僕らは、無事に就職活動を終えて次のステージの準備を始めた。
マドカはあれ以来サークルにも顔を出さなくなっていた。
後輩ちゃんに聞いてみたら別れてしまったそうで、いまどこにいるのかもわからないとのことだった。
マドカらしいな、と思って笑ってしまったけれど、もう会うことはないんだろうなという確信めいた予感がした。
そして、半年ぶりのライブが近づいてきた。
過去の曲は全てトリオ編成にふさわしいアレンジに変えて、新曲も用意した。練習量も増やしたし、前に比べるとサウンドが格段に良くなったという自信もあった。
ライブ当日、以前とは半分ぐらいになってしまった観客をステージの袖から眺めていたら、後ろの方にヴォーカルのユウジとルミが腕を組んでジントニックを飲んでいるのが見えた。
思わず吹き出してしまったけれど、身体の中がすーっと透き通っていくような気がした。その後、自分に気迫がみなぎってくるのを感じた。
僕らの時間が来て、ステージに上がる。気合は充分だったけれど、頭の中はすっきりとしていて、演奏に集中できる環境が整った。
スポットライトが僕らを照らす。僕らの音を聴かせてやる。
一曲目は新曲で、最初のコードはE7#9だ。